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【名無し奥も○○奥も】気楽に井戸端会議 29【みんな来い】

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きっと役に立ちます。 あだまもぢ 頭の調子・状態 あだまもぢいぐね 頭の具合がわるいなぁ あだこ 子守役 あだる 脳卒中になる あっちゃ あっちへ あっちゃ行ぐべし あっちへ行こうよ あっちゃ お母さん? あっぱ お母さん? B氏:いーいーいーあのえな A氏:あそこの角にあったじゃない。 B氏:あーあーあの家ね。 いいきなな いい気になるな いいばぢ いい気味だ いが 行こう いが いいかい? いだわしい もったいない いづだかんだ 今ごろ 機を逸している状態 いっつが もう いっつが行ってまった もう行っちゃった いっとごま 一時の間 いっとまが あっという間 いっぱんだすけ 変 いっぱんだすけだ格好して! へんな格好して! A:く? B:く A:食べる? B氏:さしねば買ってこい! A氏:うるさいっ! B氏:定規がなかったらかってくれば? さど 砂糖 さね しない さんけ 参詣 さんじゃらっと 少し わささんじゃらっとままもってけねが 私に少しご飯をよそってくれませんか? さんび 寒い し 火 しこたぐ 火を焚く 〜時打った 〜時になった じがじがする 炭酸などが喉を通る感じ じぐね 意気地がない じぐなし 意気地なし しじむげ 斜め向かい したっきゃ そしたら したはんで だから したはんでしゃんべったっけな だから言ったじゃない したんつこ 出汁 しっこ ひっこ ひ孫 してまる してしまう しなべる しぼんでいる しなべっこ 鬼になるのが免除されている子 石川のみ? すねずる つねる すぼんした ももひき すみ 炭・電池 ずら 気にする事ない ずるすけ 悪ガキ すんだらがす 水をきる ざるさへですんだらがしといで ザルに入れて水を切っておいて すんばれる とても寒い すんばれきれる あかぎれができる ずんぶ 随分 すんずご 筋子 すんぼっこ 紐 そのすんぼっことってけ その紐を取ってください せぎゆ 灯油 せば そうだとすると せば、... だんでね? だとすると... なんじゃない? お前は誰だ! 何処へ行くの? ど どう な、どしゃんだば どうしてた? とぎ 魚の 骨 さがなのとぎのんどさささった 魚の骨がのどに刺さった とぎどぎに 時間を決めて とげ 時計 わのとげどさいったべ? 私の時計はどこか知らない? ゆさ 何処へいくの? 銭湯へ どじ どっち としょり お年寄 どすてらば どうしてた? などすてらば どうしてた? どんず おしり どんずぐ つっつく みんなでどんずで食べし みんなでつっついて食べようよ おしりで食べるわけではない どんだ どうだい? なした どうした なずぎ おでこ なすて どうして なにや なにか用か? B:なもまね A:どうだった? B:全然ダメだった なんがかんが 何かしら なんがかんが持ってがにゃまねべな 何かしら持って行かなきゃいけないよね なんたかんた どうしても なんたかんたやねばまねだなして どうしてもやらなきゃいけないの? なんだがかんだが なんとかそんとか なんだがかんだがってしゃんべってった なんとかそんとかって言ってたよ なんど あなた達 なんぼ なんて なんぼまんだいぐねわらすだば なんて悪い子でしょ にかむ しわになる ズボンにかんでまった ズボンがシワになったよ にぐらっと にっこり にげ 苦い にげ 二階 にこかこ ニコニコ にしってら 干上がっている にしずまる 煮物の水分が蒸発してしまった状態 にだる 沸騰する にっとどしてる しっかりしている にどまめ えんどう豆 にら 家の中の作業場? ぬれ ぬるい ね ない ねぐなった なくなった ね 〜しない いがね 行かない ねね 寝ない A:ねね? B:ねねね A:寝ない? ハハ のれそれ 全力で ぱー 長方形のメンコ? はんちゃ どてら はんつけ 仲間はずれ はんつっこ 端っこ なに、したはんつっこさかぐれでらのよ なにそんな端っこに隠れてるの はんばがる またがる はんばげる げぇっとくる はんぷかげ 中途半端 しごどはんぷかげにしねんでさっさどやなが 仕事を中途半端にしてないでさっさとやったら? まましたぐ ごはんの準備 まましたぐさにゃまねはんで ご飯の準備をしないといけないから まむしい げんきだ まむししてらが 元気にしてましたか? みらさる 見てしまう みんず ミズ 山菜 みんつけ 短い むがしっこ 昔話 むげ 向かい むじゃげる 破れる むすばさる 結んだ状態になる むすらっと 黙って むったど いつも むっつ 物を食べて口が渇く状態 このパンなんぼむっつば このパン、ずいぶんのどが渇くよ むる 漏れる このバケツむっちゃでば このバケツ漏れてるよ むんつけら 〜ごと むんぱ 無免許 め 美味しい なんぼめば なんておいしいんだろう め 甘い なんぼめば 甘すぎるよ め 前 ちとめさきへ ちょっと前にきて め 痛い目 めにあったじゃ 痛い目にあったよ めぐね まずい めくされ 目が悪い人 蔑視語? めぐせ 恥ずかしい めごい かわいい めごこ かわいい 子ども めったらだ 美味しそうだ めったに 何時になく あの二人めったにながいな あの二人何時になく仲がいいね めどご 美味しいところ めどごのごして 美味しいところを残して めね 見えない めへで 見せて めへや 店 めやぐ 迷惑 手間 をかけて申し訳ない めやぐだばってそれ取ってけねが 悪いけどそれ取ってくんない? なーげばやまがらもっこくるぞ 泣いてばっかりいると山から蒙古がくるぞ もっつい もたもたしている なんぼもっつやずだば 何てどんくさいヤツ もで 重い たんだもでもんでにゃ 重いなんてもんじゃないよ もふん 素っ裸 今何時? < でっかり数え歌 > ひとーっつふたつはいいけれど、みっつ三日月? でっかりある。 よっつよごさもでっかりある。 いづっついぱだにでっかりある。 むっつむやみにでっかりある。 ななっつななめさでっかりある。 やっつやっぱりでっかりある。 こごのっつこごさもでっかりある。 とうはとうとうはげあだま。 < 泣いた子供が笑ったときには... > 泣ーいだぼんず、わーらった。 はーぎもっておんどーれ。 泣いた坊主が笑った。 ほうきを持って踊れ。... 意味不明ですね < 火事のとき... > かんずだ〜、かんずだ〜、どーごかんずだ〜 すんてらま〜ずの〜ぶだごやだ。 ぶーだのけっつーまるやげだ。 火事だー、火事だー、どこで火事? 新寺町の豚小屋だ。 豚のお尻が丸焼けだ < フランス語風? > ボンジュール、デゴ・コステケバ・メドゥーン こんにちは、大根はこうして食うと美味しいよ < > A: わのかでパン、しけるめになべさフォンデュせば、うだでくめよ〜ん 私のフランスパン、焼きたてのうちにお鍋でフォンデュすれば、とても美味しいですわよ B: せばだばやってみら〜ん それでは、やってみますわ Appendix A. < 津軽弁 vs 札幌弁 > 似ている言葉集 津軽弁 札幌弁 意味 いたわしい いたましい もったいない おばんです おばんです こんばんは かっちゃぐ かっちゃぐ ひっかく かます かまかす かきまぜる くまる くぐまさる からまる したっきゃ したっけ そしたら こい こわい 疲れた なげる なげる 捨てる はんかくせ はんかくさい ばかじゃない? 地域で微妙に異なりますのであくまで参考程度にご利用ください。 Copyright C 1994, 2018, Moritaka Ogasawara. All Rights Reserved. html,v 1.

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さいねい龍二

ねい げん たつ べし

いやー、さ。 多分自分を圧し殺すことに慣れ過ぎて、誰かに頼りたいくせに、うまく頼れない自分に嫌気が差してるんよね。 いい年して激昂するのも、いい年して涙垂れ流すことも、何故か良しとしない自分が何処かにいるんだろうね。 でもある意味では激昂したり、涙することも、この年だからこそするべきなんだと思う。 誰かを信じないよりかは、信じていたいし。 誰かを否定するよりかは、肯定したい。 それはどちらかというと、自分に対しても同じであるべきだと思いました。 もう傷つきたくもないし、傷つけたくもない。 こんな事を改めて書き認めるほどには、まだまだ自分は幼い。 今、自分が好きな人は、今日も遠くで眠るだろう。 触れられないのなら触れられる人を探すべきだろう。 そろそろ寒いしね。 今までだったらそうして諦めて、どうこうしてたんだろうけど、どちらにせよそれはとても悲しいと思う。 自分に対して正直であれ。 だったらバカげていても自分の気持ちに殉じてしまえ。 今は醜くとも、もう少しまともなところへと昇れるように、 クソみたいな自身を殴ることに飽きたのならば、もっと成長しなければねぇ?おちんこ.

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出口王仁三郎68年祭: 福島久をめぐる冒険~おヒさBLOG

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十四、「 憲 けん 問 もん 第十四」 平成29年2月度 原文 読み 現代語訳 1月31日 一、 憲 けん 問 はじを 恥 とう 、 子曰 しのたまわく 、 邦 くにに 有 みちあ 道 れば 穀 こくす 、 邦 くにに 無道 みちなくして 穀 こくするは 、 恥也 はじなり 、 憲、恥を問う。 子曰く、 邦道あれば穀す。 邦道無くして穀するは恥なり。 原憲が恥について質問をした 先生がお答えになられた。 「国家に道理ある政治があれば、官吏になり俸禄を受け取っても良い。 しかし、道徳なき国家であれば官吏になり俸禄を受け取るのは恥である」 2月1日 二、 克伐怨 こく・ばつ・えん・よく・ 欲 おこな 不行焉 われざる 、 可以為仁矣 もってじんとなすべきか 、 子曰 しのたまわく 、 可以為難矣 もってかたしとなすべし 、 仁則 じんはすな 吾不知也 わちわれしらざるなり 、 克・伐・怨・欲、行われざる、以て仁と為すべきか。 子曰く、 以て難しと為すべし。 仁は則ち我知らざるなり。 他人に勝ちたがること・他人に自慢すること・恨むこと・欲深いこと、これらがなければ仁と言えるでしょうか。 先生が言われた。 「それらを無くすことは極めて難しい。 しかし、それが仁か否かは私は知らない」。 2月2日 三、 子曰 しのたまわく 、 士而 したるに 懐 きょを 居 おもえば 、 不足以為士矣 もってしとなすにたらず 、 子曰く、 士にして居を懐う(おもう)は、以て士と為すに足らず。 先生が言われた。 「志の高い士なら安楽な住居を思うよな人は、士と呼ぶことはできない」。 2月3日 四、 子曰 しのたまわく 、 邦有道危言危 くににみちあればげんをみがきおこないを 行 みがく 、 邦無道危 くににみちなければおこないをみ 行 がくも 言孫 げんはしたがう 、 子曰く、 邦道あるときは言を危がき(みがく)、行いを危がく。 邦道無きときは行いをみがく、言は孫う(したがう)。 先生が言われた。 「国家に道徳に従った政治が行われている時は、正直に発言して正直に行動する。 しかし、国家に道徳が実践されていない時は、正直に行動すべきだが、発言は控え目にすべきである」。 2月4日 五 子曰 しのたまわく 、 有徳 とくあるものは 者必 かなら 有言 げんあり 、 有言 げんある 者不必 ものはかならずしも 有徳 とくあらず 、 仁 じん 者必 しゃはかならず 有 ゆう 勇 あり 、 勇者不必 ゆうしゃはかならずしも 有 じん 仁 あらず 、 子曰く、 徳ある者は必ず言あり、言ある者は必ずしも徳あらず。 仁者は必ず勇あり、勇者は必ずしも仁あらず。 先生が言われた。 「徳のある人は必ず優れた言葉を話す、優れた言葉を話す人が必ずしも徳があるというわけではない。 仁者は必ず勇気があるが、勇者は必ずしも仁徳を備えているとは限らない」。 2月5日 六、 南宮 なんぐう 活 かつ 、 問於孔子曰 こうしにとうていわく 、 ゲイ げいはしゃ 善 をよ 射 くし 、 ゴウ ごうはふねを 盪 うごかせ 舟 しも 、 倶 ともに 不得 そのしぜ 其死 んを 然 えず 、 禹稷躬稼而 うしょくはみずからかして 有 てんかを 天下 たもつ 、 夫子 ふうし 不答 こたえず 、 南宮 なんぐう カツ かつ 出 いづ 、 子曰 故 、 君子 くんしなる 哉 かなかく 若人 のごときひと 、 尚 とくを 徳 たっとぶ 哉 かなかく 若人 のごときひと 、 南宮活、孔子に問いて曰く、 ゲイは射を善くし、ゴウは舟を盪かす(うごかす)。 倶、その死ぜを得ず。 禹(う)と稷(しょく)は躬ら(みずから)稼して天下を有つ。 夫子答えず。 南宮活出ず。 子曰く、 君子なるかな、若き(かくのごとき)人、徳を尚べるかな、若き人。 南宮活が孔子に質問をした。 ゲイの君は弓術に優れており、ゴウの君は船を動かすほどの怪力でしたが、二人とも不運な死を遂げてしまいました。 禹と稷の君は、自分自身で田畑を耕作して天下を統一しました。 (なぜ、優れた能力・武力のない君主が天下統一の大事業を果たせたのでしょうか。 先生はお答えにならない。 南宮活は退室した。 先生がおっしゃった、 「君子だな、あの人は。 徳を尊重する人だな、あの人は」。 2月6日 七、 子曰 しのたまわく 、 君子而 くんしにして 不仁 ふじん 者有矣夫 なるものあらんか 、 未有小人而 いまだしょうじんにして 仁 じんなる 者也 ものあらざるなり 、 子曰く、 君子にして不仁なる者あらんか。 未だ小人にして仁なる者あらざるなり。 先生が言われた。 「君子であるのに仁徳に欠けた者というのもあるだろう。 しかし、小人でありながら仁徳を備えた者というのはまだ見たことがない」。 2月7日 八、 子曰 しのたまわく 、 愛之能勿労乎 これをあいしてよくろうせしむることなかれ 、 忠焉能勿誨乎 ちゅうにしてよくおしうることなからんや 、 子曰く、これを愛して能く労せしむること勿からんや、忠にして能く誨うる(おしうる)こと勿からんや。 先生が言われた、 「愛するばかりで苦労させないということがあろうか。 真心があればこそ道理を教えなくていいのか」。 2月8日 九 子曰 しのたまわく 、 為命卑甚草創之 めいをつくるにひじんこれをそうそうし 、 世叔討論之 せいしゅくこれをとうろんし 、 行人子羽脩 飾之 こうじんのしうこれをしゅうしょくし 、 東里子産潤色之 とうりのしさんこれをじゅんしょくす 、 子曰く、 命を為るに卑甚これを草創し、世叔(せいしゅく)これを討論し、行人の子羽これを脩飾し、東里の子産これを潤色す。 先生が言われた、 「鄭の国の外交文書は、卑甚が草稿を書いて、世叔がこれを検討し、外務担当の子羽がこれを添削、東里に住む子産がこの原文を豊かな表現を持つ文章へと潤色した」。 2月9日 十、 或 ある 問子産 ひとしさんをとう 、 子曰 しのたまわく 、 恵人也 けいじんなり 、 問子 しせいを 西 とう 、 曰 のたまわく 、 彼 かれ 哉 をや 、 彼 かれ 哉 をや 、 問管 かんちゅう 仲 をとう 、 曰 のたまわく 、 人也 ひとや 、 奪 はく 伯氏駢邑 しのべんゆゅうさんびゃく 三百 をうばう 、 飯疏食 そしをくらい 、 没 よわい 歯 をぼっ 無怨言 するまでえんげんなし 、 或るひと、子産を問う。 子曰く、 恵人なり。 子西を問う。 曰く、彼を哉、彼を哉。 管仲を問う。 曰く、人なり、伯氏の駢邑(べんゆう)三百を奪い、疏食を飯らい、歯(とし)を没するまで、怨言なし。 ある人が、鄭の子産についてお尋ねした。 先生はお答えになられた、 「恵み深い人物です」。 楚の子西についてお尋ねした。 先生が答えられた、 「あの人ですか、あの人ですか」。 斉の管仲についてお尋ねした。 先生が答えられた、 「かなりの人物です、管仲は、伯氏の駢の邑三百戸の領地を奪った。 しかし、伯氏は粗末な飯を食べつつ年をとり、死ぬまで怨み言を言わなかったのだから」。 2月10日 十一、 子曰 しのたまわく 、 貧而無怨難 ひんにしてうらむなきはかたし 、 富而無驕 とみておごるなきは 易 やすし 、 子曰く、 貧しくして怨む無きは難く、富みて驕る無きは易し。 先生が言われた、 「貧乏で恨み言を言わないのは難しいが、裕福で他人に傲慢(驕慢)にならぬのは簡単じゃ」。 2月11日 十二、 子曰 しのたまわく 、 孟公綽 もうこうしゃく ちょうぎ 為 のり 趙 ょう 魏 とな 老則 ればすなわちゆう 優 ゆう 、 不可以為膝薛大夫也 もってとうせつたいふとなるべからず 、 子曰く、 孟公綽、趙・魏の老と為れば則ち優。 以て、膝・薛(せつ)の大夫と為るべからず 先生が言われた、 「魯の孟公綽は、趙・魏といった大きな家の家老となれば十分に役務を果たすだろう。 しかし、膝・薛のような小国の大臣の役割を果たすことは出来ない」。 2月12日 十三、 子 し 路 ろ 問 せい 成人 じんをとう 、 子曰 しのたまわく 、 若臧 ぞうぶ 武 ち 仲之 ゅうの 知 ち 、 公綽之 こうしゃくの 不欲 ふよく 、 卞莊子之 べんそういの 勇 ゆう 、 冉求之 ぜんきゅうのげい 芸 のごとき 、 文之以 これをかざるにれい 礼 をもって 楽 せば 、 亦可以為成人矣 またもってせいじんとなすべし 、 曰 いわく 、 今之 いまの 成人者 せいじんは 、 何 なんぞ 必然 かならずしもしからん 、 見利思 りをみてぎを 義 おもい 、 見危授 あゆうきをみてめい 命 をさずけ 、 久 きゅう 要不忘平生之 ようへいぜいのげんをわすれ 言 ざれば 、 亦可以為成人矣 またもってせいじんとなすべし 、 子路、成人を問う。 子曰く、 臧武仲(ぞうぶちゅう)の知、公綽(こうしゃく)の不欲、卞莊子(べんそうし)の勇、冉求(ぜんきゅう)の芸の若き(ごとき)、これを文る(かざる)に礼を以てせば、亦以て成人となすべし。 曰く、今の成人は何ぞ必ずしも然らん。 利を見て義を思い、危きを見て命を授け、久要、平生せい)の言を忘れざれば、亦以て成人となすべし。 子路がひとかどの人物について質問した。 先生は答えられた、 「臧武仲の知性、公綽の不欲、卞莊子の勇敢、冉求の才能、これに礼楽の教養を加えれば、ひとかどの人格に秀でた人物と言って良い」。 先生が更にお話になられた、「現在の人物は、必ずしも私の言ったようなものではない。 しかし、世間一般では、利益を捨て義理を尽くし、危難にあって命を投げ出す、ずっと昔の約束を忘れずに守るなどの人物を指して優れた人格者と言っている。 これらの要素を持つ人もまた、ひとかどの優れた人物と言って良い」。 2月13日 十四、 子問公叔文子於 し、こうしゅくぶんしをこうめいか 公明 にと 賈 うて 、 曰 いわく 、 信乎 まことなるか 、 夫子 ふうしは 不言不笑不取乎 ものいわずわらわずとらず 、 公明賈対曰 こうめいかこたえていわく 、 以告 もってつぐる 者過也 もののあやまちなり 、 夫子 ふうしときに 時 して 然 しか 後言 るのちにいう 、 人不厭其言也 ひとみなそのげんをいとわず 、 楽 たのしみ 然後笑 てしかるのちにいう 、 人不厭 其言也 ひとそのげんをいとわず 、 義 ぎにし 然 てしか 後 るのと 取 にとる 、 人不厭其取也 ひとそのとるをいとわず 、 子 しのた 曰 まわく 、 其 それ 然 しかり 、 豈其然乎 あにそれしからん 、 子、 公叔文子を公明賈に問いて曰く、信(まこと)な るか。 夫子はもの言わず、笑わず取らず。 公明賈対えて曰く、以て告ぐる者の過ちなり。 夫子は時にして然る後に言う、人その言を厭わず。 楽しみて然る後にいう、人その言を厭わず義にして然る後に取る、人その取るを厭わず。 子曰く、 それ然り、豈それ然らん。 先生が公叔文子のことを公明賈にお尋ねになった、「あの方が、話もせず、笑いもせず、取りもしないというのは本当か」。 公明賈がお答えした。 先生にそのことを告げた人の言い方が間違っています。 あの方は、話すべき時には発言されます。 その為、普段はあの方の発言を気にしなくて良いのです。 楽しむべき時には笑われます。 その為、普段はあの方の笑いを気にしない。 更に、取らなければならない時には取られます。 その為、普段はあの方が取るかどうかを気にしないのです。 先生が言われた、 「果たしてその通りだろうか。 どうしてそんなことが出来るだろうか」。 2月14日 十五、 子曰 しのたまわく 、 臧 かくぶ 武仲以 ちゅうぼうをもって 防求 のちをなすを 為後於魯 ろにもとむ 、 雖曰 きみをようせず 不要 というとい 君 えども 、 吾不信也 われはんしぜらるなり 、 子曰く、 臧武仲(ぞうぶちゅう)防を以て後をなすを魯に求む。 君を要せずと曰うと雖も、吾は信ぜざるなり。 先生が言われた、 『臧武仲が防の城に篭城した時、防の城と引き換えに自分の一族の後継者を魯国に家の再興を要求した。 臧武仲は魯公に強要しなかったと言い訳しても信じることが出来ない』。 2月15日 十六、 子曰 しのたまわく 、 晋文公譎而 しんのぶんこうはいつわりて 不正 ただしからず 、 斉桓公正而不譎 せいのかんこうはせいにしていつわらず 、 子曰く、 晋の文公は譎り(いつわり)て正しからず、斉の桓公は正しくして譎らず。 先生が言われた、 「晋の文公は筋道を通さなかったが、斉の桓公は原理原則を通して政治を行った」。 2月16日 十七、 子路曰 しろいわく 、 桓公殺公子糾 かんこうこうしきゅうをころす 、 召忽死之 しょうこつはこれにしし 、 管 かん 仲 ちゅう 不死 はしせず 、 曰未仁乎 いわくいまだじんならざるか 、 子曰 しのたまわく 、 桓公九合 かんこうしょこうを 諸侯 きゅうごうするに 、 不以兵車 へいしゃをもってせざるは 、 管 かん 仲之 ちゅうのち 力也 からなり 、 如 その 其 じんに 仁 しかんや 、 如 そのじ 其 んに 仁 しかんや 、 子路曰く、桓公、公子糾(きゅう)を殺す。 召忽(しょうこつ)は、これに死し、管仲は死せず。 曰く、未だ仁ならざるか。 子曰く、 桓公、諸侯を九合するに、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。 その仁に如かんや、その仁に如かんや。 子路が言った。 斉の桓公がライバルの兄・公子糾を殺した時、側近の召忽は公子糾に殉じて死んだが、同じ側近の管仲は生き残りました。 これは、仁の道に外れるのはないでしょうか。 先生がおっしゃった、 「桓公は諸侯を九度集めて会議を開いたが、兵力・軍事を用いて諸侯を強制的に従えたのではない。 これは管仲のお陰である。 この仁徳に及ぶものがあろうか、この仁徳に及ぶものがあろうか」。 2月17日 十八、 子貢曰 しこういわく 、 管 かん 仲 ちゅうは 非仁者 じんしゃにあら 与 ざらん 、 桓公殺公子 糾 かんこうはこうしきゅうをころせるに 、 不能死 しするあたわず 、 又相之 またこれをたすけり 、 子曰 しのたまわく 、 管仲相桓公 かんちゅうかんこうをたすけ 覇 しょこう 諸侯 にはたらめ 、 一 てん 匡 かを 天下 いっきょうす 、 民到于今受 たみいまにいたるまでけその 其 たまも 賜 のをうく 、 微管 かんちゅうなかり 仲 せば 、 吾其被 われそのかみを 髪左衽矣 こうむりじんゃをひだりにせん 、 豈若匹夫匹婦之為諒也 あにひっぷひった゜のまことをなして 、 自経於溝涜而莫之知也 自ら孝徳にくびれてこれをしるなきがごとくならんや 、 子貢曰く、管仲は仁者に非らざらん。 桓公、公子糾を殺せるに。 死する能わず、またこれを相けり。 子曰く、 管仲子貢が言った。 管仲は仁者ではないのでしょうか。 桓公が兄の公子糾を殺した時に、主君の公子糾の死に遅れてしまい、ついには桓公の宰相となって補佐したのですから。 先生が言われた、「管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者とならせ、天下を変革することに成功した。 人民は現在に到るまでその恩恵を蒙っている。 管仲がいなかったとしたら、私たちは、乱れ髪をして襟を左前にして衣服を着ているだろう。 どうして管仲のような優れた人物が、小さな誠実さを証明するために、一般の男女のように首を吊って自害し、その遺体を溝(どぶ)に投げ捨てられてどこの誰とも知られないようになる必要があるだろうか(そんな必要はないだろう)。 』、桓公を相けて諸侯に覇たらしめ、天下を一匡(いっきょう)す。 民、今に到るまでその賜を受く。 管仲なかりせば、吾それ髪(はつ)を被り衽(じん)を左にせん。 豈、匹夫匹婦の諒(まこと)を為すや、自ら溝涜(こうとく)にくびれて、これを知るもの莫きがごとくならんや。 2月18日 十九、 公叔文子之 こうしゅくぶんのしん 臣大夫撰 たいふのせん 、 与 ぶん 文子 とおなじく 同升 おおやけ 諸 にの 公 ぼる 、 子聞之曰 しこれをききてのたまわく 、 可以為文矣 もってぶんとなすべし 、 公叔文子の臣、大夫の撰、文子と同じく公に升る。 子、 これを聞きて曰く、以て文と為すべし。 公叔文子の家臣である大夫撰が、文子の推薦で大臣となり昇殿を許された。 先生はこれを聞いて言われた。 「公叔文子は、「文」と諡されるべき素晴らしい人物である」。 2月19日 二十、 子言衛霊公之無道也 しえいのれいこうのむどうをいう 、 康子曰 こうしいわく 、 夫如 それかくのごと 是 くんば 、 奚而 なんぞうし 不喪 なわざる 、 孔子曰 こうしのたまわく 、 仲叔圉 ちゅうしゅくぎょは 治 ひんき 賓客 ゃくをおさめ 、 祝鴕 しゅくたせは 治宗 そうびょう 廟 をおさめ 、 王孫 おうそんか 賈 はぐ 治軍 んりょをお 旅 さむ 、 夫如 それかくのご 是 とし 、 奚 なんぞそ 其 れうし 喪 なわん 、 子、 衛の霊公の無道を言う。 康子曰く、それ是くの如 くんば、奚ぞ(なんぞ)喪びざる。 孔子曰く、 仲叔圉は賓客を治め、祝鴕(しゅくだ)は宗廟を治め、王孫賈(おうそんか)は軍旅を治む。 それ是くの如し、奚ぞ喪なわん。 先生が衛の霊公の無道ぶりについて話された。 そこで、季康子が質問した。 そのような仁徳のない君主であれば、どうして衛は滅びなかったのか。 孔子がお答えした、 「仲叔圉が賓客を的確に接待し、祝鴕が宗廟の祭祀を正しく行い、王孫賈が効果的な軍事を担当していたからです。 そのように優秀な家臣に国が守られていれば、どうして国が滅びるでしょうか、滅びることはない」。 2月20日 二十一、 子曰 しのたまわく 、 其言之 そのこれをいいてはじ 不作 ざれば 、 則其為之也難 それをなすやかたし 、 子曰く、 その言にこれ作じざれ(はじざる)ば、則ちそれこれを為すに難し。 先生が言われた、 「自分の語った気宇壮大な発言を恥ずかしく思わないのでは、それを実行することは難しい」。 2月21日 二十二、 陳成子弑簡公 ちんせいしかんこうをしいす 、 孔子沐浴而 こうしもくよくして 朝 ちょうし 、 告於哀公曰 あいこうにつげてのたまわく 、 陳恒弑 ちんこうのきみ 其 をしい 君 せり 、 請討之 こうこれをうたんことを 、 公曰 こういわく 、 告夫 かのさんし 三子 につげよ 、 孔子曰 こうしのたまわく 、 以 われ 吾 たいふ 従大夫之後 ののちにしたがうをもって 、 不敢不告也 あえてつげづんばあらざるなり 、 君曰 くんいわく 、 告夫 かのさんしゃ 三子者 につげよ 、 之三子告 さんしにゆきてつぐ 、 不可 きかず 、 孔子曰 こうしのたまわく 、 以 われ 吾 たいふ 従大夫之後 のあとをしたがうをもって 、 不敢不告也 あえてつげづんばあらず 、 陳成子、簡公を弑す。 孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰く、 陳恒、その君を弑せり。 請う、これを討たんことを。 公曰く、夫の三子に告げよ。 孔子曰く、 吾、大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。 君曰く、夫の三子者に告げよと。 三子に之きて告ぐ。 可かず(きかず)。 孔子曰く、 吾大夫の後に従うを以て、敢えて告げずんばあらず。 陳成子が、斉の簡公を謀反で殺した。 孔子は沐浴して身を清め、朝廷に参内し、魯の哀公に申し上げた。 「陳恒が自らの主君を弑逆しました。 どうぞ、彼を大義に基づいて征伐してください」。 哀公が答えた。 『孟孫・叔孫・季孫の三人に言ってみてくれ。 孔子は退出すると、「私は大夫(上級官吏)の末席に位置するものなので、大義の遂行について申し上げずにはいられなかった。 主君があの三人に話してみてくれと言われた」。 孔子は三人を訪ねて陳恒の討伐について申し上げたが、聞き入れられなかった。 孔子は言われた、 「私は大夫の末席に位置するものなので、大義の遂行について申し上げずにはいられなかったのだ」。 2月22日 二十三、 子 しろ 路 きみ 問事 につかうるを 君 とう 、 子曰 しのたまわく 、 勿欺也 あざむくことなかれ 、 而犯之 しかしてこれをいさめよ 、 子路、君に事うるを問う。 子曰く、 欺くこと勿かれ。 而うしてこれを犯めよ。 子路が主君に仕える心得について先生に質問した。 先生は言われた、 「主君を騙してはいけない。 そして、主君に逆らってでも道理に適った正しい意見を言わなければならない」。 2月23日 二十四、 子曰 しのたまわく 、 君子 くんしは 上達 じょうたつし 、 小人 しょうじんは 下達 かたつす 、 子曰く、 君子は上達し、小人は下達す。 先生が申された、 「君子は次第に大局観が出きるが、小人は末端しか分からない」。 2月24日 二十五、 子曰 しのたまわく 、 古之 いにしえの 学者 まなぶものは 為 おのれの 己 ためにし 、 今之 いまのまなぶ 学者 ものはひとの 為人 ためにす 、 子曰く、 昔の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者はの為にす。 子曰く、 昔の学徒は己の鍛錬の為に学び、今の学徒は名声を得る為に学ぶ。 2月25日 二十六、 遽伯玉使人於 きょはくぎょくひとをこうしに 孔子 つかわす 、 孔子与之坐而問焉 こうしこれをざしてとう 、 曰 にたまわく 夫子 ふうし 何 なにお 為 かなす 、 対曰 こたえていわく 、 夫子欲寡其過而未能也 ふうしはそのあやまちをすくなくせんとほっしていまだあたわざる 、 使者 ししゃ 出 いず 、 子曰 しのたまわく 、 使乎使乎 しなるかなしなるかな 、 遽伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に使わす。 孔子これに坐して問う。 夫子は何をか為す。 対えて曰く、夫子はその過ちをなくせんと欲して未だ能わざるなり。 使者出ず。 子曰く、 使いなるかな、使いなるかな。 衛の遽伯玉が、孔子に使いを出した。 孔子は使いの者を招き入れて座らせ、質問をされた、「あの先生はどうしておられますか」。 使者は答えて申し上げた。 あの先生は過失を少なくしたいと願っておられますが、まだ過失を少なく出来ていません。 使者が退席した。 先生がおっしゃった、 「立派な使者だ、立派な使者だ」。 2月26日 二十七、 子曰 しのたまわく 、 不在 そのくらい 其 にあら 位 ざれば 、 不謀 そのまつりご 其 とをは 政 からず 、 子曰く、 その位に在らざれば、其の政を謀らず。 先生が言われた、 「責任ある地位にいなければ、政治のことを論議すべきではない」。 2月27日 二十八、 曾子曰 そうしいわく 、 君子思 くんしはおもうこと 不出 そのくらい 其 をいで 位 ず 、 曾子曰く、 君子は思うことその位を出でず。 曾子が言われた。 君子はその職務・官位以外のことは考えないものだ」。 2月28日 二十九、 子曰 しのたまわく 、 君子恥其言之過 くんしはそのげんのそのおこない 其行也 にすぐるをはず 、 子曰く、 君子はその言のその行に過ぐるを恥ず。 先生が言われた、 「君子は自分の発言が、自分の行為以上のものになることを恥じる」 3月1日 三十、 子 しこ 貢方人 うひとをくらぶ 、 子曰 しのたまわく 、 賜也賢乎 しやけんなる 哉 かな 、 夫 それ 我則 われはすなわち 不暇 いとまあらず 、 子貢、人をただす。 子曰く、 賜は賢なるかな。 それ我は則ち暇あらず。 子貢は、よく人を批判した。 先生は言われた、「子貢は賢明だな、私などは他人を批判しているような暇がないというのに」。 3月2日 三十一、 子曰 しのたまわく 、 不患人之 ひとのおのれを 不己 しらざるを 知 うれえず 、 患 そのふ 己無能也 のうをうれうるのみ 、 曰く、 人の己を知らざるを患えず、己を知らざるを患うるのみ。 先生が言われた、 「他人が自分を認めてくれない事を憂うな、自分がまだ力不足であることを思いなさい」。 3月3日 三十二、 子曰 しのたまわく 、 不逆詐 さをむかえず 、 不億 ふしんをはか 不信 らざるも 、 抑亦先 そもそもまたせんかく 覚者 するもの 、 是賢乎 これけんか 、 子曰く、 詐を逆えず(むかえず)、不信をはからざるも、抑も(そもそも)亦先た先覚するもの、これ賢か。 先生が言われた、 「人から騙されないかと身構えず、嘘を言うのではないかと推測せず、そうでいながら、人よりも先に感じることができる、これが賢者というものではないか」。 3月4日 三十三、 微生畝謂孔子曰 びせいほこうしにいいていわく 、 丘何為是栖栖者 きゅうなんぞこのせいせいたるものを 与 なすか 、 無乃為佞乎 すなわちねいをなすなからんか 、 孔子対曰 こうしこたえてのたまわく 、 非敢為佞也 あえてねいをなすにあらず 、 疾固也 こをにくめばなり 、 微生畝(びせいほ)、孔子に謂いて曰く、丘、何んぞこの栖栖(せいせい)たる者をなすか、乃ち佞を為すなからんや。 孔子対えて曰く、敢えて佞を為すに非ず、固なるを疾めば(にくめば)なり。 微生畝が孔子を評して言った。 孔子はどうしてそんなに落ち着きがないのだろうか。 もしかして、弁舌の才覚を生かして主君に取り入ろうとしているのではないか。 先生が言われた、 「弁舌で主君に取り入ろうとは思っていません。 頑固になることを嫌っているだけです」。 3月5日 三十四、 子曰 しのたまわく 、 驥不称 きはそのちからを 其力 ほめずして 、 称其徳也 そのとくをほむるなり 、 子曰く、 驥(き)はその力をほめずして、その徳を称むるなり。 先生が言われた、 「驥という名馬はその脚力を賞賛されているのではなく、その徳・気品を賞賛されているのです」。 3月6日 三十五、 或曰 あるひといわく 、 以徳報怨 とくをもってうらみにむくいるは 、 何如 いかん 、 子曰 しのたまわく 、 何以 なにをもってと 報徳 くにむくいん 、 以直報怨 ちょくをもってうらみにむくい 、 以 とくを 徳 もつて 報徳 とくにむくいん 、 或るひと曰く、徳を以て怨に報いるは、何如(いかん)。 子曰く、 何を以て徳に報くいん、直を以て怨に報い、徳を以て徳に報いん。 ある人が言った。 徳でもって、怨恨に返したらどうだろうか。 先生が言われた、 「そうなると、徳に何をもって返すのか。 正直・誠実な態度でもって怨恨に返し、徳には徳を持って返すべきです」。 3月7日 三十六、 子曰 しのたまわく 、 莫我知也夫 われをしるなきか 、 子貢曰 しこういわく 、 何為其莫知子也 なんすれどそれをしるなし 、 子曰 しのたまわく 、 不怨天 てんをうらみず 、 不尤人 ひとをとがめず 、 下学而 かがくして 上達 じょうたつす 、 知 われ 我 をし 者其天乎 ものはそれてんか 、 子曰く、 我を知る莫きか。 子貢曰く、何すれぞそれを知る莫し。 子曰く、 天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。 我を知る者それ天か。 先生が言われた、 「私を知るものは誰もいない」。 子貢がそれを聞いて言った。 先生を知るものがいないというのはどうしてですか。 先生が言われた、 「天を恨まず、人もとがめない。 人間社会について学問し、上は天命について学問をする。 この私を正確に知るものは、やはり天か」。 3月8日 三十七、 公伯寮愬子路於 こうはくりょうしろをきそんに 季孫 うったう 、 子服景伯以告曰 しふくけいはくもってつぐ 、 夫子固有惑志於公伯寮也 ふうしもとよりわくしありこうはくりょうにおけるや 、 吾力猶能肆 わがちからなおよくこれを 諸市 しちょうにさ 朝 らさん 、 子曰 しのたまわく 、 道之 みちの 将行也 まさにおこなわれんと 与 するや 、 命也 めいなり 、 道之将廃也 みちのまさにすたれんと 与 するも 、 命也 めいなり 、 公伯寮其如 こうはくりょうそのめいを 命 いかん 何 せん 、 公伯寮、子路を季孫に愬う。 子服景伯以て告ぐ、夫子、固より惑志有り、公伯寮におけるや、吾が力、猶能くこれを市朝にさらさん) 子曰く、 道の将に行われんとするや、命なり。 道の将に廃れんとするや、命なり。 公伯寮、その命を如何せん。 公伯寮が季孫に子路を訴えでた。 子服景伯が孔子に告げて言った。 裁判をする季氏は公伯寮に気持ちを惑わされています。 しかし、私には、公伯寮を捕縛して市や朝廷の広場で処刑するくらいの実力があります。 私に公伯寮の処分は任せてください。 先生は言われた、 「私の信じる道が実行されるのは天命であり、私の信じる道が廃絶するのもまた天命です。 公伯寮ごときが天命をどうできるのでしょうか。 子服景伯殿の心よりの申し出はありがたいのですが、公伯寮への手出しはご無用に願います」。 3月9日 三十八、 子曰 しのたまわく 、 賢者避 けんじゃはよを 世 さく 、 其次避地 そのつぎはちをさけ 、 其次避 そのつぎはいろ 色 をさけ 、 其次避 そのつぎきげんを 言 さく 、 子曰 しのたまわくく 、 作者七人矣 たつものひちにん 、 子曰く、 賢者は世を避く、その次は地を避け、その次は色を避け、その次は言を避く。 子曰く、 なす者七人。 先生が言われた、 「優れた賢者は世俗から身を避ける。 次に優れた人物は、混乱した地方から遠ざかる。 その次の人物は、人の顔色を見て危難があれば避ける。 その次の人物は、人の言葉を聞いて危難があれば遠ざかる。 先生は更におっしゃった、 「これが出来た人物は七人いる」。 3月10日 三十九、 子路宿於 しろせきもん 石門 にやどる 、 晨門曰 しんもんいわく 、 奚 いずれ 自 よりす 、.

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