吉田茂とこりん。 松嶋菜々子、『アメリカに負けなかった男』に吉田茂を支えた元芸者役で出演 「意識したのは“粋”」|Real Sound|リアルサウンド 映画部

吉田茂ドラマのキャスト出演者情報「アメリカに負けなかった男」出演者の代表作や来歴

吉田茂とこりん

細かいことには一切セコセコせず、人の好き嫌いもまったく忖度せずで顔に出す。 加えて傲岸不遜な発言丸出しのと、文学的素養豊かで神経これこまやか、物事を真っ直ぐ受け止める妻・雪子との夫婦生活は、とくに私生活においてスレ違いの連続だった。 とくに吉田のそれには、次のようなエピソードがある。 外務省の奉天総領事時代、ある有力なが訪ねてきた。 その政治家を気に食わなかった吉田は迎えにも出ず、領事館から逃げ出そうとしたが運悪く鉢合わせ、政治家いわく「総領事はどこだ」に対し、吉田は「いまいない」。 「そんなはずはないだろう」との押し問答の末、「本人がいないと言っているんだッ」と一蹴した件。 また、初めて高知から衆院選に立候補したとき、「演説はキライだ」と言ってはばからなかった吉田は、街頭演説にやむなく立った。 しかし、冬場ゆえ外套を着たままで演説を始めると聴衆からヤジがあり、吉田いわく、「外套を着てやるからガイトウ演説と言うんだッ」。 運動員の気苦労など、歯牙にもかけなかったのである。 こんな吉田だったから、私生活でもカミナリを落とすことは度々で、一方の雪子は常にオロオロするばかりだった。 また、ジョーク好きでもあった吉田は、機嫌のいいときは冗談を投げかけるのだが、雪子は敏感に反応することはなく、吉田を満足させられず、常に不機嫌にさせるのだった。 そうした生活の中でも、夫妻は5人の子供をもうけた。 なかでも一番、吉田が可愛がり、ウマが合ったのが、3女・和子であった。 和子は「九州の石炭王」として知られ、のちに代議士となる麻生太賀吉に嫁ぎ、3男3女をもうけた。 現在の副兼財務大臣は、この和子の長男にあたる。 和子は、のちに吉田がになると、事実上の秘書として陰に陽に「吉田政治」を支えることになるのである。 「海外にいるときの母は家庭内とは一変、なかなかの社交家でした。 外国人の友人も多く、パーティーに呼んだり呼ばれたりで、外交官の妻の役割は十分に果たしていたように見えました。 ただ、本当に社交家だったかというと決して派手ということではなく、母は内気でしたから、むしろ努力してその役割を果たそうとしていた部分が大きかったのかも知れません。 こうすれば日本のためになる、ああすれば日本人が重きを置かれるようになるという気遣いが、日常になっていたように思います。 母の一生が幸せだったかというと、父とはあまりにも性格が違い過ぎましたから、決して幸せだったとは言えなかったのではと思っています。 それでも死ぬ前の母の胸の中に浮かんだのは、楽しかったことばかりだったのではないでしょうか」 雪子は日米関係が悪化する一方の昭和16年5月、乳がんが発見されて入院・手術、しかし、その年10月に51歳で死去をよぎなくされた。 雪子の最期の一言は、和子の言葉にあるように「いままで生きていて楽しかった。 幸せでした」というものだった。 結婚生活31年。 当時、千代田区平河町にあった吉田の自宅を訪ねた弔問客を前に、さしもの吉田も「女房をもっと大事にするのだった…」と、目を赤くしていたものだった。 終戦の翌昭和21年5月22日、吉田は旧憲法下最後の「大命」として内閣を率いることになる。 折から戦後初の総が施行され、率いる自由党が第1党を制したが、GHQ 連合国軍総司令部 が「鳩山首相」に待ったをかけたことによる。 GHQは戦争責任者、国家主義者とみなされる人物をノー、パージ 公職追放 によって排除する方策を取った。 鳩山はこれに引っかかり首相の座を逸し、外務省時代から一貫したリベラル姿勢かつ英米派でもあった吉田にお鉢が回ってきたということだったのである。 首相を引き受けたときの吉田の胸中を、前出の自著で和子は次のように述懐している。 「 父は 『こんなことになっちゃって、和子は怒るだろうな。 済まない』と、まるで悪いことを見つかってしまった子供のような顔をしていました。 しかし、この時点で父が首相として敗戦国日本を引っ張っていく自信があったかどうかというと、これは怪しかったと思います。 花柳界・新橋で名を馳せた名妓「小りん」であった。 =敬称略 〈この項つづく〉 小林吉弥 こばやしきちや 早大卒。 永田町取材48年余のベテラン政治評論家。 抜群の政局・選挙分析で定評がある。 著書に『決定版 名語録』 セブン&アイ出版 、『21世紀リーダー候補の真贋』 読売新聞社 など多数。 あわせて読みたい•

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実は英語が下手?外交官たちの証言からみる吉田茂の英語力

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時を同じくして、 世界各国を飛び回っていた白洲次郎(生田斗真)も、世界情勢の機微を敏感に感じとっていた。 白洲と親交の深い吉田は、 娘・和子(新木優子)らが見守る中、戦争回避に向けて動くが、その甲斐も虚しく、日本は第二次世界大戦に踏み切った。 1945年、終戦。 総司令部GHQと向き合う外務大臣のなり手が誰も見つからない中、先の大戦に猛反対し投獄された過去を持つ吉田に、白羽の矢が立つ。 かくして 吉田は、外務大臣として、のちに総理大臣として、日本の独立と復興を担うことになる……。 吉田は白洲を参謀に据え、最高司令官マッカーサーらと必死の交渉をする。 過度な内政干渉など、幾度も緊迫した事態に陥るが、 和子や 麻生太賀吉(矢本悠馬)、 のちに総理大臣となる「吉田学校」の池田勇人(佐々木蔵之介)、佐藤栄作(安田顕)、田中角栄(前野朋哉)、宮澤喜一(勝地涼)らの助け、 内縁の妻こりん(松嶋菜々子)の献身的な支えを受け、日本の独立に向け尽力していく。 政治家・竹内綱の五男だが、実業家の吉田家に養子入りする。 駐英大使だったが第二次世界大戦後に外務大臣に抜擢され、のちに総理大臣(第45、48~51代)となる。 吉田茂が絶大な信頼を寄せる腹心。 イギリス留学して英語が堪能。 実家が倒産してため記者や貿易会社など仕事を転々とするなか吉田と出会う。 元総理・麻生太郎の母親。 自由奔放な父親をもつ反動でしっかり者だが、男勝りは父譲り。 吉田茂の後妻となり身近で支えた。 吉田茂の生前も死後もマスコミに何も語らず死去した。 麻生和子の旦那。 実業家だったが、吉田茂に請われて政治家になる。 素直で明るくて大酒飲み。 大蔵省の官僚で数字に強く、吉田茂から大蔵大臣に抜擢される。 沈着冷静な鉄道省官僚。 岸信介の弟で吉田茂とは遠縁。 池田は高校からのライバル。 国会議員。 農家の出身で中卒。 民主党を離党し、吉田茂から法務政務次官に抜擢される。 大蔵省の官僚。 池田勇人の秘書官の経て政治家に転身し、総理大臣として政治改革に挑む。 色気満点のスーツ姿に次ぐスーツ姿。 バリバリの英語。 やばみ。 色男が過ぎてんよ。 「アメリカに負けなかった男」 — む xxzzxxzzxx0 テレビ東京のスペシャルドラマ アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂を見てます。 やっぱり戦中から戦後にかけての政治家や官僚の話しは面白い気骨があって凄いな。 ドラマだから全部実話では無くてもこうゆうドラマから政治や出て来る人物に興味を持ち本を読んだりするきっかけになるから — とくお Ak0ZuoySCi6DTZN テレ東の「アメリカに負けなかった男 吉田茂」。 合成の仕上がりがひどい。 ハンドル回してないのに車が曲がる、、、 — gussan gussan120 いろいろな見方がありますね!.

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吉田 茂首相の息子とか後継ぎは、おられたのですか?麻生和子さんは、誰...

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吉田首相 吉田元首相と芸者小りん 吉田茂(1878〜1967)は、戦後で初の国葬でおくられた忘れ難い政治家である。 敗戦後の混乱期の昭和21年、第一次吉田内閣を組み第五次まで首相を勤めた。 戦後の経済復興、サンフランシスコ講和条約締結など敗戦日本の進路を定めた政治家として特筆される。 だが反面「バカヤロー解散」などで政治手法が非難された人でもあった。 撮影 吉岡專造 吉田元首相と芸者小りん(後の吉田夫人)は、一時は秘められた話題だった。 吉田氏は重臣牧野伸顕の女婿で夫人は雪子さんだったが、夫人は昭和16年死去した。 新橋芸者の小りんは、踊りの名取だったが、この頃外交官吉田氏と結ばれた。 そして秘密主義の吉田元首相は、戦後小りんを大磯の吉田邸にこもらせた。 小りんも公式には外に出ることなくマスコミも知られない存在だった。 その間、或るニュース映画社が御殿場の別荘の庭に居る二人を撮影しスクープをものにした。 そのカメラマンは付近の農家の便所を借りてカメラを据え、1週間後に映像化に成功したという。 小りんは、大磯で政治をあやつる吉田氏に仕えたが、一切政治には口をはさまなかったという。

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