たくさんあっただろう。 『Nizi Project』デビューまでの道のり【Part 1前編】 地域予選〜東京合宿を一気に振り返る

炭焼に挑戦 昔風の土窯づくり

たくさんあっただろう

ADHDの特性?昔のことをよく覚えている件 ぼくは過去のとある出来事をこと細かく覚えている。 たとえば、両親のケンカ内容などのつまらないことなんかもだし、好きだったことなど楽しいことも。 昆虫を捕まえに行った場所のことやその場所における 昆虫がたくさん獲れたポイントはどこか。 化石にハマってたときに、埋めたら化石になるんじゃないかと思って 埋めた石の場所とか。 スーパーマリオ3では ワールド1-3で裏ゴールに行けるとか、 ここの土管はもぐれるとか。 パートナーの お友達の最終学歴はどことか……これはちょっと怖いけどw まぁこんな感じで、 「とあること」の記憶が非常にこと細かにある。 この「とあること」はなんなんだろうか?ということなんだけど、 どれも自分が強い興味のあることなんだよね。 この自分が強い興味を持ったことの記憶って前後の場面記憶というか、 写真のように情景が浮かぶんだよね。 たとえば、化石ごっこみたいなことをするのに使ったバケツの色とかスコップ、拾ってきた石があった場所まで覚えてる。 これが映像でパァーッと浮かぶ。 他にも、 国語の授業で苦しんだ「ごんぎつね」のプリントの配置。 初めてブラックバスを釣ったときのルアーの色と場所。 建て替える前のおばあちゃん家の構造。 全部記憶に鮮明にあって、こんなものがポンポンポンと浮かんでくる。 ADHDじゃない人からすると特殊な特性に映るみたい これって自分にとっては特に気にならないというか、普通のことでなんの違和感もなかったんだけど、パートナーとか弟に聞くとちょっと特殊なようだと気づいた。 まず同じ時間を共有しているはずの弟は、これらのことを何一つ覚えていない。 パートナーも昔のことはあまり覚えていないよう。 パートナーと一緒に昔のゲームをすると、アイテムのある場所などをあまりにも覚えているため驚かれる 笑 へー、これってじゃあADHDの特性なのかなぁ?なんて思ったんだけど、こういうことってあるんでしょうか? 興味のないことは最近のことでも全く覚えてない特性 一方で、 興味のないことや関心の薄いことについてはまるっきし覚えていない。 Rちゃんの彼氏がどうのこうのとか、Kくんの赤ちゃんが生まれたとか…… そのときは「赤ちゃん生まれたんだ、おめでとう!」って思うんだけど、ついぽっちゃり…忘れちゃう。。 おめでとうを言った数ヶ月後…… の画像かなんかで赤ちゃんの写真をみて、 「へぇ、Kくんは赤ちゃん生まれたんだね!」 なんて言うと、とっくだしその話したじゃん!となる。 だが、ぼくは全然覚えていない。 Rちゃんの彼氏の話なんて毎回、毎回聞くたびに新鮮だ。 たとえば田舎出身とかそういった、途切れ途切れの情報は残っている。 でも、連なった情報というかこういう話をした!みたいなことは覚えていない。 今もその彼との会話などを思い出そうとして、ブログ書いてるんだけど全然情報を覚えてない…… うーん、ダメ。。 笑 とにかくこういった感じで、 「この前その話したじゃん!」 「前にも言ったけど!」 みたいなこと、ときより失礼にあたることがよくある。 これもADHDの特性なんだろうか? まぁ人よりは振り幅が大きいというか、ちょっとしたことを覚えていないというよりは振り切りすぎてる状態で覚えてたり覚えてなかったりするのかも。 なんで石を拾った場所やバケツの色を覚えてて、友達の赤ちゃんが生まれたことを覚えてないんだ!っていうw まぁこれも キャラクターですよね。 時に失礼に。 でも特性は個性でありキャラクターである このブログを読んでくれてるあなたも、きっとこういうことってあるのかもしれないけど、 あぁ自分はダメだなぁなんて思わなくて大丈夫! 前向きに捉えたら、 これだって個性だしキャラクター。 ときにはとっても失礼にあたるということだけ肝に命じて、あとはキャラクターとして愛されるように他のことをがんばろう! 失礼にあたる場面、たとえば仕事で得意先の管理者の子供の話とかは全部メモするとか工夫はしてます。 この一工夫がADHDにはとっても大切なんだと思う。 あなたもこういう極端な覚えている、覚えていないってありますか? おれはもうねむい。 宮町 連コメすいません。 好きなこと、興味のあることなら覚えられるって人は、私の周りのADHDっぽい人にもいますが、私は好きでも忘れてしまう。 感動した曲や、人の名前も…。 なので、blog主さんにも羨ましいなという気持ちあります。 かといって、諦めても死ぬだけなので、何かないかなと探したら、名前を覚える工夫をされているブログがありましたので、お節介になるかもですが、url貼っておきます。 よければ、参考になさってください。 いつもコメントながくて、すいません。 きゃらうぇい なんか、すごくわかる気がします・・・。 覚えてるんですよ。 昔のことを変に・・・、それも妙に細かく覚えていたりします。 なので、友人には「よくそんなことおぼえてるね」とか言われますが、ただ、記憶は断片的なんですよね。 良いことだから覚えているとか、悪いことだから忘れるとか、そういうのでもないです。 劇的なことだからでもないです。 割と最近のことで、自分で覚えておこうと思ったことを忘れたりするのに、過去の些細なことを細かく覚えていたりします。 記憶力がいいというのは、記憶をとどめておく能力ではなく、記憶を引き出す能力なのだと聞いたことがありますが、おそらくその記憶の引き出しが、引っ張り出し易いところにあるんでしょうね。

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覚えているはずなのに、思い出せない原因は○○にあった

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30年以上前の当時、インターネットなどの情報が無い頃。 現在でも多くの医師が充分には理解していないアルビノという存在。 そもそもアルビノという言葉すら認知されていなかっただろう時代。 母はその日から、3人目の息子を、はじめての"白い子"を育てることになった。 アルビノは遺伝子疾患だと今でこそ解明されているけれど、それでも感覚的には「突然変異」のように解釈されている。 僕の先祖代々をみても、アルビノだった人はいなかったようで。 父も母も、兄たちも「普通の日本人」の家族に突然、真っ白な赤ちゃんが生まれた。 とても信じられない、それこそ理解を超えた存在として僕がやってきた。 動揺しなかったはずもなく、何軒もの病院に足を運び、母は僕が何モノなのか、大丈夫なのかを聞いて回ったのだそう。 それもそう、誰もが"よくわからない"と答えるしか無いような時代、存在。 その頃は根拠もなく「短命だろう」「知的障害があるだろう」「皮膚がんになるだろう」などと言う医師も多かったと聞く。 その足で、どれくらい情報を集めて回ったことだろうか。 不安だらけの時の中で、かすかな希望を探り続けるような日々。 そしてようやく手にしたのは「日差し(紫外線)に注意が必要だ」という事実と「それ以外は健やかに育っていけるだろう」という安心だった。 弱視であることがわかってからも、母は一般の幼稚園、地元の公立小学校・中学校へと僕を進めた。 入園・入学の都度、僕をつれて学校へ、事前に"息子の説明"をしに行った。 僕も少し憶えてる。 校長先生の前で「普通の子なので、日焼けだけ気をつけてもらえれば」。 学校での過ごし方は、兄たちがいたこともあってか、わりと何も先手を打たなかった。 僕は兄たちにたまに面倒をみてもらいながらも、友達や担任の先生とのやりとりの中で、自分の出来ること・出来ないことを知っていった。 小学2年生になった時だと思うけれど、視力が弱く黒板がよく見えないことに気付いた僕は、授業のはじめ、先生に向かって「黒板が見えないので前の席にしてください」と、恥ずかしさからか顔を真っ赤にしながら言った。 同じくその頃、日焼けに注意が必要だとわかってはいたけれど、曇り空なら大丈夫か~などと、幼い頭で勝手な解釈をして、プールの授業を楽しんだ。 挙げ句、全身を真っ赤に日焼けして大変なことになったりした。 普通の兄たちと違って、僕には出来ないことがある。 そんなアルビノの僕を、母は決して悲観しなかった。 僕が知らなくて困っていたら「日焼けすると痛いから、日焼けしないようにしなさい」とか「人より視力が弱いから、困ったら人に聞いたり道具を使ったりしなさい」と、ひとつひとつ教えた。 もちろん母自身がわからないことも多かっただろうけれど、それも「(指をさしながら)アレは見えてるの?」「今は眩しいの?」と、僕に聞きながら一緒に理解をしていった。 そんな母が、ほとんど毎日のように言っていた言葉が、これまでの僕を生かしてきた。 「幸司は、人と違ってお人形さんみたいに可愛いのよ」 「あなたは、みんなと違って真っ白でとてもキレイね」 母は、とても簡単には理解できなかっただろうアルビノという僕の存在を、一度も否定しなかったどころか、誰よりも一番に肯定し続けていた。 やんちゃしていたこともあったし、わがままで困らせたこともあった。 僕のせいで頭を下げたこともたくさんあっただろうし、けれど、普通の兄たちと同じように、息子として叱り、しつけもした。 母がそうして、アルビノの赤ちゃんを強く肯定し続けながら、ひとつひとつ、ゆっくりと一緒に知りながら、僕を育ててきたこと。 そこから、アルビノとしての僕が、今の僕がこうして生きていられることに、感謝しか無い。

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こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話のレビュー・感想・評価

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同じような質問はたくさんあっただろうし こういう場合の回答は、ある程度出尽くしていると思うのですが、あえてさせて頂きます。 昨年の暮れの失恋から立ち直れません。 出会ってからはか れこれ10年くらいの月日がたっているでしょうか。 自分にはある程度の恋愛感情はあったと思います。 8年くらい前から、たまに2人で出掛けるような仲になりました。 付かず離れずの距離が数年続き 異性の仲良しの友達という感じでしょうか 、その間自分には他に付き合っていた女性がいたりして、うまくいかなくなった時などは彼女がいつも支えてくれていたのを思い出します。 本当に彼女の存在は心強かった。 2~3年くらい前からは、泊まりで旅行に行くような仲になり、昨年の夏前くらいから一気に距離が縮まりました。 12月の彼女の誕生日に、自分なりに、想いをいっぱい詰め込んでお祝いしました。 25日のクリスマスにも合う約束をしていましたが 誕生日のあと彼女から「早く会いたい!毎日誕生日だったらいいのに!」と、ラインをもらい、自分は舞い上がりました。 指折りクリスマスまでの日にちを数え、ようやく25日を迎え、彼女に告白しました。 しかし、誕生日直後「早く会いたい!」と言っていた彼女は、そこにはいませんでした。 2日前の23日、幼少の頃からの幼なじみに結婚を申し込まれ、彼の気持ちに半信半疑ではあったものの、OKしたそうです。 手遅れでした。 誕生日の直後、彼女の気持ちが自分に向いたあの時、すぐに気持ちを伝えてくれていたら、選んだのはあなただっと言われ、悔しさで押し潰されてしまいました。 「少しだけね。 遅かったの」 今でも彼女の言葉が頭を駆け巡ります。 本当に大切な人は、案外一番近くにいる… よく聞く言葉ですが、本当にそう思いました。 もっと早くに想いを伝えることなんて、いくらでも出来たはずです。 よそ見をし、何かあった時だけ彼女に頼り、それでも支えてくれた彼女。 都合よく、彼女の存在を利用していたと言われれば、その通りです。 全部自分が悪いのはわかっています。 「虫が好すぎる話しだけど、友達関係は続けたい」と、彼女のほうから、言ってくれました。 少し前なら、それも出来たでしょうが、完全に彼女のことしか見えなくなってしまっている今では、幸せになっていく彼女を、そばで見ていることなんて出来ません。 嫌われる事を言いまくって、大喧嘩でもすればいいのでしょうか… 前に進むには、彼女のことは忘れるしかありません。 今はそれも出来ません。 楽しい思い出が多すぎる… 友人数人に話しをきいてもらい、その時だけは気が楽になるのですが、1人でいる時間、彼女のことを考えない時間はありません。 彼女の幸せを願っているなんて格好いいこと言えればいんですが、 正直、今はそんなふうに思えません。 最低なのはわかっていますが、みんな不幸になればいい。 自分より辛い思いをしてる人、生きるのに必死な人、そんな方達がたくさんいることもわかってます。 時間が解決してくれる…本当なのでしょうか… この、胃袋を握り潰されたような痛みが消える日は、ほんとうに来るのでしょうか… 新しい年を、こんなに重苦しく迎えたことはありません。 何をやっても楽しくありません。 大好きな年末のダウンタウンの特番も、楽しむことができなかった… 何もしたくない…何も考えたくない…無機質になれれば楽になれるのかなぁ… 長文、失礼いたしました。 失恋は辛いものですよね。 何もしたくなくなるし、自分が生きているのかさえ わからない生きてる屍のような気分になります。 彼女のことを忘れるしかないと言われていますが 忘れるのは無理だと思います。 それだけ彼女の存在が大きく、自分の心の中で ほぼ彼女で埋め尽くされているのに、 その存在を「なかったこと」にしてしまうのは無理です。 考えてしまうだけで辛く切ないのは良く分かります。 それでも、忘れられない人というのは人生の中で 増えていきますし、生涯忘れることもなく そして大事な思い出となっていくと思います。 時間はかかりますが 切ない大事な思い出として、記憶の中に整理されるしか ないのではないでしょうか。 自分の真剣だった気持を忘れることはできません。 彼女との思い出を少しづつ、大事な思い出として 整理できていけばいいですね。 彼女との思い出は、もう忘れることの出来ない宝物に なっていると思うのです。 それを少しずつ整理していって、 たまに思い出して、切なさやなつかしさを味わう。 そんな風にできたらいいですね。 彼女との大事な思い出は、生きていく中で 本当に、かけがいのない宝物になってくれると思います。

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