ホロコースト なぜ。 あなたが知るべき『ホロコースト』についてのわかりやすいまとめ

ホロコーストはなぜ起きたのですか。神はなぜそれを止めなかったのですか

ホロコースト なぜ

俗説: ホロコーストが起きるのを神が許した理由など尋ねるべきではない。 真実: 神への信仰の点で際立っていた人たちも,神が悪を許した理由を尋ねたことがあります。 例えば,預言者ハバククは神にこう尋ねました。 「暴虐,不法,犯罪,残虐行為が至る所に広がるのを許しておられるのはなぜですか」。 (,現代英語訳)神はハバククをとがめるのではなく,その問いを聖書に記させ,だれもが読めるようになさいました。 俗説: 人が苦しんでいても,神は気に掛けない。 真実: 神は悪を,また悪のもたらす苦しみを憎まれます。 ()昔のノアの時代,神は地上にはびこる暴力ゆえに「心に痛みを覚えられ」ました。 ()そうであれば,ホロコーストのことでも大いに心を痛めておられるに違いありません。 俗説: ホロコーストはユダヤ人に対する神からの罰である。 真実: 確かに神は,西暦1世紀には,エルサレムがローマ軍によって滅ぼされるのをお許しになりました。 ()しかしそれ以降は,特定の民族に特別な好意を示したり罰を加えたりすることはなさっていません。 神から見て,「ユダヤ人と異邦人の間に違いはない」のです。 俗説: 愛情深い全能の神が存在するのなら,ホロコーストを阻止したはずである。 真実: 神が苦しみを引き起こすことは決してありません。 しかし,苦しみが生じるのを神が一定の期間,許されることはあります。 ホロコーストが起きるのを神が許されたのは,人間が苦しむのを許してこられたのと同じ理由からです。 それは,遠い昔に持ち上がった倫理的な問題を解決するためです。 聖書は,現在の世界を支配しているのは神ではなく,悪魔であることをはっきり示しています。 ()ここでは,ホロコーストが起きるのを神が許された理由を理解する助けとして,聖書からの2つの基本的な事実を取り上げます。 神は人間を自由意志を持つ者として創造された。 神は人類の最初の男女アダムとエバに対し,神として何を求めているかをはっきり告げながらも,従うことを強要したりはなさいませんでした。 二人は,独自に善悪を決めるという誤った道を選びました。 この二人に加えて,後代の人々も同じように選択を誤ったため,人類は歴史を通じておぞましい経験をしてきました。 ()この点で,「ユダヤ教保守派の理念」(英語)という書籍は次のように述べています。 「世の苦しみの多くは,我々が与えられている自由意志を誤用した直接の結果である」。 神は人間から自由意志を取り上げるのではなく,神から離れて自力で物事を進めてみるための時間を人間に与えてこられました。 神は,ホロコーストによって生じた害をすべて取り除く力と意志を持っておられる。 神は,これまで亡くなった幾億もの人を生き返らせることを約束しておられ,その中にはホロコーストの犠牲者も含まれます。 さらに,ホロコーストを生き延びた人の心の傷を完全に癒やすこともなさいます。 ()神は人類を愛しておられるので,これらの約束は必ず実現します。 ホロコーストの被害に遭いながら,信仰を保ち,生きる意味を見いだした人たちもいます。 その助けとなったのは,神が悪を許してこられた理由や,悪のもたらした害を取り除くという神のお考えを理解したことです。

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ホロコーストはなぜ起きたのですか。神はなぜそれを止めなかったのですか

ホロコースト なぜ

ホロコーストとは、ナチスドイツがおこなったユダヤ人の大量虐殺のことです。 羊や山羊などの丸焼きなどを供するユダヤ教の儀式に「燔祭」というものがあり、元々はその儀式を意味するギリシア語でした。 時代がたつにつれ、火災による大規模な破壊や虐殺、全滅を意味するようになります。 ナチスによるユダヤ人の迫害は、政権をとった1933年1月以降ホロコーストに至るまで、4段階の過程を経てエスカレートしていきました。 第1段階(1933~1935年)ではユダヤ人をボイコットするための規則を法制化、次の第2段階(1935~1938年)の間にユダヤ人から人権を奪い非合法化、さらに第3段階(1938~1941年)になるとドイツから隔離し収容、最終的には第4段階(1941~1945年)として収容者の虐殺という道をたどりました。 【第1段階】 ナチスの実力部隊によるユダヤ人の経営する店舗の営業を妨害がはじまり、ユダヤ人が競技場やレストランなどへ立ち入ることを禁止します。 【第2段階】 1935年にナチスによって2つの法律からなるニュルンベルク法が制定され、そのうちの「帝国市民法」によりユダヤ人の公民権が無効にされました。 また「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」では、ドイツ人がユダヤ人と結婚することを禁じています。 この頃からナチスの実力行使が始まり、ユダヤ人は財産や、命を脅かされます。 公立学校からユダヤ人の子供は追放されました。 【第3段階】 1938年には、「クリスタルナハト(水晶の夜)」といわれる事件でドイツ各地のユダヤ人の住宅や商店、教会が襲われ、放火されます。 ユダヤ人が強制的に収容所に送られる地域もありました。 【第4段階】 1941年、独ソ戦(ドイツ=ソビエト連邦戦争)の開始と時を同じくして第4段階が始まります。 「移動虐殺部隊」がつくられ、ドイツ軍が進出したところ、特にポーランド、リトアニア、ウクライナなどでユダヤ人やロマ人や共産主義者(ソビエト連邦兵士)などを虐殺していきます。 そして1942年1月、「最終的解決」として物理的な絶滅が決定され、「絶滅収容所」が建設されることになりました。 ナチス勢力下の各地から列車により輸送されたユダヤ人の7〜8割は、収容所に到着するとすぐに毒ガス室に送られ、殺されたといいます。 それを逃れたとしても、劣悪な生活環境の下で強制労働が課せられ、多くの人が飢餓と病気で亡くなりました。 このようにして1945年までに約600万人が犠牲になったといわれています。 一般的にはナチスのユダヤ人に対する憎悪が原因と考えられていますが、最近の研究では、それまでの歴史的経緯や、ナチス内部での迷走など、複数の要素が複雑に絡み合った結果だったとする意見が優勢です。 ホロコーストの背景には、まずヨーロッパ社会が伝統的にユダヤ人を嫌悪していたことがあります。 ヒトラー個人やナチスに限らず、ヨーロッパ全体に反ユダヤ主義が根付いていました。 ナチスはそれを利用して、政治権力を獲得したのでした。 しかしナチスも当初から物理的な抹殺を考えていたわけではありません。 ユダヤ人政策については、ナチスの対外戦争の計画が優先されたこともあり、「最終解決」までにはかなりの迷走がありました。 「最終解決」とは、収容しているユダヤ人たちを効率的に大量虐殺することを意味し、具体的には絶滅収容所を建設し、行政が一体となってホロコーストを進めたのです。 ナチスは当初、ドイツからユダヤ人を追放し、国内から一掃することを想定していました。 当時のドイツ国内のユダヤ人の数は約56万人でしたが、彼らのすべてを国外に移送したいと考えていたのです。 フランスを占領すると、フランス領であったマダガスカル島に移送するという計画もありました。 しかしドイツの占領地帯が拡大すると、ユダヤ人の数も増えていきます。 ポーランド地域には200万人のユダヤ人が暮らしていたのです。 ソ連の東部を手中に収めた後は、ドイツとポーランドに住むすべてのユダヤ人をそこに移住させる目論見でしたが、すでにそこにはユダヤ人が300万人も存在していました。 移住計画はとん挫し、対ソ戦が膠着してくると、ソ連の占領地のユダヤ人の大量射殺が起こりはじめました。 結果的には50万人以上を殺害したといわれています。 この殺戮が常態化すると、ポーランド領内のユダヤ人を同じように大量虐殺し、一挙にユダヤ人問題を処理しようとナチスは考えるようになりました。 その後、効率的におこなうため、ユダヤ人の移送方法、収容所のガス室による殺戮方法などが準備され、大量虐殺に至ったのです。 ホロコーストは組織的な分業体制により、国家が運営したことが近年の研究で明らかになりました。 ユダヤ人の犠牲者数 現在に至っても、ホロコーストについてすべてが解明されているわけではありません。 ヒトラーの個人的な憎悪が原因のひとつであることに疑問の余地はありませんが、ナチスとしての反ユダヤ主義、さらにはドイツ国民全体のユダヤ人への差別意識がどのように結合し、ユダヤ人の絶滅政策を国家としておこなうようになったかについては研究者の間でも意見が分かれ、どれが真実であるかははっきりしていません。 ホロコーストを推進したのは誰かということについては論争が今でも続いています。 大きく分けると「意図派」と「機能派」の対立ですが、それぞれのグループのなかでさらに見解が分かれており、大変複雑です。 意図派の主張は、ヒトラーのユダヤ人への憎悪が主たる原因であったとしますが、機能派はナチスの行政組織の内部的な混乱や対立が大量虐殺の主な原因であったという見解をしています。 他にも包括的な大量虐殺を最終解決と決定した時期がいつなのかについては、現存する資料では特定することができていません。 ヒトラーはユダヤ人政策については例外的に、口頭で直接命令することが多く、それも方針だけ伝えて、実行については部下に任せていたことが特定を難しくしています。 またどのようにして大量虐殺が実行されていたのかという点についても、新たな研究領域とされています。 官僚機構が絶滅機構となり、それ自体が自律的に動き続けるマシーンとなってしまったことは、ドイツ社会の歴史的な研究にも大きな意味を持つと考えられはじめました。 第二次世界大戦後にドイツそのものは東西に分割されたこと、大量虐殺がドイツの本土ではなくドイツの占領地でおこなわれ、その地が共産主義陣営のとなったこと、さらにはドイツの歴史家たちがホロコーストに関心を持たなかったことなど、さまざまな理由から真実の解明は遅れているのです。 本書では、初期の段階ではユダヤ人の追放であったのが、隔離することになり、それが最終解決という虐殺に発展していく過程が、時系列で解説されています。 強力な指導者が計画し、実行部隊が初めから虐殺していた、ということではなく、細分化された組織機構のなかで、二転三転しながら最終解決として大量虐殺に至ったのでした。 ホロコーストは、ユダヤ人を集めて収容所に送る部署、その収容所を建設する部署、大量虐殺をより効率的におこなう方法を研究する部署など、それぞれが縦割りになっておこなわれていた組織犯罪でした。 そのため、ドイツ国民はこの事実を検証することを長らく放置し、ヒトラーとナチスの犯罪として切り離していたことも本書は指摘しています。 国家として戦争犯罪を清算する難しさはドイツが例外なのではなく、我が国と通底しており、興味深い内容といえるでしょう。 戦後史を考えるうえでも、大変参考になる一冊です。 ユダヤ人医師が記すホロコーストの体験談 「いい人は帰ってこなかった」と著者は総括します。 神の奇跡でもなく、偶然でもなく、生き残った人々は「生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた」というのです。 隣人に対する愛、同胞との連帯、宗教による救済など日ごろ尊いとされていることがすべて忘れ去られ、生存のみが目的となってしまったような環境で生きる多くの人々。 「人間の幸福とは何なのだろうか」ということを考えずにはいられなくなります。 死を常に意識し、自分の運命に絶望するほかないような状況でも、最後まで「人間とは何か」を考え続けることをやめなかった著者の体験は、生きるために大切なことを数多く示唆しています。 悲惨な歴史を通して、人間の本当の豊かさ、幸福とは何かを考えるきっかけを与えてくれるでしょう。 ホロコーストの本当の原因は ソ連に侵攻したドイツ軍は、独ソ戦の開始から2ヶ月でウクライナを占領しました。 ソ連の統治組織が崩壊した後に、ドイツの支配体制が整備されるまで、ウクライナ一帯は国家のない状態でした。 このことがこの地域でのホロコーストの原因になったと著者は指摘しています。 被害にあったユダヤ人のほとんどは、戦争によりドイツが占領した地域で殺されており、加害者側の半分はナチスドイツではなかったのです。 著者は、ホロコーストはヒトラーという狂人によるものではなく、飢えや貧困の恐怖と国家が解体されるという異常な状況下において起こった生命の破壊だったと分析しています。 また、戦争により異常な秩序が構築された当時の状況を理解すれば、大量虐殺に至った原因は理解できると主張しています。 さらに本書を読み進めると、多角的に被害の実態が検証されており、これまでの常識が覆されるでしょう。 ホロコーストがユダヤ人絶滅を目的としていたことは例外的ですが、それ以降もくり返される大量虐殺や民族浄化にも共通している点は、国家の弱体化または国家が内戦状態であることです。 上記の点を意識する必要があることを、著者は私たちに教えてくれています。 現在の国際社会において、貧困の問題と国家の弱体が起こっている国や地域はどこでしょうか。 惨劇をくり返さないようにするために、私たちは何をすればよいのか、人道的な視点から国際社会を見直すきっかけとなる一冊です。 レジスタンスの証言 ポーランドがドイツとソ連によって占領され、解体された時期に、ポーランドの地下組織の一員となり、抵抗運動を続けた外交官の証言である本書。 彼は2度にわたり、ワルシャワ市内のゲットーに潜入した後、収容所にも潜り込み、ユダヤ人の迫害の実態を調査しました。 その後、彼は連合国へ脱出し、ロンドンではイギリス外相に、ワシントンではアメリカ大統領に直接説明しましたが、すぐにユダヤ人たちを救うことはできなかったのです。 当時、英米はドイツとの全面衝突を避けるという理由で、ポーランド情勢について静観の姿勢をとっていました。 実際に救出されるまでには大量のユダヤ人が殺され、生き残って収容所をでることのできた人はほんのわずか。 このことを著者は人類の「第2の原罪」であると考えています。 本書では、少女時代にホロコーストで生き残った女性の体験が綴られています。 収容所内でおこなわれていた人体実験や、子供がむごたらしく殺される様子など、語るのが苦しくとも残しておかなければいけないという強い意志が感じられる本です。 妹と双子に間違えらえたことにより、実験用に選別され、殺されずに済んだという主人公は、アウシュヴィッツから生きて解放されました。 必死に考えて機転を利かし、ユダヤ教を捨てキリスト教に改宗するなどして、奇跡的に戦後に家族と再び巡り合うことができました。 しかし、すぐにかつてのように幸せな家族の生活が戻るわけではなかったのです。 それぞれにつらい体験の記憶が残り、互いにその間、何があったのかを語ることをためってしまうのでした。 本書が歴史の事実から暴き出すのは、信念や思想によって大量殺人を続けていくことではなく、組織内での栄達や報酬、夫への愛や国家への忠誠などの日常的な理由こそが、無慈悲な殺戮を可能にしてしまうという人間の本性です。 そのことが、ホロコーストに加担してしまった女性の悲劇を通して明確になっていきます。 彼女らのなかには、戦後になると逆に自分の立場を理由に、戦争犯罪の訴追の対象にならなかった人もいました。 客観的に事実の検証がおこなわれており、思わず読むことを止めたくなるような記述もあります。 しかし、この信じられないような事実を正視し、真実を知らなくては、ホロコーストの悲劇について真実を知っていることにはならないでしょう。 本書は、日常の生活の延長に戦争の狂気があることを示しており、平和な時代を生きる私たちに警鐘を鳴らしています。 ホロコーストに関する本を読むと、想像すらできないような凄惨な出来事が事実であることに震撼せざるを得ません。 歴史的事実を正視し、この恐ろしい事件の教訓を全世界で共有することは大変重要な意味があります。 ぜひ今回紹介した歴史の本をきっかけに、人間らしい生き方や世界の平和について考えてみてください。 日本で言うと、阿倍謹也、網野善彦、系の影響を強く受けました。 海外だとアナール学派で、封建世界ですかね、何度も読んだのは。 地中海は高くて手が出なかった。 大学では西洋法制史を専攻し、山内進とその上に連なる泰斗からの流れに属してきています。 ほとんど落第な学生で、全然関係のないとは言えませんが、ハイデガー、ポンティ、フッサールの現象学の流れにどっぷりつかった時期もあり、時代の流行でポスト構造主義もほうぼう読みました。 デリダなんかも読んだなあ。 ところが長谷川宏さんの影響でヘーゲルにもいあったりましたが、最後は木田元にもどり、その後は仕事も忙しいってことで、司馬遼太郎と山田風太郎を通勤電車で読むということなりました。 すると高校時代に読んだドストエフスキーに移り、小林秀雄を読み返し、並行して鶴見俊輔などいを読んで、いるのが現在です。 いろいろそのあいだも、小林信彦、半藤一利、三島由紀夫、小室直樹を多く読みました。

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ホロコーストの検証がタブーはなぜ?

ホロコースト なぜ

2015年1月、アウシュビッツの解放から70周年を受け、安倍首相はイスラエルのホロコースト記念館を訪問。 「ホロコーストを二度と繰り返してはならない」と改めて述べた。 この世界史上最大の悪とも呼べる、ユダヤ人の大量虐殺はなぜ生まれたか。 その歴史的な背景を知り、そこから私たちがどのようなことを学べるのかを探っていく。 TBSラジオ 荻上チキSession-22 2015年01月21日放送「ユダヤ人の大量虐殺はなぜ起きたのか?」より抄録。 様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。 あなたもぜひこのセッションに参加してください。 よろしくお願いします。 石田 よろしくお願いします。 荻上 安倍総理がイスラエルのホロコースト記念館に訪れてスピーチをされましたね。 石田さんはどのように捉えましたか。 石田 記念館での発言については立派なことを言われたと思います。 やはりホロコースト記念館はユダヤ人にとって象徴的な場所であり、日本の首相が「悲劇を繰り返させない」と発言したことについては、「よく言ってくれた」と感じた人が、たくさんいると思うんです。 荻上 そうですね。 他方、一国の首相の発言ともなれば、その捉えられ方について常に議論が起こります。 例えばパレスチナや、イスラム教の方々にはどう映るかといった、いろんな政治性が介入してきます。 石田 そうですね、冷戦後のアウシュビッツの位置づけが、それ以前と少し変わってきている面があるんです。 人権侵害の象徴であると同時に、当時の国際社会がそれを阻止できなかったことへの反省があって、今では「繰り返さないために何が必要か」を考えるきっかけとしてアウシュビッツがあります。 ホロコーストのようなジェノサイド 大量虐殺 は今も世界各地で起きていて、それを予防する必要性についても議論されています。 ここで気になるのは、「アウシュビッツを繰り返さない」ために、紛争地域に人道介入といいながら軍事的介入が行われることがあり得るということです。 それが次の惨事につながることもある。 そんなことを少し思ったりしました。 荻上 「歴史の教訓」は様々に解釈できる。 それゆえに、「悪の暴力が拡大する前に正義の暴力で制裁する」といった行為自体が、実は虐殺と呼べる行動と似たような結果をもたらすこともあり得ると。 石田 ドイツ連邦軍が1999年にコソヴォをNATOと一緒に攻撃したとき、ドイツは「アウシュビッツを繰り返さない」ことを大義名分にして軍事介入しましたね。 これで問題が解決したのかどうか。 多くの難民が生まれました。 どのように犠牲者は拡大したか 荻上 今日はホロコーストの経緯などについても伺っていきたいと思います。 石田先生は大学で講義をするとき、ホロコーストをどのように教えるのですか。 石田 そうですね。 まずこんな質問から始めます。 「ヒトラーが政権を握った1933年、ドイツ国内にどれぐらいのユダヤ人が住んでいたと思いますか?」 ナチに虐殺されたユダヤ人は、だいたい550万人から600万人ぐらいと言われています。 それを念頭において考えて下さい。 ドイツの全人口に占めるユダヤ人の比率はどれぐらいだったでしょう? 荻上 なるほど。 荻上 そんなに少ないんですね。 石田 当時の統計では、0. だいたい50万人を少し超える程度です。 そうすると、先ほど言った、殺されたユダヤ人が550万人以上という数字とだいぶ違いますね。 このことからどういうことが考えられますか。 荻上 ドイツが侵攻していく中で、国内だけではなく国外のユダヤ人の方も犠牲になったということでしょうか。 石田 その通りです。 ナチ・ドイツは1939年に第二次世界大戦を開始するんですが、最初にポーランドに侵攻して、40年にフランスなど西欧諸国を、41年にソ連を攻撃します。 そのように一気に勢力圏を広げるのですが、このとき制圧した場所、特に東欧に多くのユダヤ人が存在したんです。 虐殺の犠牲者の大半は、そのユダヤ人でした。 だから戦争がなければ、犠牲者はこんな大きな数にはなっていないんです。 ドイツ国外でこんなにユダヤ人が殺されたということは、ドイツだけがホロコーストの実行国であったわけではないことを示しています。 ドイツの占領地においては、現地の人もホロコーストに協力しているんです。 荻上 たとえば、通報したりといった仕方でしょうか。 石田 それもありますが、むしろその実動部隊というか、下手人として、現地住民が直接ホロコーストに関わったケースがたくさんありました。 必ずしも強制されて行ったというわけではありません。 実は、東ヨーロッパではユダヤ人に対する偏見や差別意識はドイツ以上に根深いものがありました。 特にポーランドでは強かったのです。 現在、なぜヨーロッパの各国でホロコーストの問題が議論されているのかというと、要するに、ホロコーストにヨーロッパ全体が関わったからなんです。 被害者もそうですが、加害者も欧州各国にいたんです。 また、ホロコーストの犠牲者の大半は1942年と43年に殺されているんですね。 ですから、ヒトラーが政権に就いた1933年から少しずつホロコーストが進んでいったのではなくて、第二次世界大戦中、とくに独ソ戦が始まった41年の夏ごろから本格化していくんです。 荻上 もともと差別はあったけれども、ナチスが政策的な方向転換を行ったことによって、ホロコーストという形で一気に拡大したのですね。 石田 そうですね。 まずヒトラー政権の成立が始まりです。 これがなければホロコーストは起きていません。 ナチ党は反ユダヤ政党であることはもちろんですが、民主主義を蔑視し、議会政治や政党政治を根本的に否定する政党でした。 ワイマール憲法の理念から見るととんでもない政党なんですが、当時のドイツ人の苦境、屈辱感をうまく利用して台頭してくるんです。 ヒトラーは首相になって、その後、独裁権力を手に入れます。 「全権委任法」を成立させたことが大きいです。 これで立法府を経ることなく、政府が自由に法律を制定できるようになってしまったんです。 行政の長が立法権まで握っているから、反ユダヤ的な考え方も簡単に政策化されてしまった。 ユダヤ人に対する社会的な差別も、ヒトラー政府のもとで一気に顕在化していった。 ですから、33年にヒトラー政権を誕生させてしまったことが、決定的なポイントであったと思いますね。 ユダヤ人への差別意識と、ナチスの優生思想 荻上 質問メールが来ています。 「なぜユダヤ人がこれほど悪役にされたのか、私にはよくわかりません。 独自の宗教と選民思想、経済的成功による嫉妬があるのでしょうか」 どうしてユダヤ人だけが敵視されていたのでしょうか。 石田 ユダヤ教がヨーロッパ、つまりキリスト教が多数を占める社会の中で、どういう位置づけであったかを知る必要があります。 たとえば新約聖書を見れば、ユダヤ人を敵視している記述が非常に多いことに気づきます。 キリスト教はユダヤ教から生まれるのですが、ユダヤ人は否定されるべき存在として、キリスト教の教義の中にインプットされているんです。 中世にはこうした宗教、信仰の違いを背景に、ユダヤ人に対する差別、迫害が行われたんですね。 でも当時は、改宗すれば許されたんです。 ところが、時代が現代に近づいてくると、宗教だけではない要素が加わってくるんです。 大きな転換点は18世紀にありました。 ヨーロッパのユダヤ人はたいてい絶対王政のもとで宗教的少数派としてゲットー(特別居住区)に隔離され、その中で一定の自治が許されていたのですが、差別の対象でした。 ところがフランス革命が起きて王政が壊され、ヨーロッパ社会のあり方が徐々に変わり始めると、ユダヤ人をこのまま隔離したままでいいのかという議論が起こります。 いわゆる啓蒙思想がユダヤ人を解放しようという動きを後押しました。 フランスでは革命直後にユダヤ人に市民権が与えられ、ドイツでも19世紀の後半になって市民権が与えられます。 しかし問題はこれからです。 市民権を得たユダヤ人のなかに、一気に社会的上昇を果たして経済のトップにのしあがる者がでてきます。 資本主義の先頭にたつユダヤ人が多数出てくるわけです。 これがキリスト教徒にはまったく面白くないんです。 「やつらに市民権を与えなければよかった」というような声があがります。 「ユダヤ人は改宗してもユダヤ人だ」「ユダヤ人は宗教集団じゃない、もともと特別な人種なんだ」という考え方が広がっていくんです。 髪の毛とか頭の形とか、身体的な特徴によって人間を種に分けていく。 人種主義つまりレイシズムの考え方です。 ヒトラーの反ユダヤ主義は、そういう人種主義的な反ユダヤ主義でした。 荻上 それは優生思想につながる考え方ですよね。 石田 そうですね。 優生思想というのは、ホロコーストを考える上でやはり大事なことだと思います。 遺伝や生殖活動に公権力が介入することでよりよい人間を作る、よりよい人類を作ろうとした。 「よりよい」と言えば何かいいことのような気がします。 ですが、これは「劣った人間には非常に冷たい」ということでもあるんです。 劣等と見なされた人間については、排除する力が働くんです。 荻上 優秀な遺伝子を残していこう、一方でそれを阻害するような遺伝子を断種していこう、ということですよね。 石田 そういうことです。 ヒトラーは政権をとった直後に、「強制断種法」を制定します。 これは俗称で、正式には「遺伝病子孫予防法」。 つまり、遺伝病を子孫に引き継がせないための法律で、実態は断種法でした。 統合失調症や知的障害といった特定の病気、また身体障害を持つ人たちに対して、本人の意思とは無関係に、外科的な断種、あるいは不妊化手術をすることを、病院長や施設長に認める法律が、政府の名によって制定されるんです。 荻上 「断種」という政策が政権の誕生後すぐに掲げられることによって、差別主義への方向性がやはり見えてきたわけですね。 石田 さらに言えば、この法律がホロコーストの前提になったんです。 このような優生学に関わった人たちが、ホロコーストの現場にまで関わることになるんですよ。 その経緯を簡単に説明したいと思います。 まずヒトラー政権が成立する前の、ワイマール共和国の時代、当時は非常にリベラルな憲法のもとで、平等主義の原点から、万人の福祉を目指していました。 ところが、世界恐慌になって財政問題が生ずると、それが維持できなくなってしまいます。 そして、そんな時に台頭してきたのがナチ党です。 もともとナチ党は万人に公平に福祉を与えることに批判的なんです。 強制断種に関することは、ヒトラーが「わが闘争」の中で書いています。 「病気とか欠陥のある人は、子どもを産んではならない、そういう人たちに子どもを作らせると、共同体にとっての負担になるのだ。 国家は医学的手段を用いて、断種政策を成就させるべきだ」と。 ヒトラーが政権をとると、そうした考えに基づいた、さまざまな優生政策が実現されていきます。 断種については、最初はアルコール中毒患者とか、特定の病気に決まっていたんですけど、徐々にその対象が広がっていきました。 監獄とか収容所の囚人、また売春婦、有色人種との「混血児」などにも適応されていったんですね。 ナチ時代を通じておよそ40万人もの人々が、子どもを作る権利を奪われました。 ナチ時代のドイツは明らかに優生社会でした。 優生学的な考え方が根付いた社会です。 つまり、健康であることに大きな価値がおかれて、官民挙げて優生思想の普及が図られた。 だから学校や職場では、人の価値には生来的に差があるということを事実として教えたんですよ。 たとえば重度障害者に対するケアについて、共同体の利益に反するということが公然と言われたんです。 国家自体がある種の生命体の様に捉えられていたから、ナチの人種イデオロギーで下位におかれた人々は、民族体をむしばむ「病原菌」だとか、「癌」だとか言われたんです。 彼らに憐憫の情を抱くことでさえ、戒められたんです。 荻上 人権の概念が覆された。 石田 その通りです。 もう完全にひっくり返った。 そしてもう少し説明させていただくと、戦争がはじまるとこうした考え方はさらにエスカレートして、「安楽死殺害」という政策へ行き着くんです。 これは現在で言う安楽死ではありません。 自分で自分の死に方を決めるということではなく、こちらの都合、つまり国の都合で殺害するということです。 その引き金となったのが、第二次世界大戦の勃発です。 戦争がはじまると、政府は「治る見込みのない患者や障害者は邪魔だ、戦争遂行の妨げになる」と主張を強めていきます。 荻上 ベッドが占領されたままだと、けがをした兵士が入れない。 さらに、医療費がかかってしまう。 石田 そうです。 戦争に支障が生じるようになると、政府は全国の病院や自治体、また法務省や内務省などと連携しながら、いま申し上げたような人たちの、組織的な集団殺害を行っているんです。 それから、障害を持って生まれた子どもについても、専用の施設での殺害を行っています。 こうした安楽死殺害で、およそ7万人以上の人が命を奪われました。 【次ページに続く】.

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