マザー テレサ の 言葉。 マザー・テレサの名言・言葉(英語&日本語)

43の名言とエピソードで知るマザー・テレサ[英語と和訳]

マザー テレサ の 言葉

愛の実践の源は、このイエスに愛されているという実感である。 これを見失ったら、神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)の貧しい人々の中の最も貧しい人に仕えるという誓願を、シスターたちは果たすことができなくなってしまうとマザー・テレサは言っている。 "I love You. "と語りかけてくるイエスとは、想像ではなく、現実に見ることができ、声を聞くことができ、手を伸ばせば触れられるイエスのことを言っているのだ。 (ベナレスからのマザーテレサの遺書では次のように語っている。 ) どんなにか深くイエスはあなたを愛していることか、それはあなたの想像をはるかに越えています。 私はあなた方の中で、まだ本当にイエスと出会っていない人がいることを心配しております。 一対一、すなわちあなたとイエスだけで、という意味です。 私たちは聖堂の中で時を過ごします。 しかしあの方がどんなに愛をこめてあなたを見ているか、魂の目で見たことがありますか。 あなたは本当に生きているイエスを知っていますか。 それは本からではなく、あなたの心の中で、あの方と共に在り続けることによって知るのです。 あなたはあの方が語りかけてくる愛の言葉を聴いたことがありますか。 (それができるように)神の恵みを願いなさい。 あの方はその恵みをあなたに与えたくてしようがないのですから。 あなた自身の心の静けさの中で、イエスの声を聞けるようになるまで、あの方が貧しい人々の心の中で "I THIRST. "(私は渇く)と言っているのを聞くことはできないでしょう。 日常、イエスと親しく触れ合うことをあきらめてはいけません。 私が言っているイエスとは実際に生きている存在としてのイエスであって、頭で想像するイエスではありません。 「あなたを愛してます」というイエスの言葉を聞くことなしに、一日を終えることができるでしょうか。 いいえ、できません。 身体が呼吸するように、私たちの魂はその言葉を必要としているのです。 もし、そうでなければ、私たちの祈りは死んだも同然です。 黙想はただの考えている時間に過ぎません。 イエスはあなた方一人ひとりに、耳を傾けてくれることを求めています。 あの方は、あなたの心の静けさの中で語りかけているのです。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) マザー・テレサの講演【ノーベル平和賞授与式典にて】より抜粋。 私たちは愛するため、また愛されるために創られました。 そして、彼が私たちを愛されたように、私たちも互いに愛することができるように、イエスは人間となられたのです。 イエスはご自分を飢えているものになさいます。 着る物がない者に、ホームレスの者に、病気の者に、牢獄の者に、孤独の者に、望まれない者になさいます。 そしてこう言うのです。 「あなたがそれを私にしてくれた。 You did it to me. 」 彼は私たちの愛に飢えているのです。 それは、貧しい人々の飢えなのです。 そして、この飢えは、皆が気がつかなければならない飢えなのです。 それは私たちの家の中にもあるかもしれません。 イエスがこう言われたことを私たちは信じるのです。 「私は飢えていた。 着る物がなかった。 家がなかった。 望まれなかった。 愛されなかった。 大切にされなかった。 しかし、あなたはそれを私にしてくれたではないか。 "You did it to me. "」 私たちはソーシャル・ワーカーではないと思っています。 たぶん人々の目には、私たちがソーシャル・ワークをしているように見えるかもしれません。 しかし、私たちは黙想的な世界に生きているのです。 二十四時間、イエスの体に触れているのです。 二十四時間現存していらっしゃるイエスがいるのです。 あなたもそうなのです。 共に祈り、共に居る家族のために、神と共に在り続けるように努めなければなりません。 私は、家庭に平和をもたらすことを邪魔する爆弾や銃は必要ないと思います。 ただ共に集い、隣人を愛し、平和を喜び、そして、家庭で共にいることの力強さをもたらすことです。 この世にはあまりにも多くの苦しみ、憎しみ、そして悲しみがあります。 私たちの祈りと犠牲は、家庭から始まるのです。 愛は家庭から始まります。 私たちがどれだけのことをなすかということではなく、どれだけの愛をこめて行うかということです。 神は全能です。 私たちがどれだけのことをなすかということは、問題ではありません。 神は無限なる存在です。 どれだけの愛を込めて行うかが大切なのです。 私たちが仕えている人々の中におられる神に、どれだけのことができるかです。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) あの方はあなたを愛しているばかりではなく、それ以上にあなたを求めているのです。 あなたが近づこうとしたとき、あの方はとても淋しく思っています。 あの方はあなたに渇いているのです。 あなたがたとえ自分なんて愛される価値などないと思っているときでさえ、あの方はいつもあなたを愛しているのです。 あなたが他の誰からも受け入れられないとき、また自分自身ですら受け入れられないときでも、あの方だけはいつもあなたを受け入れてくれるのです。 子どもたちよ、イエスがあなた方を愛するのに分け隔てはありません。 ひたすら信じなさい。 彼にとってあなた方は宝物なのだということを。 あなたが悩んでいる全ての重荷をあの方の足下に置いてみなさい。 あなたがありのまま、あの方に愛されるためには、ただ心を開くだけでよいのです。 あとのことはあの方がやってくださるでしょう。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) 1946年9月10日にダージリンに行く列車の中で、マザー・テレサに語りかけてきた言葉についてである。 マザー・テレサは、「イエスが何を語りかけてきたのか、初めは理解できなかった」というのである。 しかし、イエスの母マリアはマザー・テレサに、「彼があなたに言われることは何でも行いなさい」と言い、マザー・テレサはただ「はい」と答えて従っていったというのである。 その9月10日のメッセージのことは、どの本にも、「修道会を出て、貧しい人々の中の最も貧しい人に仕えなさい、 と言われた」と、書いてある。 しかし、そのようなお告げなら、普通の人ならともかく、マザーテレサが理解できない話ではない。 事実は、"I THIRST. "(私は渇く)と言って、息を引き取る直前のイエス・キリストが目の前に現れてきたというのである。 そして理解できないでいるマザー・テレサに、今度はマリアがただ、「はい」と言ってついていきなさい、と言われたのである。 "I THIRST. "(私は渇く)と言って、十字架につけられたイエスがなぜ自分の目の前に現れたのだろう。 祈りを深めていくうちに、思い出されてきた新薬聖書の話に『マタイによる福音書』の一節があった。 「あなたたちは、私が飢えていたときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅にいたときに宿らせ、裸だったときに服をくれ、病気だったときに見舞い、牢にいたときに訪れてくれた」という。 すると義人たちは答えて、「主よ、いつ私たちはあなたの飢えているときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅のときに宿らせ、裸だったときに服をあげ、病気のときや牢に入られたときに見舞ったでしょうか」という。 主は答える、「まことに私は言う。 あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」 (『マタイによる福音書』第25章) 「あなたが私にしてくれた」すなわち、"You did it to me. "という言葉が、繰り返し心に響いてくるのだった。 何度もマザー・テレサは、"You did it to me. "という言葉を繰り返した。 この言葉が、すべての謎を解く鍵、キー・ワードだということがしだいに明らかになっていった。 人が「渇く」というのは肉体の渇きを意味し、イエスが「渇く」というのは、霊の渇きを意味している。 そして、人は渇きを癒すために「水」を与えるが、イエスは渇きを癒すために「聖霊」を与えた。 また、「水」で満たされた渇きはまた渇くが、「聖霊」で満たされた渇きは永遠に渇くことがない。 時間を経てマザー・テレサは、イエス・キリストが自分に何を求めているのか、ようやくすべてを理解した。 その求めに「はい」と応えたが、棄てなければならないものの大きさに最初の一歩を踏み出すことができなかった。 今のままでも十分イエスに応えていたはずだが、もっと違う生き方が求められている。 ためらっているマザー・テレサに、あたかも脅しをかけるかのようにイエスは呼びかけてきた。 これはダージリンに行く汽車の中で啓示を受け、その意味を理解したあと、行動できずに迷っているマザー・テレサに臨んできたイエス・キリストの呼びかけである。 マザー・テレサが亡くなってしばらくしてから、1947年1月13日に彼女がペリエ大司教に宛てた手紙が、インターネットに公開されたことがあった。 それを読むと、マザー・テレサは外部に対して一度も語ったことはないが、超人的な霊感を持ち合わせ、遥か時空を超えてイエス・キリストや聖母マリアと語ることのできる能力を持っている人であったことがわかる。 マザー・テレサは本当に苦しい選択に立たされていた。 イエス・キリストと語り、「私を選ばないでほしい」と説得しようと何度も試みたという。 何度も繰り返されるイエスの呼びかけを、マザー・テレサは本当に恐れた。 インド人のように食べ、寝、生活するという思いは、彼女の心を恐怖でいっぱいにしたマザー・テレサは長いこと祈った。 そして聖母マリアに頼んだ。 「このような役目をみんな私から取り除いてくださるよう、イエスにお願いしてください。 しかし祈れば祈るほど、「声」はより鮮明になって心に響いていった。 ついにマザー・テレサはあきらめた。 そして「イエスが望むどんなことにでも私を使ってください」と祈ったとき、再びいつもの声が彼女に呼びかけてきた。 その声は非常に鮮明だった。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) 最後に、私たちがどのようにしたら"I THIRST. "(私は渇く)というイエスの叫びが理解できるようになるのか、その秘訣を示して、この手紙(ベナレスからのマザー・テレサの遺書)は終わる。 ひとつ秘訣を教えてあげましょう。 それはイエスご自身に近づくことです。 あなたがイエスに近づけば近づくほど、イエスの渇きをより深く知ることができるのです。 「悔い改めなさい。 そして信じなさい。 」とイエスは言っています。 悔い改めるとは何を悔い改めるのでしょう。 それは私たちの関心のなさ、心の堅さのことです。 私たちは何を信じることができるでしょうか。 それはイエスの渇きが、今このときでさえ、あなたの心の中にあり、貧しい人々の中にあるということです。 あの方はあなたの弱さも知っています。 あの方はただあなたの愛だけを望んでおられます。 そしてただ、あなたを愛するチャンスだけを望んでおられます。 イエスは時間に束縛されません。 ですから、私たちがあの方に近づこうとすればいつでも、私たちは聖母マリアや、使途ヨハネ、そしてマグダラのマリアの仲間になれるのです。 あの方の声を聞きなさい。 あの方が呼んでいるあなたの名前を聞きなさい。 イエスよ、私の喜びと、あなたの喜びを、完全なものにさせてください。 祈りましょう。 God Bless You. (神の恵みがありますように) 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) イエスさま、私がどこにいても、あなたのかおりをはなつことができますように、私を助けてください。 私の心をあなたの霊といのちであふれさせてください。 私の存在に浸み通り私を捕えつくすことによって私の生活のすべてが、 ひたすらあなたの光をかがやかすものとなりますように。 私をあなたの光をかがやかせるものとしてお使いください。 私が出合うあらゆる人々が、 私の中にあなたのみ姿を感じることができますように、私のうちでかがやいてください。 主よ、人々がもはや私ではなく、あなただけを見ますように。 私の中におとどまりください。 そうすれば私があなたの光でかがやき、 私の光で他の人々もかがやくことができるのです。 主よ、光はすべてあなたからのもの、 ごく僅かの光でさえ、私のものではありません。 あなたが私を通して人々を照らしておられるのです。 私の周囲にいる人々を照らすあなたへの賛美を私の唇にのぼらせてください。 言葉でよりも行動で、 私の生き方、あなたから与えられる私のあなたへの愛が、目に見える光となって、あなたを人々にのべ伝えることができますように。 (PHP研究所『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』渡部和子訳) マザー・テレサがスラムの子どもたちのために青空教室を始めた頃、自分の弱さを感じながらも、祈りによって弱さと闘っていたという記述に、強く心を打たれました。 助けてくれる人がいない。 お金がない。 安全の保証もない。 ないないづくしの現実に、不安だけがふくらんでいくようでした。 実際、シスター・テレサはひどい孤独に襲われたこともあります。 当時の日記にはこう書いてあるのです。 「神よ。 今日の孤独は、なんと耐えがたいのでしょう。 私は耐えられるのでしょうか。 涙が止まりません。 こんなに弱い人間だったなんて。 神よ、弱さと闘う勇気をください。 私は間違っているのでしょうか」 小さな体に不屈の闘志を秘めていたテレサではありましたが、その一方ではこういう弱さももっていたのです。 彼女も心細さに震える一人の女性にすぎなかったと言えるでしょう。 しかし、彼女は自分の弱さを感じながらも、逃げることなくその弱さと闘い続けました。 その闘いの唯一の武器は、いつも祈りでした。 「神よ、お助けください。 弱さと闘う勇気をください」そして、神さまは、彼女のその真摯な祈りに応えてくれたのです。 あなたの親切な行為が利己的で、隠れた目的がある行為だと指摘されても親切を続けなさい。 あなたが成功し、偽の友達ができ、本当の敵が現れてもそのまま続けなさい。 あなたが誠実に素直になって、人々に騙されるかもしれなくても、そのまま続けなさい。 あなたが長年で造っていたものを、誰かに一晩で潰されても、造りなさい。 平静と喜びを見つけたあなたは嫉妬されるかもしれないけど、喜びなさい。 あなたの今日の善行は明日に忘れられるかもしれないけど、善行をしなさい。 あなたの最高のものを与えても、決して満足しないかもしれないが、この世に最高のものを与え続けなさい。 だって、 ほら、結局は、あなたと神の間でのことだ。 決してあなたと他の人の間でのことじゃない。

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人にやさしくなれる言葉(マザー・テレサ、詩「一つの言葉で」・格言)|今日も良いことがあるように

マザー テレサ の 言葉

は、伝わらんかもしれんなあと思ったが案の定伝わらなかったようで、反応を見てると半分くらいは理解不能だったぽい。 しかし残りの半分はよく理解してくださった様子。 こちらのお二方は俺なんかよりずっと綿密に思考してくださってるので、ご一読あれ。 とくに木村さんの自称人間からの離脱は実に興味深い。 「誰にでもできる簡単なお仕事です」という定番のセリフがあるけど、それに従事してる人間は「仕事以外」で充実してないと持たない事が説明されてる と、俺は読んだ。 それともう一つ、これが本題なんだけども、に頂いたの中に、すばらしいものがあったのでご紹介したい。 あのが見た日本の貧困だ。 「けさ、私は、この豊かなで孤独な人を見ました。 この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。 」 「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。 また、日本には貧しい人は少ないでしょう。 」 「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。 その人が飲んだくれだから! でも、彼もわたしたちも兄弟です。 本人はきっと孤独でしょう。 みなから無視されての……。 やけ酒かもしれません。 」 「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、助けていたと思います。 豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。 だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。 物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。 心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。 日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。 」 「愛は家庭から始まります。 まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。 両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。 平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。 自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません」 これ以上俺から言えることは無いだろう。 俺がここいくつかの記事で「日本の貧困」と呼んで来たものは、結局ここに帰結するのかもしれない。 ただ、自分の弱さと戦ってる人間に、あんまり冷たくしないでやって欲しい。 KoshianX.

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マザー・テレサの名言・格言30選|心に響く言葉

マザー テレサ の 言葉

Photo: www. flickr. 少し後で和訳します。 Life is an opportunity, benefit from it. Life is beauty, admire it. Life is a dream, realize it. Life is a challenge, meet it. Life is a duty, complete it. Life is a game, play it. Life is a promise, fulfill it. Life is sorrow, overcome it. Life is a song, sing it. Life is a struggle, accept it. Life is a tragedy, confront it. Life is an adventure, dare it. Life is luck, make it. Life is too precious, do not destroy it. Life is life, fight for it. マザー・テレサの言葉、僕なりに解釈して和訳してみたいと思います。 人生はチャンスです。 そのチャンスを自分からつかもうとしなさい 人生は美しいものです。 楽しみなさい 人生は夢です。 生きていることそのものが夢のようなものです 人生は挑戦です。 受けて立ちなさい 人生は任務です。 やり遂げなさい 人生はゲームです。 楽しみなさい 人生は約束です。 その約束を果たしなさい 人生には悲しみがつきものです。 乗り越えてください 人生は歌のようなものです。 歌いましょう 人生には困難がつきものです。 受け入れましょう 人生には悲劇があるかも知れません。 立ち向かいなさい 人生は冒険です。 勇気をもって大胆に挑みなさい 人生には幸運が落ちています。 それを自分でつかみなさい 人生はかけがえのないものです。 大切にしてください それが人生です。 受け入れて前に進みなさい 人生には色々な形があるのかも・・・知れませんね。 マザー・テレサは「神様は私が乗り越えられないものを与えたりはしないことを知っている」とも語っています。 でも、マザー・テレサはこんなことも言っています。 「ただ、神様が私のことをこんなに信じてくれなかったらよかったのに・・とも思う」・・と。 次々にやってきた困難を乗り越えた人でなければ言えないような言葉だなあ・・と僕は思いました。 マザー・テレサは人に与え続けた人だったと思います。 でもどれだけ与えたか・・・ということは彼女は気にされていなかったようです。 彼女は「どれだけ人に与えたかは重要じゃない、その与えようとしたものにどれだけの思いや気持ちを込めたかが大切です」と語っています。 与えるということは大切ですけど、そこにどれだけの思いを乗せるか・・・ということが本当はもっと大切なことなのかも・・・知れません。 心に残る、もう2つの名言 マザー・テレサは多くの言葉を残されていますが、その中のいくつかは、とでご紹介させていただきました。 そんなマザー・テレサの記憶に残る言葉は沢山あるのですが、もう2つ、僕の心に残った言葉があります。 「もしあなたが人を評価しようとするなら、その人を愛することはできないでしょう」(マザー・テレサ) 人を正しいとか間違っているという風に「評価」しようとしたり、「裁こうと」してはいけませんよ・・・というマザー・テレサの優しい言葉です。 自慢ばかりしている人に「なに、あの人!」と思っていたら、その自慢している人は実は親に愛されることなく育った人だった・・・そんなお話をお聞きしたことがあります。 その人は親に満たされなかった愛を誰かに認めてもらいたい・・・という形で求めていただけだった・・・。 そんなこともあります。 勿論、だから誰でも好きになりましょう・・・とか、受け入れましょうとは、僕は言えません・・。 そんなことはできないと思います。 でも、その裏にあるものを見ようとした時に、自分の心がふっと楽になることがあります。 人を評価しない・・・というのはそう考えると、自分のためなのかな・・・と僕は思っています。 そして、今日はもう1つのマザー・テレサの言葉を・・・ 「誰かに対して笑顔を見せることは、その人にプレゼントを贈っているのと同じことですよ」(マザー・テレサ) そんな人でいたいな・・・と思わせてくれる、 彼女の言葉には不思議な力があります。 ツイッターでも発信しています では心が楽になる考え方や悩みの解消方法、新着記事のお知らせなどを毎日発信しています。 人間関係はやったことが返ってくる ・好きになると、好かれる ・大切にすると、大切にされる ・受け入れると、受け入れられる ・尊重すると、尊重される ・優しくすると、優しくされる 相手にしてあげたことが自分に返ってくる。 人間関係はどうもそんな風にできているようです。

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