ありがとう 愛し て た 何 が 愛 か 知ら ない。 ★自分を愛して愛して愛して、愛す

愛してる 愛してない

ありがとう 愛し て た 何 が 愛 か 知ら ない

言う事が目的になってませんか? 言うことが目的になってしまえば、それはただ犬と旦那に自己満足の相手を押し付けているだけで、愛や感謝ではなくなります。 それは「愛してる」「ありがとう」と言える自分が好きなだけです。 そもそも、愛や感謝って連発できるものなんでしょうか? 「言っておく」ものなんでしょうか? 努力して「言える自分になる」ものなんでしょうか? 仮にノルマのように毎日一回言い続けて、それができる自分に訓練して、 その言葉にどれくらいの信憑性や重みがあるんでしょうか。 (誰彼構わず口説くプレイボーイなら愛してるなんて毎日言いそうですが…。 ) ……………………………………………………… 人間なんだから、感情が揺れ動いて当然です。 約束を破られて、愛してると思えない日だってあるでしょう。 自分の感情を偽らず、(但しできる限り相手を傷つけもせず)相手を信頼し続けること自体が愛なのではないのでしょうか。 それがあるのなら、言葉の有無にこだわる意味はありません。 また、自分が「愛してる」と言うことで自分は何かを愛せる人間だと再確認しようとしていませんか? また、相手の反応によって「同じように自分も愛されている」と自己満足を得ていませんか? 自己満足と愛は相反する感情だと思います。 自己満足から愛を捉えていては永遠に何かを愛することはできません。

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よく知らないのに愛してる?

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夢を叶える145 【お風呂で言霊】「ありがとう」な世界に「愛しています」 どんな言霊があるの? バルス という、滅びの呪文 天空の城ラピュタ は有名ですね。 ラピュタ語で「閉じよ」の意味ですが、言霊の力を象徴しているかのようです。 「めんどう」「つかれた」「キライ」・・・ネガティブな言葉を使っていたら、人にも、自分にも、壊滅的な影響をおよぼすのです。 逆に、「開く」言葉を使っていたら、自他ともに幸せになっていきます。 お風呂を言霊空間にする 自分を変えるために、言霊を意識して 「呪文」を作ってみましょう。 そして、気がついた時に、どんどん呟いてみるのです。 「あっ!ヤバい失敗した」 「なんだか気分がダウン気味」 そんな時こそ、いざ実践です! お風呂場で、リラックスして呟きます。 呪文は現在進行系 呪文はハッキリと、現在進行形にします。 「私はデキる」 「良い結果が目の前に来つつある」 「きっと」「いつか」などの言葉で、 自信なさげな未来形で作らないようにしてください。 未来は現在が生むので、 「現在」に焦点を合わせるのです。 「ありがとう」 「開く」言霊の代表「ありがとう」には、深い意味があります。 有り難いこと、あり得ないようなこと。 存在し難いことが、ありがとうです。 奇跡ということですね。 この世の「奇跡」に感謝する言葉が、「ありがとう」なのです。 失敗も、トラブルも、この世の奇跡の一つの側面です。 すべてに感謝して「ありがとう」を繰り返すと、人生は変わります。 「ありがとう」から派生して、自分の呪文を作ってみましょう。 「私はもう幸せだった」「この導きに感謝します」・・・ 「愛しています」 「愛しています」には、「ありがとう」の意味も含んだ、最強のパワーがあります。 愛とは、 分離した世界を、つながった一つの世界に戻す力ですが、日本語では主語も目的語もなく、一体感のある言葉の使い方ができます。 ラテン系のような愛情表現はできないかもしれませんが、 一如の愛の世界を静かに表現できるのが、日本語です。 「ありがとう」な奇跡の世界とつながる、「愛しています」。 深い真理を音で表現する日本語の言霊で、あなたはどんどん変わっていくのです。

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愛や恋を知らない人生 愛する人がいること、愛してくれる人がいること、守る人がいること、家族がいることで人生にハリが出たりとかあるらしいですけど、一方で独りで生きている人もいますよね? 愛すことも、愛されることも知らない、もちろん結婚も子育ても知るよしがない 別に独り身を悪く言っているわけではありません。 「母は強し」とか「他人に弱みを見せれるのは強い」とか言いますけど、同じくらいに「独りで生きるのは強いことで辛いこと」と思います。 皆さんの周りの おおよそ愛や恋を知らない、家庭を持っていない、それ以上に、あまつさえ両親の愛すら知らない。 そんな人もいるかもしれません。 愛を知らない人たちは何を指標に、何のために生きているのでしょうか? この質問を私が立てるのも もう何年も恋人もおらず、恋愛至上主義的な世俗の中で、決められた給料で働き続けて、生きることに懐疑的になってしまっているからでしょうけど… 私は恋人がいたこともありませんが 自分のために生きてますよ。 別にわがままな性格とかではなくて。 好きなもの買ったり、好きなところに行ったりできるじゃないですか。 楽しみは自分で見つけるものだと思ってます。 小学生の頃は「100人友達つくろう」みたいなこと言われてましたけど 100人友達がいて、幸せなんですかね。 沢山友達がいる方が、幸せってことになるんでしょうか。 それってあくまでこの私たちが生きている時代での一般論ですよね。 私は一人や少数のお友達で満足というか それ以上は無理というか、向き不向きがあると思うんです。 恋愛に向き不向きがあるとは思いませんが 一人一人、恋愛の形は違うのでしょう。 まあ、そんな考え方なので 私は「一人でいいや」っていう道を選んでます。 恋愛至上主義的…。 物質的には進歩し、豊かになった面が大きい分、 生き方というのも多様化してきて、選択肢が多くなったのです。 昔から、「誰かにわかってもらいたい。 」「誰かの関心が欲しい」 これは、自明です。 恋愛をするには、勇気がいります。 自分をさらけ出すための。 自己否定をしてしまうと、恋愛関係は上手くいくどころか、 他人に関心も持てなくなるでしょうね…。 ある程度生きてくれば、人間関係でうけた心の傷は、誰しももっているものです。 そこを、上手く自身のために乗り越えないと、 心を閉ざしたままになってしまいますよ。 何か、思い込む理由をさがし、自身に原因を探さず、 外を見る目線を閉ざしていくのは、 紛れもなく自分自身なのです。 そこは、自己実現という分野です。 自分の人生をどうすべきか、こういったことに真剣に向き合ったとき、 自分が尊敬し、魅力を感じる相手を、自然と自分の価値観が見つけるものです。 恋に落ちるに値する相手を。 恋愛を必要としないというそぶりで生きていても、 殆どの人が、そうではありませんよ。 自身に向き合えない、向き合いたくないだけ…。 幸せは、2つあります。 自己満足と、 誰かを通して感じるもの。 いっぱいじゃなくていいから、 でも、両方なくては、 心からは幸せ。 と感じるのは難しいかも。 感性を磨いたら、 質問者さんにもステキな恋愛がやってくるかと。 穏やかに、女性らしくなりましょうよ。 可愛げがなくなると、恋愛、できませんよ。

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