千と千尋の神隠し 幻のラストシーン。 【ジブリ都市伝説#1】千と千尋の神隠しの幻のラストシーンについて!?映画館で観た人続出!?

千と千尋の神隠しの幻ののラストシーンについてです…自分もこれを...

千と千尋の神隠し 幻のラストシーン

急いでいたはずがトンネルを見つけるやいなや、無邪気に入っていき母親は「車にあったサンドイッチを持ってこればよかった」と発言さえしています。 これは 「千尋達は事故に遭い、瀕死状態の中臨死体験として異世界の夢を見ている」という説を考えればこの違和感は解消されます。 トンネルは臨死体験をした人達が天に向かうトンネルであり、日暮れから現れた大きな川が「三途の河」です。 戻ろうとした時には川になってしまい「この世」には渡れなくなってしまったのです。 」といったもの。 実はその先のラストシーンを見たとファンの間では囁かれています。 両親が食べた食事は 「神様のおもてなしの料理」であり、 「迷い込んだ人間を罠にかけるもの」とも考えられます。 豚になったのは、 「豚のように欲望のままに食べ物を貪り尽くし、罠にかかった結果「喰らい尽くされる側」となったと考察されています。 宮崎駿監督は、バブル時代「喰らい尽くされる側」の人たち 豚そのものになってしまった人)が多く存在していて、今でもそのことに気がつかずに「不景気だ、餌が足りない」と言い続けているとコメントしています。 貪欲であり欲に忠実な愚かな人間の象徴をあらわしているのが豚なのです。 早い話、後先をしっかり考えて行動しろとも取れますよね。 宮崎駿監督は 「カオナシは誰の心にも存在する」とコメントしています。 カオナシは思春期の心の象徴であり、 不安や恐れといった思春期のもやもやとした感情がデフォルメしてあらわれた存在だと言われています。 千尋は最初はカオナシを拒んでいましたが、のちにカオナシを鎮め、招き入れることでひとつ成長するのです。 のちに宮崎駿監督による後付けされた冗談であると明かしています。 ですが並んだところを見ると目元やなで肩具合が似ており、「確かに似てる!」と思わずに入られません。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がモチーフとなっているといわれています。 銀河鉄道では、死者を天上へと運ぶ汽車であり乗客や車掌は黒く描かれています。 また周囲には何もない闇の中に線路が続いており車窓から草花や星々が見え、時折プラットホームだけの駅が現れるといった類似点が千と千尋にも見受けられます。 銀河鉄道の夜がモチーフとなっているのであれば、 千尋達が乗った乗客や車掌も死者ということになります。 宮崎駿監督はこの美しい風景を「千尋にこの世界にもきれいなところはあると知ってもらいたかったから描いた」とコメントしています。 世界の汚い面に翻弄されたとしても、少し外に出てみれば綺麗な世界があると我々にも伝えたかったのではないでしょうか。 宮崎駿監督は 「これだけ経験を経てきた千尋は両親がいないことがわかる。 なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 」とコメントしています。 湯屋で多くを学んできた千尋は、生還するためにこれまでに培ってきた智恵を使ったのではないでしょうか。 例えるなら、仕事のノウハウがある人とない人ではその結果はまちがいなく違います。 日本はすべて風俗産業みたいな社会になっているじゃないですか」 宮崎駿監督日本版プレミア誌上コメント 宮崎駿監督はそうコメントしています。 大人の社会にまだ子供である千尋がぶつかっていき心身ともに成長する物語として描きたかったのではないでしょうか。 「千」とつけられた名は源氏名といわれると納得してしまいますね。 本来は「萩野千尋」ですが、契約書に書いた名前は「萩」の「火」の部分が「犬」になっているのです。 そのおかげで本来契約は成立しておらず、千尋は元の世界に戻れるようになったともいわれています。 千と千尋の神隠しのその後はどうなる? ハクは千尋を元の世界へ返すことができます。 別れ際「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。 平気さ、ほんとの名を取り戻したから。 元の世界に私も戻るよ」とセリフを残します。 幻のラストシーンのようにハクが龍神として新しい小川に戻ってくれるのが一番幸せなおわりではありますが、ファンの間では「すべてのことはルールに従わなければならない」ため「八つ裂きにされる運命」を受け入れているのでは?と推測されています。 ハクの手が最後まで名残惜しく残るシーンは宮崎駿監督が「二人の永遠の別れを表現している」という記述が残されているようです。 千と千尋の神隠し都市伝説裏設定まとめ まだまだ探せば多くの都市伝説や裏設定がありそうですよね! 何度見ても新しい発見がある千と千尋の神隠し。 裏設定や都市伝説を知った上で視聴するとまた違った観点で楽しめるのでおすすめです。

次の

【都市伝説】「千と千尋の神隠し」の劇場公開限定の幻のラストシーンって知ってる?????(画像あり)

千と千尋の神隠し 幻のラストシーン

今日はネットロアらしい都市伝説の話を。 実は千と千尋の神隠しには、「幻のラストシーン」があり、それは映画館で数日しか公開されず、カットされたという都市伝説です。 その「幻のラストシーン」は以下の通り。 ・千尋が車の中で来る前に着けていた髪留めが銭婆から貰った髪留めに変わっていることに気が付き不思議がる 何故かは覚えていない ・新居に向かう途中、丘から引っ越し業者が既に到着しているのが見え母親が「もう業者さん来ちゃってるじゃないのー」と父親に怒る ・新居に到着後、引っ越し業者の1人から「遅れられると困りますよー」と注意される ・千尋が1人何気なく新居の周りを歩いていると短い橋の架かった緑ある小川があることに気付く ・橋から川を眺めていると千尋は一瞬ハッと悟ったかのような状態になりこの川がハクの生まれ変わり、新たな住み処であることに気付いた?かのように意味深に物語が終わる まあ、普通に考えれば、ジブリ規模の全国公開する映画が、わずか数日で編集しなおす、なんていうことはないはずですし、もしそうだとしたら、もっと記録に残っていていいはずなので、これが都市伝説なのは間違いないです。 しかし、不思議なのは、私自身も、この「幻のラストシーン」のくだりを読んだときに、「あれ、なんか見たことあるな」という気分になったことです。 そして、この「なんか見たことある」現象は多くの人の間に広がり、一部では「これが真実だ!」となっているわけです。 というわけで本日は、この千と千尋の「幻のラストシーン」に関しての、ちょっとした妄想的考察を書きたいと思います。 このウワサの出所元は、日付検索をかけていくと、恐らく2014年11月21日の2chへの書き込みと思われます。 これ以前の日付で、、ハクが八つ裂きにされたんじゃないかという話しか出てこないので、ここがネタ元と見て間違いないでしょう。 2001年公開の作品なので、2014年に突然「幻のラストシーン」が見つかる、というのは非常に考えにくいです。 ところで、この 2014年11月21日という日付はとても大事なのですが、実はこの日、金曜ロードショーにて、「千と千尋の神隠し」がノーカットで放送されたんですね。 平均視聴率も19. 6%と、かなり高い数字だったことも記録に残っています。 なので、この頃のtwitterを眺めると、この千と千尋のラストシーンに関する言及が多く見られます。 千と千尋、ラストもうちょっと続きのシーンなかったっけ?引っ越し業者が先に着いちゃってるとことか。 車中のシーンとか。 つまり、「幻のラストシーン」に関するまとめが、 金曜ロードショーでの放映当日に流れることで急速に拡散されていき、ひとつの都市伝説として定着していった、という経緯なのだろうと予想できます。 しかし、この「幻のラストシーン」、どうして、こんなにも「なんか見たことある」気にさせられるのでしょうか。 これは私の妄想的考察になりますが、「なんか見たことある」気持ちになるのは、この「幻のラストシーン」の記述は、全て、 映画に実際に出てきた場面の寄せ集めだからではないでしょうか。 そのことがよくわかるのは、この「幻のラストシーン」について、twitterや書き込みでは、「全くその通りだ」というよりも、「 引越し業者のくだりはなんか覚えている」と言う方が多くいることです 「幻のラストシーン」の都市伝説は、こういう記述になっていますね。 ・新居に向かう途中、 丘から引っ越し業者が既に到着しているのが見え母親が 「もう業者さん来ちゃってるじゃないのー」と父親に怒る この「丘から~」という映像自体は、実は冒頭、タイトルの出る直前にあります。 母親が車の窓を開け、風が吹き込み、千尋が外を見やった後、カメラがあがっていき、まさに「丘」の絵が映ります。 そして、タイトルが出た後、千尋たちの車が丘をのぼっていきます。 また、別のシーンでは、トンネルの入り口まできた千尋のお父さんが、「ちょっと行ってみない?むこうへ抜けられるんだ」と言った言葉に対して、お母さんが不機嫌そうに答えます。 引越センターのトラックが来ちゃうわよ。 この2つのシーンが組み合わされば、上記の「丘から引っ越し業者が既に到着している」のを見た母親が「「もう業者さん来ちゃってるじゃないのー」と父親に怒る」シーンは完成しないでしょうか。 だからこそ、この「引越し業者」というくだりは、「なんか見たことある」既視感を植えつけるのではないでしょうか。 他のものも検証していきましょう。 ・千尋が車の中で来る前に着けていた髪留めが銭婆から貰った髪留めに変わっていることに気が付き不思議がる 冒頭数分間は全て車中の出来事です。 そしてラストも車中から遠ざかるトンネルを眺める視点から、車が走り去っていくカットで終わります。 ラストは「車の中」は映し出されませんが、明らかに車に乗っている表現は記憶に残ります。 そこで冒頭とラストの記憶の混同が出てくるのではないでしょうか(不思議がるシーンは出てこないのですが、千尋はよく不思議がってはいます)。 ・千尋が1人何気なく新居の周りを歩いていると短い橋の架かった緑ある小川があることに気付く 小川のシーンは一つだけあります。 家族でトンネルを抜け、野原の先へ進むシーン。 お父さんが「川を作ろうとしたんだね」と発言しています。 そして、橋に関しては、湯屋へつながる赤い橋が印象的ですね。 「緑ある」小川、というのは、この川のシーン前後の、風に揺れる野原の様子から連想されるものではないでしょうか。 ・橋から川を眺めていると千尋は一瞬ハッと悟ったかのような状態になりこの川がハクの生まれ変わり、新たな住み処であることに気付いた?かのように意味深に物語が終わる 橋から川を眺めるシーンは正確にはありませんが、欄干(のような場所)から海を眺めるシーンは存在します。 川の神様を引き入れた後、リンと千尋が部屋で話すシーン。 ちょっと話は変わりますが、ジブリには「引越し」から始まる映画がもう一つあって、『となりのトトロ』も、引越しの車に家族全員が乗っている、というシーンから始まります。 で、実はトトロにも、小川を覗き込むシーンがあります。 これは、引越し先についたすぐ後に、サツキが「メイ、橋があるよ」といって、覗きこむシーンです。 『千と千尋』を見た人が『トトロ』を見ている確率は結構高いと思うので、このシーンが記憶に引っかかっている、ということもないでしょうか。 そして、「ハッと悟った」というところですが、結構千尋は「ハッと」していて、特に、ハクの背中にのっている時に千尋が自分の過去を思い出すシーンは有名じゃないでしょうか。 この絵も、「ハッと悟っ」ているようにも見えます。 というように、この「幻のラストシーン」の記述は、『千と千尋』で出てきた場面をつなぎあわせたようにも見えます。 特に、「引越し業者」のくだりは、何気ないセリフなので見過ごしがちですが、これは冒頭に出てくるセリフであり、千と千尋の物語構造において、冒頭とラストが対の関係になっていることを考えると、ラストと混同してしまう、ということはない話でもないような気がします。 私は心理学の専門家ではないので、今回の私の妄想がどこまで人間の心理的に有効なのかはわかりませんが、古来から言われている、「マコトらしきウソをつくなら真実をまぜろ」というような手法のようにも思えます。 もし仮に、この都市伝説を広めた人が意図して行ったとしたら、それはそれは、大成功を収めています。 これだけ考えても、それでもやっぱり、「なんか見たことある」気分が抜けないのですから。 人の記憶はまったく、あてにならないものですね。

次の

《幻のエンディング》が存在した!?「千と千尋の神隠し」の都市伝説

千と千尋の神隠し 幻のラストシーン

冒頭と結びに登場する彼女ですが、千尋に対してやたらと冷たい態度を取っているように思えます。 対照的に、千尋が迷い込む世界で支配者として君臨している湯婆婆(CV:夏木マリ)は、息子の坊(CV:神木隆之介)に対し過保護であり、かなり甘やかしている様子。 しかし、甘やかされてばかりで何もできなかったはずの坊はネズミに変えられ、家を飛び出し旅をすることで、最終的に千尋の味方をします。 2本足で屹立し、湯婆婆から自立したような状態になるのです。 そしてその描写があった直後、千尋は最後の試練を乗り越え、冷たい態度を取っていた母親のもとに帰ることができたのでした。 子育てにおいて、子どもを立派に自立させることはひとつのゴール。 一見淡白そうな千尋の母親でしたが、やはり最後には帰るべき場所として設定されており、千尋がそれを見失うことはありません。 2人の親の対立構造は、甘やかしてばかりが親の在り方ではないというメッセージになっているようにも感じられます。 宮崎駿監督いわく「カオナシなんて周りにいっぱいいますよ。 中略)ああいう誰かとくっつきたいけど自分がないっていう人、どこにでもいると思いますけどね」とのこと。 彼はカオナシという名前の通り、「個性を持たない」存在として表現されているようです。 実際、カオナシは千尋に自分のことを尋ねられたとき、かなり困ったような表情をしていました。 「自分がない」、「自分の居場所がない」からこそ他者の欲望を煽って自身に取り込み、パーソナリティを得ようとしたのでしょう。 カオナシはしばしば千尋にお金を渡そうとしますが、彼女は断り続けました。 この行為からカオナシは「欲望の象徴」なのではないか、という考え方もあります。 そして、一連の掛け合いや砂金がやがて泥へと変わってしまったことを考えると、この作品には「お金では買えないものがある」というテーマも存在するのかもしれません。 海原電鉄の黒い乗客 3週連続冬もジブリ! 来週は世界が絶賛、日本映画市場圧倒的なNo. 乗客が黒い影で表現されている理由は、作者が宮崎駿であることに注目すれば紐解けそうです。 宮崎駿は宮沢賢治の影響を強く受けていることで有名です。 海原電鉄は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が背景にあると思われます。 死者をあの世へ送るための銀河鉄道に着想を得ているのだとすれば、『千と千尋の神隠し』で舞台となっている八百万の神がいる世界は「あの世」に重ねられているのかもしれません。 海原電鉄の乗客が亡くなった人々として黒い影になっているのも頷けるのではないでしょうか。 その説を支持した場合、『千と千尋の神隠し』という物語は"千尋が味わった一時の臨死体験"とも言えそうですね。 千尋さんは書き間違えただけなのか、わざと間違えたのか…気になるところですぅーー😳 — スタンリー@金曜ロードSHOW! それはなぜなのか。 物語の中で明示されてはいませんが、実は彼女が生還できたのにはきちんと理由があります。 千尋は湯婆婆との契約の際、「萩野千尋」の「萩」の字を「获」と書き間違えていました。 そのおかげで契約は成立しておらず、千尋は現実世界に帰ってくることができたのです。 後にハクからも「湯婆婆に本当の名前を教えてはいけない」と言われた通り、本当の名前でなければあの世界に縛られることはなかったのです。 しかし、ハクは湯婆婆との契約をしっかりとしてしまったせいで、現実世界に帰ってくることはありませんでした。 普通の人より少し遠くを見ていたり、人の内側を見ているような瞳になるように描かれているそうです。 同じような場面は、世界中の逸話にしばしば登場します。 「見るなのタブー」とも言われるこのような描写は、日本の神話やギリシャ神話、旧約聖書にもあり、身近な話としては『鶴の恩返し』などが挙げられます。 物語の結びに古来から用いられてきたそんなお約束を踏まえた上で、千尋に「振り向かないで前を見て進め」とエールが送られているのでしょう。 「行き」のトンネルと「帰り」のトンネルが違うのはなぜ? 荻野一家はトンネルをくぐって神々の世界に足を踏み入れましたが、現実世界に帰って来たとき、トンネルは行きとデザインが異なっていました。 これには、「神々の世界には現実世界と別の時間が流れており、現実世界のトンネルが経年劣化した」という解釈もあります。 しかし、冒頭に建築関係の仕事をしている千尋の父が、トンネルは「モルタル製」であることに触れていますから、帰りのトンネルが石造りになっていることを考えるとその線は薄いのではないでしょうか。 最初から、行きのトンネルには神々の世界に導くための魔法がかかっており、もともと例のトンネルは石造りだったと考えた方が良さそうです。 ユニークな名前が並んでいます。 リンさんの横には「コイ」「ふな」「トロ」…魚の姿をしているのでしょうか。。。 そのほかにも「馬」「へそ」など気になる名前がたくさんあります。 — スタンリー@金曜ロードSHOW! とはいえ、作品の中では風俗のモチーフとして湯女が用いられたわけではありません。 宮崎駿は過去にエンタメ雑誌「プレミア」で、「"あれは日本そのものです。 (中略)みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。 日本は少し前までああいう感じだったんです。 "」と語っており、風俗産業の表出というわけではなく、日本の労働環境のモデル化という面があるようです。 宮崎駿監督は最後のシーンについて次のように語っています。 「この物語は、何か思いのほか切ない話です。 特に終わり方が。 しかしどの情報も、肝心となるエンディングの内容はストーリー中の様々な場面をつぎはぎにくっつけたような印象を受け、支離滅裂です。 謎めいた展開が魅力であり、国内では他に類を見ないほどの人気作品ですから、「そういえばそんなシーンあったかも」と「幻のエンディング」の存在が本当であるかのように噂が広まってしまったのだと思われます。 これに関しては過去にネットメディアがジブリと東宝に取材をしており、言質を得ていますので、やはり「幻のエンディング」は存在しないようです。 最後の豚の集団に両親がいないと気づいた理由 物語の終盤、湯婆婆が千尋に課したテスト。 それは豚の集団から、豚になってしまった父母を当てるという難題でした。 そこで千尋はその場に父母がいない、と確信を持って湯婆婆に伝えたことで、元の世界へと戻ることを許されます。 なぜ千尋は答えを出せたのか?これについては様々な考察がなされていますが、宮崎監督も明言していません。 ただひとつ言えるのは、物語を通して千尋が大きく成長し、ある種の洗脳(魔法)が解けた状態になったということ。 宮崎監督も「なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 それしかないんですよ。 」と答えたそう。 映画の中での経験が、千尋にとって人生を生き抜く確実な力になったのです。 具体的な考察、説明は野暮なのかもしれませんね。 『いつも何度でも』は映画制作前に作られた 主題歌『いつも何度でも』の優しい歌詞は、本作の不思議な世界観と少女の成長物語に寄り添っているように感じられますが、実はこの曲は映画制作前に完成していました。 というのも、前作『もののけ姫』に感銘を受けた木村弓さんが宮崎監督に自らのCDと一緒に手紙を送ったところ、宮崎監督も気に入り、当時企画中だった『煙突描きのリン』が形になったら連絡する、ということで作品概要を木村さんへ伝えます。 そこから着想を得て作られたのが「いつも何度でも」なのです。 しかし、ある理由がありボツになってしまった『煙突描きのリン』。 曲もお蔵入りしかけましたが、当初『千と千尋の神隠し』の主題歌になる予定だった『あの日の川へ』の作詞が難航し、再度監督が『いつも何度でも』を聴き直したところ、歌詞が映画と合致していることに気が付いたそう。 そして主題歌に起用されたという不思議な繋がりのある曲だったのです。 幻の先品「煙突描きのリン」 先述した『煙突描きのリン』は、1998年6月から企画が進められていました。 物語としては、大地震に見舞われた東京を舞台に、銭湯の煙突に絵を描く18歳の学生・リンが、東京を影で支配する集団と対峙し、戦うというもの。 ですがその制作中、鈴木プロデューサーは鑑賞した『踊る大捜査線 THE MOVIE』で感じた「リアルな若者の気持ち」に衝撃を受けます。 そして、その気持ちを宮崎監督に伝えます。 若者とは言えない自分たちが、本当に若者の気持ちを表現することができるのか疑問に思ったというわけです。 結果監督も納得し、この作品が日の目を見る日はありませんでした。 その後、千尋と同年代の子どもたちに向けた『千と千尋の神隠し』を手掛けるのですから、制作側の心境の変化もうかがえます。 最後に 『千と千尋の神隠し』に関する噂や謎、作品に込められたメッセージやテーマについて考察しました。 公式の見解が出揃っているわけではないので、一概に言えることではありませんが、これほど考察が深まるのはジブリ作品の特徴であり、醍醐味といえるでしょう。 スポンサーリンク.

次の