ハーレクイン 魚鱗 癬。 ブログと画像で伝えます。私は伴性遺伝性魚鱗癬で症状は軽度です

魚鱗癬

ハーレクイン 魚鱗 癬

道化師様魚鱗癬は特に深刻で、生後2週間以内に亡くなる例も多く、太陽の光を浴びるだけで皮膚にダメージがあるため、外出時は包帯を巻いたり、夏でも厚手の服装で完全に防備し、直射日光が当たらないようにしなければなりません。 私は伴性遺伝性魚鱗癬という先天性の魚鱗癬です。 伴性遺伝性魚鱗癬は約6000人に1人の割合と言われており、日本の人口が1億2000万人と考えると、 推計で約2万人同じ病名の方がいると考えられます。 伴性遺伝性魚鱗癬の特徴 私の病名である 伴性遺伝性魚鱗癬は、 別名をX連鎖性劣勢魚鱗癬や常染色体劣性魚鱗癬と呼ばれており、大きな特徴が2つあります。 人間の染色体の種類は女性ならXX、男性はXYです。 劣勢遺伝子X a による遺伝なので、優先遺伝子X A を持つ女性は発症しないのです。 隔世遺伝とは1世代をまたいで遺伝するという遺伝形態の事を指します。 具体的に言うと 私の遺伝は、 私のおじいさん 祖父 から受け継がれた遺伝です。 また、 私の子供は魚鱗癬になりませんが、私の孫 男児 には遺伝します。 こうして1世代またいだ遺伝で、いつまでも病気が受け継がれていってしまうのです。 魚鱗癬の主な症状と増悪する季節と画像 主な症状としては、 とにかく痒 かゆ いです。 ただ、年間通して痒いわけではなく、 季節の変わり目や冬など乾燥する季節です。 北海道出身の私は冬が長いため、痒みが続く時期が長かったです。 現在は東京在住なので、北海道に比べると皮膚にとっては良い環境だと思っています。 人によって増悪期が異なるようですが、思春期は痒みが強くなり、その後軽快していく人も多いようです。 私は20〜22歳頃が最も痒みが強く、その後は軽快した印象があります。 鱗のような見た目ですが、生まれた時からなので全く気にならなくなりました。 私は自分の肌を「キリンのような肌」と呼んでます 冬や乾燥する季節になると下の画像のような肌になります。 画像出典:旭川医科大学の 夏など乾燥しない季節は、こういった外見症状がないため、一般の人の皮膚状態と変わりありません。 道化師様魚鱗癬は特に重症例なので、伴性遺伝性魚鱗癬の皮膚症状とは大きく異なります 4. 魚鱗癬は頭皮にまで症状が出る ここで書く内容は、この記事で最も伝えたい事です 子どもの頃につらかったのは、痒みよりも落屑 らくせつ です。 落屑とは、皮膚が剥がれ落ちる状態の事です。 皮膚が乾燥している方や高齢者に多い症状です。 人によるのかもしれませんが、私の場合は落屑が頭皮にまでありました。 頭皮の皮が剥がれるため、常に髪の毛の中に白い粉状の物が交じる状態になっていました。 こうなると 「頭が汚い」「フケだ」「不潔」などのイメージがつきまといます。 友人などから直接言われた記憶はありませんが、不潔だと思っていた人はいると思います。 特に幼少期は、 いじめの原因に繋がる事もあるため、注意が必要です。 私はよく 家族から「頭が汚い」と言われていました。 中学生にもなって、頭の洗い方を家族から再指導されたりもしました。 乾燥や痒みから、無意識に頭を搔いてしまい、掻けば掻くほど落屑がひどくなり、またストレスから引っ掻いてしまう事の繰り返しでした。 小学生の時から、朝は頭を洗って いわゆる朝シャン から学校に行くようになり、25歳くらまで毎日朝のシャンプーを続けていました。 朝の貴重な時間が浪費されてしまうのはもちろん、 何よりも家族に理解されない事がつらかったです。 もし、魚鱗癬の子どもを持ったり、魚鱗癬の友人がいるのであれば、そういった症状がある事をよく理解してあげてください。 見た目の情報だけで、子どもや友人を判断しないであげてください。 こどもの時に感じる見た目のコンプレックスは、大人が思っている以上に大きな痛みになります。 頭皮の落屑に関しては、成人してからは落ち着いてきています。 ただ、今でもスーツなど黒や色の濃い服を着る時は、肩周りが白く粉吹き上状になってしまう事があります。 幸運な事に、私は看護師という白衣を着る仕事に就いたため、仕事中は全く気にならなく 目立たなく なりました。 痒みの対策として使っている薬 一般的には魚鱗癬に対してワセリンや刺激が少ない保湿剤、尿素系の保湿クリームなどが推奨されていますが、私の場合は刺激となり、逆に痒みの原因となる事が多かったです。 最終的に落ち着いたのは、 アルメタ軟膏とオキサロール軟膏の混合薬です。 アルメタ軟膏はステロイド薬です。 比較的刺激が少ないとはいえ、使いすぎると皮膚が悪化してしまうため注意が必要です。 ジェネリック医薬品 後発薬 ではアルメタ軟膏が ビトラ軟膏、オキサロール軟膏が マキサカルシトール軟膏となっています。 痒み対策として、 抗アレルギー薬も内服している時期がありましたが、イマイチ効果を実感できなかったというのが率直な感想です。 今はもう内服していません。 私が内服していた主な抗アレルギー薬.

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皮膚が剥がれる奇病『ハーレクイン魚鱗癬』とは?肌の成長速度が7倍に

ハーレクイン 魚鱗 癬

ハーレクイン魚鱗癬の乳児は、鎧の様に厚い皮膚が口や目の粘膜を引っ張ってしまおい、粘膜が表面にまくれ上がってしまいます。 なので、目や口は真っ赤です。 また、ハーレクイン魚鱗癬を患った乳児の皮膚はまるで鱗のように重なりあい、ひし形にひび割れを起こして出血します。 その姿は仮面をかぶっているようにも見え、そこから、ハーレクイン(道化師)といなずけられました。 また、過去には『エイリアン・ベビー』、『トラ縞の胎児』、『悪魔の子』と呼ばれていました。 ハーレクイン魚鱗癬の症状は、皮膚や肌を形成するために必要なタンパク質が不足してしまうので、普通の人の約10倍の速さで肌が剥げ落ちていきます。 さらに、人間の肌や皮膚は感染症や紫外線からの保護に大切な役目を担っています。 ハーレクイン魚鱗癬の新生児の多くは、生後から数日程で感染症にかかってしまい、その後呼吸困難が原因で亡くなっています。 また、ハーレクイン魚鱗癬の患者は熱中症にもなりやすく、汗をかく機能も失っているので、皮膚もすぐにはげ落ちてしまうのも特徴の一つです。 ハーレクイン型魚鱗癬を患ってインドで生まれた新生児について。 病院で観察が続けられているその赤ちゃんの母親は名前すら付けられておりませんでした。 ハーレクイン型魚鱗癬をみた母親は『娘はエイリアンみたいだ』とショックを隠しきれていませんでした。 しかし、ハーレクイン型魚鱗癬を患った新生児を見ようと、続々と病院へ人が訪れるケースがあります。 その多くの人が『ハーレクイン型魚鱗癬という病気を患っているがこれはヒンドゥー神の生まれ変わりで、崇拝すべき存在』と口々言ったという。 ハーレクイン型魚鱗癬を患った新生児の父親は『私達にたいして、良かれと思いヒンドゥー神はハーレクイン型魚鱗癬の赤ちゃんを授けてくれました。 ハーレクイン型魚鱗癬という病気を抱えてはいますが、産まれた理由は必ずあります。 健康に育つことを祈るばかりです』と落胆した様子で話したという。 ハーレクイン型魚鱗癬以外でも、奇形をもって誕生した新生児は、インドでは神格化されやすく崇拝の対象になるという。 ハーレクイン魚鱗癬には根治療法がなく、皮膚の症状に対しては、ワセリンや保湿剤を塗り込むなどの治療を行います。 重度のハーレクイン魚鱗癬の場合、呼吸の管理や皮膚が感染症を起こさないようコントロールを行う治療も行います。 ハーレクイン魚鱗癬は皮膚に発刊障害があります。 そのため、体温が上がりやすく、体温の上昇には気を付けなければありません。 皮膚の保湿だけではなく室温のこまめな調節が重要です。 ハーレクイン魚鱗癬で失われる皮膚の量を考慮して、患者は十分な栄養をとる必要があります。 ハーレクイン魚鱗癬の症状は、皮膚のバリア機能が低下することです。 皮膚の保湿に努めることも大切で、厚なった皮膚は剥がしたり、こすり落としたりすると有益なケースもありますが、皮膚は無理には剥がさないほうがよい。 2次的に皮膚が細菌感染を起こしてしまう可能性もあるので、入浴などで皮膚を清潔に保つ。 そしてお風呂に入ると皮膚バリア機能が弱まってしまうので、入浴は皮膚に必ず保湿剤を塗る必要がある。

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2016年10月、米ワシントン州に住むアリシア・バーバーさん(27歳)は双子を妊娠した。 しかし胎児の1人は妊娠中に死亡し、残った1人は妊娠7か月の時に「道化師様(ハーレクイン)魚鱗癬」と診断された。 医師からは「出産しても生き残る可能性は2%しかない。 中絶を考えたほうがよい」と告げられたが、その子が今年5月に1歳の誕生日を迎えた。 『USA TODAY』『Metro』などが伝えている。 ワシントン州チャッタロイに住むジェイミソン君は、先天的異常により皮膚表面の角層が非常に厚く、まるで魚のうろこのような皮膚を持って生まれた。 出生数50万人に1人の割合と言われる難病の、皮膚が乾燥すると表面がひび割れ、固まりとなって剥がれ落ちる。 帝王切開で出産後、我が子を初めて目にしたアリシアさんは、ジェイミソン君の赤く腫れあがった唇や目、普通と全く違ったその容姿を見てかなりのショックを受けたという。 アリシアさんは当時を振り返り、こう語っている。 「出産前に、医師からこの病気の患者の写真を見せてもらったりして心の準備はしてきました。 それでも出産までは怖かった…。 そしてあの子を最初に見た時、我が子を思い切り抱きしめてあげたい。 『大丈夫だよ』って言ってあげたい。 そしてこの子はきっと病気と闘ってくれると思ったのです。 それでも私は感情をコントロールすることができませんでした。 喜び、希望、恐れ、悲しみ、全ての感情が一気に噴き出したのです。

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