本草学 者 の ミイラ。 『永遠の命を科学する/《特別展 ミイラ》柿の種は 賢者の石だったのか!?@国立科学博物館』上野・御徒町(東京)の旅行記・ブログ by ウェンディさん【フォートラベル】

世界最大級の『ミイラ展』にスペシャルサポーター・ビートたけしが来場! 天才・たけしが気になるミイラは意外なアレ(SPICE)11月2日に東京・上野の国立科学博物館で『特…|dメニューニュース(NTTドコモ)

本草学 者 の ミイラ

ん~正倉院展は人気があるなぁ。 上野公園の正式名称は上野恩賜公園で、宮内省から東京市に払い下げされた天皇家ゆかりの公園ですしね。 こんなとき美術館が複数あって、別の美術館に回れるのが上野のいいところ。 国立科学博物館で『ミイラ-「永遠の生命」を求めて』という魅力的な展覧会をやっていたので、先にそちらを見ることにした。 ほとんどの観覧者と同様、少し怖い物見たさですね。 で、怖かったのか怖くなかったのかを先に言うと、うんと怖かった。 小心者だということは認識していたが、小心者は怖がりだということを忘れていた。 展覧会を見てから数日後に悪夢まで見ましたな。 そのくらいインパクトがあった。 世界各地から集められたミイラが展示されていたが、一番怖かったのは日本のミイラだった。 正直、ひーと呻いて逃げ出したくなった。 ただなぜ日本のミイラが一番怖かったのかは理由がある。 追々説明してゆきます。 まずミイラの定義から。 これについては図録冒頭で国立科学博物館の坂上和弘さんが簡潔でわかりやすい説明を書いておられる。 引用すると、ミイラは「本来なら無くなっているはずの軟部組織が残っており、生前の姿をある程度保っている人間や動物の遺体」である。 土葬では長い年月の間に人間を含む動物の身体は分解されてゆく。 さらに長い時間が経つと骨も土に還る。 しかし腐敗しやすい皮膚や内臓などが残っている人間や動物の遺体がミイラである。 次にミイラの種類だが、自然ミイラと人工ミイラに大別される。 自然ミイラはその名の通り、なんらかの自然環境が原因で偶然ミイラ化してしまった遺体のことである。 一九九一年にイタリア・オーストリア国境のアルプスで見つかったアイスマンは、テレビで特集が組まれたりしたのでご存じの方も多いだろう。 温暖化のせいなのか、観光登山に来ていた夫婦によって溶けた雪の下から偶然発見された。 当初は遭難者の遺体として扱われたほど状態がよかったが、調査の結果、約五三〇〇年前の男性のミイラだとわかった。 雪の保冷効果で毛皮のズボンや靴なども残っていた。 日本では福沢諭吉の遺体が有名である。 福沢先生は明治三十四年(一九〇一年)に亡くなって品川区の常光寺に埋葬されたが、昭和五十二年(一九七七年)に福沢家のお墓を一つにまとめるために発掘された際に、ほとんど生前のお姿そのままで横たわっておられるのが発見された。 屍蝋化と言って、地下水の影響で体内の脂肪が蠟のようになって腐敗が抑制されたのである。 先生のご遺体はご遺族の意向で火葬されて改葬された。 このほかにも湿地や塩湖で亡くなったかそこに遺体を沈めたため、期せずしてミイラ化した遺体が世界各地で発見されている。 人工ミイラだが、これは人間が意図的に手を加え、亡くなった人をできる限り生前の姿のまま保存したミイラである。 エジプトと南米のミイラが代表的だ。 人工的にミイラを作り出すわけだから、そこには宗教的、あるいは民族共同体の神話的理由がある。 自然ミイラはDNAや食生活、病気などの科学探求の宝庫だが、人工ミイラにはそこに宗教や神話などの文化人類学的要素の探求が加わるわけである。 わたしたちがミイラと聞いて真っ先に思い出すのは人工ミイラの方である。 ちょっと変な言い方になるが、今回の展覧会では贅沢にも自然ミイラと人工ミイラの両方が展示されていた。 全人類に有益な科学情報と、世界各地の民族・宗教共同体固有の文化人類学的情報の二つが、実物のミイラに即して説明されていたのである。 または自然ミイラと人工ミイラを並べて展示するのはミイラ学では重要である。 人類が得た多くの文明の利器(発明)と同様、人工ミイラは自然ミイラの観察から生まれた。 最古のミイラはエジプトや南米の砂漠地帯で作られたが、人々は自然にミイラ化した遺体から人工ミイラを作る方法を生み出していった。 自然ミイラと人工ミイラは地続きなのだ。 ただ実際に目にする自然ミイラと人工ミイラの印象は大きく異なる。 人間の遺体なのだから厳粛な気持ちで接しなければならないのは当然だが、自然ミイラは考古学的な発掘物に近い感じがする。 これに対して人工ミイラは生々しい。 この生々しさがどこから生じているのかというと、ミイラが発する〝意志〟である。 亡くなったらミイラになる、ミイラにするという、死者本人と共同体の意志があって初めて人工ミイラが作られる。 それはミイラの形(作り方)はもちろん、棺や副葬品などにはっきり表れる。 ミイラが怖いと感じるのは、必ずしも死体を目にしているからではない。 遙か昔にミイラになった人たちの意志を、同じ人間であるわたしたちが強烈なインパクトとともに受け取るからである。 ただしその後の調査で男性二人だと判明した。 なぜ二人並ぶ形で埋葬(あるいは遺棄)されたのかはわかっていない。 こういったミイラはヨーロッパ各地の湿地から発見されていて、湿地遺体と呼ばれている。 ヨーロッパの湿地には 泥炭 ピート を大量に含むものがあり、古くから採掘され乾燥させて燃焼として活用されてきた。 泥炭には有機物の腐敗を抑える作用があり、湿原に迷い込んで亡くなった人が自然ミイラ化したのである。 首に紐状のものが巻き付いていて、明らかに殺害されたことがわかる遺体もある。 また長い間泥炭に包まれていたため、皮膚が残っていても泥炭で黒色に変色しているのが常である。 多くの湿地遺体は泥炭の重みでぺしゃんこになっているが、中には人間本来の立体性を留めていて、表情までわかる保存状態のよいミイラもある。 ただ怖いという感じはしない。 彼らは殺害されるなど生前に恐ろしい思いをしたはずだが、その身体は彼らの意志とは別にたまたま残ってしまった。 無防備な姿の湿地遺体を見ていると、丁寧に扱いますから研究に役立ってくださいといった気持ちが湧いてくる。 湿地遺体を見る感覚は、石器時代の遺跡などから発掘される人骨などを見る際とあまり変わらない。 ただ意図的に保存されたミイラは違う。 ヨーロッパにも人工ミイラはあるが、ほとんどが教会に安置されている。 腐敗しやすい内臓を取り除いて乾燥させるといった簡単な方法だが、エジプトや南米ほど数は多くない。 ユダヤ・キリスト・イスラームという唯一神を信仰するセム一神教では、いわゆる「最後の審判」の日にすべての死者は復活するという教えがある。 そのため遺体は焼かずに土葬するのが普通だ。 またカトリックでは教会は聖遺物を所有していなければならないという決まりがある。 そのためキリストの遺体を包んだ布など、歴史あるカトリック教会には様々な聖遺物が保管されている。 聖人の遺体もその一つである。 人々の尊敬を集めた高位の聖職者は現世で最も神に近づいた存在であり、死後も身体が腐敗しないという「聖人の不朽体」という考え方も生まれた。 この考え方に基づいて中世頃に聖職者を中心とした自然ミイラがたくさん作られたのだった。 公開されているミイラもあるが、その多くは棺に安置されて人々の崇敬を集めている。 ただ手を加えても人間の身体は必ず腐敗する。 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』は神学生アリョーシャが主人公だが、師事していた老神父ゾシマ長老が亡くなる。 ゾシマ長老は禁欲的求道者であり、「人間は人類を愛しながら隣人を憎んでいる」と喝破するような知性の人でもあった。 アリョーシャはゾシマ長老の死に強いショックを受けたが、しばらくして長老の遺体が匂うという話を伝え聞いてさらに強いショックを受けた。 それはアリョーシャの信仰心を試す残酷な出来事だった。 『カラマーゾフの兄弟』は近代リアリズム小説で作者ドストエフスキーは敬虔なロシア正教徒だったから、アリョーシャはゾシマ長老が放った屍臭を超えてさらに高次の宗教的直観真理に赴かなければならない。 比喩的に言えばこのあたりに自然ミイラと人工ミイラの大きな違いがある。 人は必ず死ぬのであり、死ねば必ず身体は腐敗する。 それは避けられない。 また人間は死を恐れる動物だから、しばしば死体を嫌悪する。 加工された人工ミイラは、この本源的な人間の恐怖心をプラスの方向に転じる力を持っている。。 ミイラ作りが始まったのは約五千年前で、以後四千年近くミイラが作られた。 図録解説によると、ミイラになったエジプト人の総数は一億五千万人にもなるそうだ。 初期は王侯貴族だけにミイラ化の処置が施されたが、時代が下ると庶民に至るまで一般化した。 死後はミイラ化されて埋葬されるという葬送方法が定着したのだった。 写真掲載したのは紀元前二〇一〇~一九七五年頃に作られた、中王時代(第十一王朝~第十二王朝)のミイラマスクと子供のミイラである。 エジプトではミイラ作りが盛んになると、ミイラ本体を絵や文字で装飾した棺に入れ、棺上部には生前の姿を象ったマスクを付けるのが一般的になった。 ただこのミイラは顔のある棺の上部分だけで完結していて、その中に子供のミイラが納められていた。 CTスキャンで胴体の骨がバラバラになっていることがわかっている。 また髭のある青年の顔のミイラマスクに子供のミイラが納められた理由は不明である。 盗掘された際にマスクと中身が入れ替わってしまった可能性が高いようだが、もしかすると幼くして亡くなった子供を不憫に思い、埋葬者が青年になった姿のマスクに入れたのかもしれない。 エジプトのミイラ技術はじょじょに発達していった。 まず腐敗しやすい内臓を取り出すことが行われた。 胃、腸、肺、肝臓を取り出して四つのカノポス容器に収める。 後には脳も取り出した。 遺体は強アルカリ性の鉱物ナトロンで覆って一定期間放置する。 体内にナトロン、ミルラ(没薬)、サフラン(香料)などの袋を詰め、鼻や口などの開口部に樹脂を入れ詰め物で塞ぎ、髪を梳き化粧などで外観を整えた後に樹脂に浸したリネン繃帯を何重にも巻きつける。 現代ではエンバーミングといって、交通事故などで損傷した遺体でも生前の姿に近い形で修復する技術があるが、そのエジプト版がミイラである。 数千年経っても相貌がわかるミイラがあるのだから、作られた当初のミイラは生前の面影を強く留めていたはずだ。 なお繃帯には『死者の書』が描かれているのが普通である。 エジプトの宗教が太陽神を中心にしているのはよく知られている。 日が沈み日が昇るのをエジプトの人々は生命力と再生の象徴と捉え、それに基づいて『死者の書』の宗教神話を作り上げた。 人間は死ぬと船に乗って冥界を下り、文字と知識の神トートによって死者の心臓と、真理の女神アマトの羽根が秤にかけられる。 心臓の方が重ければ二度と転生できず、軽ければウンネフェル(オシリス)が治める死後の楽園アアルの一員として受け入れられる。 ミイラ化はエジプトの人々にとって死後の楽園に転生するための重要な儀式であり、大小のピラミッド(墓)から棺、繃帯などの小品に至るまで『死者の書』に基づく宗教神話に沿って荘厳されている。 エジプトの古代王朝は紀元前四世紀頃にアレクサンドロス大王のマケドニアに征服され、紀元前一世紀にはローマ帝国に併合されるが、ヘレニズム文化の影響を受け形を変えながらもミイラが作り続けられた。 エジプトのミイラは有名だが、その大きな理由に文字化された『死者の書』を持っていたことがあげられる。 広大なアフリカで文字を持っていたのはエジプトとエチオピアくらいだが、特に古代エジプトの象形文字ヒエログリフは発達していた。 文字による宗教神話の体系化が、木工や石工、金工などの高度な技術とあいまってエジプトのミイラを美しくしている。 人々がエジプトに惹き付けられる理由である。 ミイラのアミュレット(護符)一式 エジプト、出土地不明 末期王朝時代 第二十六王朝~第二十七王朝 紀元前五五〇年頃 レーマー・ペリツェウス博物館蔵 アミュレット(護符)はミイラを包むリネン繃帯に縫い付けられた装飾品である。 大きくても六センチくらいの装飾品だ。 もちろん一つ一つに意味がある。 ヨーロッパでは古くからエジプトのミイラの存在が知られていて、中世頃はミイラを砕いて薬にしていた。 中国で甲骨文字が刻まれた動物の骨が漢方として使われたのと同じである。 本格的なエジプト学(ミイラ学)が始まったのは十九世初頭のヨーロッパにおいてだが、墓から出た副葬品(装飾品)とはいえオリエンタリズムを掻き立て、その上審美性が高いので、棺やマスク、壁画など様々な遺物を蒐集するコレクターが現れた。 アミュレットはその代表格で、今でもかなりの数を日本の古美術店でも見かける。 ただし精巧な贋作が多いので真贋を見分けるのは難しい。 また棺(箱)があれば中を見てみたいのが人間の性であり、棺の中に繃帯でくるまれた遺体があれば、どんな状態になっているのか確かめてみたくなるのが人間の性である。 そのため十九世紀ヨーロッパでは見世物としてのミイラの解体ショーが盛んに行われた。 アミュレットなどの美術品を得るためでもあった。 それは現地エジプトの墓荒らしも同様で、美術品に高値がつくとわかるとなおさらのこと、墓は荒らされ脆い多くのミイラが破壊された。 わたしたちは今日、繃帯を外された遺体(ミイラ)がどのような状態になっているのか知っている。 古代エジプトではミイラの改葬が行われていたから、彼らも長い年月を経たミイラの状態を知っていたはずである。 ただ原点を踏まえれば、ミイラは繃帯を解くことを想定していない。 生前の姿のままミイラ化され、さらに棺に理想化された似顔絵が描かれ、様々な副葬品といっしょに故人は永遠の眠りにつくのだ。 つまり棺の中の遺体を中心としているが、ミイラの思想は様々な装飾や副葬品などで表現されている。 エジプトの古代人が願った(夢想した)来世は現世より遙かに美しい。 現代ではCTスキャンなどの発明でミイラを解体しないで研究するのが一般的だが、遺体そのものは人の目に触れないのがミイラ本来の埋葬方法である。 最古の自然ミイラはアメリカネバダ州で発見された約九千年前のものだ。 人工ミイラも約七千年前から作られている。 エジプトとアメリカ大陸のミイラには関連性がない。 まったく別個にミイラ文化が花開いた。 南北アメリカはコロンブスが発見したことから新大陸と呼ばれるようになったが、当然先住民族がいた。 そのため現在では新大陸の意味が微妙に変わってきている。 ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って南北アメリカに人類が渡ってきたのは比較的新しく、約一万五千年前だと言われる。 その意味での新大陸という意味合いが強くなっているのだ。 メキシコ中心に中央アメリカで栄えた古代文化はメソアメリカ文化と総称される。 紀元前一千二百年頃にメキシコ湾岸で繁栄したオルメカ文明が最古である。 その後、紀元前後にマヤ文明が、十五世紀にはアステカ文明が生まれ、一五二一年に南アメリカの植民地化を目論むスペイン軍によって滅ぼされた。 メソアメリカ文化は大まかに言うとオルメカ、マヤ、アステカ王国が代表的だが広大な地域であり、そのほかにも様々な王国(民族・文化共同体)が存在した。 またメソアメリカ文化とは別に、南アメリカ西海岸(現在のペルー、ボリビア、エクアドルエリア)で栄えた、マチュピチュ遺跡で有名なインカ帝国がある。 インカでもミイラ作りは盛んだった。 インカ帝国もまたスペインによって征服された。 図版掲載したのはチャチャポヤス地方にあるコンドル湖周辺で発見されたミイラである。 いっきょに二百十九体のミイラが発見されて世界を驚かせた。 今から約五百年前のミイラである。 二〇〇〇年にレイメバンバ博物館が建てられそこに収蔵され、多くの観光客を集めるようになって地元の繁栄に寄与している。 ただミイラとはいえ土地の人には先祖の遺体であり、その扱いは様々だ。 アメリカネバダ州で見つかった世界最古の自然ミイラは、先住民保護法によってショショーニ族に返還され再埋葬された。 日本のアイヌ民族でも北海道大学が発掘したアイヌの祖先の遺骨返還が進んでいる。 当たり前だがミイラには学術研究の前に死者への礼節という大切な問題がある。 南米の古代文明で文字を持っていたのはマヤとアステカだけで、アステカの方は原始的象形文字で 記号 シンボル の一種に近い。 そのためなぜミイラが作られたのか、詳細はわかっていない。 しかしエジプトのように死後の楽園に行くためのミイラ化という思想はなく、肉体を保存しておけば霊も残るという先祖崇拝がミイラ化を促したようだ。 南米のミイラはチャチャポヤのように木綿布で遺体を包んで赤い糸で顔を刺繍するものから、身体は布で包むが顔は露出させて帽子などをかぶせたものまである。 作り方も内臓を取り除く方法から遺体をそのまま乾燥させたものまで多岐に渡る。 ただ先住民族の間ではミイラを怖いものとする感覚は薄く、霊力の強い聖遺物として敬うのが普通だ。 そのため今でも家に伝わるミイラと暮らしている先住民族もいる。 これはオセアニアの先住民族も同じである。 パプアニューギニアなどの島々には頭だけのミイラから全身が残るミイラまで存在するが、偉大であった祖先を敬い祀るためのミイラである。 古代エジプトのように様式化されていないので、南米やオセアニアのミイラは時代や民族共同体によって様々である。 ただ生前の姿を残すミイラ化には、故人の霊力を肉体(遺骸)に宿らせ、封じ込めるという思想があるようだ。 チャチャポヤのミイラは木綿布で包まれているが、霊性が封じ込められているわけだから中身を見ることは想定されていない。 そこはエジプトのミイラと同じだが、エジプトミイラが煌びやかな来世への転生という思想で遺骸から光を放つように荘厳なのに対し、南米のミイラの多くは膝を折り曲げた姿勢で内向的である。 必ずしも装飾技術の優劣ではなく、これは両者の大きな違いだと思う。 特に人工ミイラの数は限られている。 日本では奥州藤原氏四代のミイラが残る中尊寺金色堂が有名だが、このミイラは自然乾燥ミイラで人工的に作られたものではない。 日本の人工ミイラの中で、世界的にも異色なのは即身仏と呼ばれるミイラである。 弘智法印 こうちほういん 宥貞 ゆうてい は真言宗の高僧で、九十二歳の時に人々の病を癒し長命を祈願する説法を行って、石でできた薬師如来像の中に入って入定されたと伝えられる。 仏教を始めた釈迦は神ではなく修行者であり、瞑想したまま涅槃に入り(亡くなり)その肉体が仏になったと伝えられる。 即身仏はこの伝承に倣い、高僧や修行僧が潔斎して念仏を唱えながら入定した姿である。 作り方は様々だが、エジプトのように腐敗しやすい内臓を抜く作業は行われなかった。 土に埋めたり火であぶったりする方法で腐敗をできるだけ食い止めた。 日本には十九体もの即身仏が伝わっている。 制作された時代も幅広く、貞治二年(一三六三年)没の弘智法印から明治三十六年(一九〇三年)没の仏海上人の五百五十年にも及ぶ。 最も即身仏が多いのは江戸時代である。 十九という即身仏の数とその制作期間の長さは、即身仏の存在が広く人々に知られていたことを示唆している。 特に宗教者は即身仏の存在を知っていただろう。 実際に即身仏になった僧侶は少ないが、修行を積んだ僧侶は即身仏として入定する選択肢があることを知っていたはずだ。 しかしなぜ日本に即身仏が多いのかはよくわかっていない。 熱烈な宗教心が最も強い動機だろうがそれだけではあるまい。 日本人らしい好奇心もそこにはあると思う。 ヨーロッパで砕かれて薬として使われていたエジプトミイラは中国経由で戦国時代の日本に将来された。 エジプトミイラはヨーロッパでムンミヤと呼ばれ、中国では木乃伊(ムナイイ)の字が宛てられた。 日本ではヨーロッパから中国に伝わった万能薬を当初はモミーと呼び、やがて中国語の漢訳文字をそのまま使って 木乃伊 ミイラ と呼ぶようになったのだった。 ただ情報量が少ない時代だから、没薬なども含む万能薬モミーと遺体を乾燥させた木乃伊は必ずしもイコールではなかった。 しかし江戸の学者たちは日本から遠く離れたエジプトに、遺体を生前の姿のまま保存したミイラがあることを知っていた。 今回の展覧会では江戸の本草学者(博物学・薬学の学者)のミイラも展示されていた。 学者は独自の方法で遺体をミイラ化する方法を編み出し、子孫に「後世に機会があれば掘り出してみよ」と言い残して天保三年(一八三二年)に亡くなった。 第二次世界大戦後に子孫が掘り出してみると学者の遺体は数珠を両手でつかみ、うつむき加減の姿勢で見事にミイラ化していた。 この学者はミイラになるために、死の直前に柿の種子を大量に飲み込んでいたことがCTスキャンでわかっている。 牡蠣の種子のタンニンの影響のせいか、皮膚は赤茶けた色になっている。 本草学者は学問的探求と好奇心が入り交じった動機から自らミイラになったわけだが、こういった強い好奇心は日本人全般に見られるだろう。 日本人は中国から朝鮮半島経由でもたらされた文化を次々に摂取し、江戸の鎖国が終わると驚くべき勢いで欧米文化を吸収した。 即身仏は基本的には宗教的発心が動機だが、日本人ならではの強い好奇心もそれに影響を与えているはずである。 で、最初の話に戻るが今回展示されたミイラの中で、日本のミイラが一番怖かった。 貴い上人様のミイラだから不敬と非難されるかも知れないが、即身仏を見て怖いと思うのは必ずしも的外れではないと思う。 日本の仏教は密教からじょじょに禅宗系へと移行していった。 釈迦の来迎を夢想し、煌びやかな浄土への成仏を願う密教から、現世を無の一如で捉える禅宗的仏教へと変わっていったのである。 禅の高僧は現世を文字通りの諸行無常と捉える。 この無常観は江戸に入ると禅宗だけでなく、本来は密教系の真宗系仏教でも見られるようになった。 即身仏はエジプトのミイラやチャチャポヤのミイラのように、棺や布でその姿が隠されていない。 座禅し念仏を唱えて入定した姿のまま前を向き、生前と同じように僧衣をまとっている。 高僧たちは最初から信徒たちの目に触れることを想定してミイラになったのである。 そこには人間の生は無常であり、死を恐れよという教えがこめられている。 夏目漱石は『虞美人草』末尾の甲野さんの日記で、人は死を目前にしたときに本当に真面目に厳粛になり、人間本来の倫理を取り戻すと書いた。 それは個人主義(利己主義)の世になった明治特有の精神風土ではない。 江戸時代にはすでに仏教は檀家宗教化していてその教えは形骸化していた。 人々は神社で手を合わせ葬儀では僧侶の読経を求めた。 ユダヤ、キリスト、イスラームの一神教から見れば日本の宗教風土は極めて曖昧だろう。 そういった精神風土の中で修行を積んだ高僧たちはあえて即身仏(ミイラ)になり、その無残とも言える貴いお姿を人々の目にさらした。 死は人の背筋を伸ばし、倫理観を取り戻させる残酷な事実である。 即身仏を見て、わたしたちは死を強く意識して恐れるべきなのかもしれない。 なおミイラ展はかなり特殊な展覧会である。 そうそう開催されるわけではない。 今回の展覧会は東京国立科学博物館を皮切りに、二〇二一年の三月の富山展まで全国を巡回する。 怖いもの見たさの動機であれ、実際に数々のミイラを見れば必ず得るものがあると思う。

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私もミイラになりたい|ウエチン|note

本草学 者 の ミイラ

めっきり涼しくなりました。 どうも、東京本社のYです。 こう涼しいのに出社後は相変わらず汗だくです。 えーさて、唐突ですがミイラを見に、国立科学博物館に行ってきました。 ちょっと話題になっていますよね? こういう展示は、テレビで特番しちゃうとあっという間に大混雑するので 初日から最初の週末までに行くようにしています。 昼の12時過ぎに入場してたっぷり2時間。 中々の見応えでしたね~。 ミイラと言うとエジプトのイメージですが、南米にも沢山あるんですね。 人工的に作られたミイラの他、自然にミイラ化した遺体も展示されていました。 ミイラと言うと、骨に皮が引っ付いたような形状をイメージしますが、 その生成環境によっては、骨は解けて皮だけのミイラなんていうのも出来てしまうそうで・・・。 主に土中のpHが関係しているそうですが、なかなか面白いものですね。 展示の最後は、日本のミイラが4体展示されていました。 日本は湿度が高いことから遺体がミイラ化することは稀ですが、 幾つかの条件が重なることでミイラ化することがあるそうです。 また、興味深かったのは、自分の体を使ってミイラ化する実験をした本草学者のミイラですね。 本草学者とは江戸時代に薬などの開発研究をした専門職ですが、 この人は乾燥剤の研究をしていて、その効果を実証するために、自分の埋葬時方法を細かく指示して最後に 「後に掘り起こして確かめろ」と言って亡くなったのだとか。 子孫が実際に掘り起こした遺体は見事ミイラ化していた。 という、研究に対する情熱の凄いこと。 最後はミュージアムショップでお買い物。 メジェド様がいたので捕まえてきました。 推しを彷彿させるこのビジュアル・・・。 気が付けばこの日はまだ何も飲み食いしていないことに気が付いたので 館内のレストランでお食事をば。 地球館のレストランは、館内の様子を眺めながら食事ができます。 クジラの骨に見つめられながらのお食事です。 メニューは科学博物館っぽいものが並んでおります。 ミイラ展とのコラボメニューもありましたが、さすがにミイラをイメージしながらの食事はちょっと。 なので、コチラの「活火山チキンカツ」を頂きました。 せっかくなので、常設展も見ていこうかなと、地球館に入りました。 1Fを見終わって結構お腹いっぱいになったんですが、フロアマップを見ると 地上三階、地下三階、屋上付き。 広い! この他に日本館もあるし、どっちかと言うと見たいのは日本館の方だから、 地球館はここまでにして日本館に移動します。 見よ、この美しいさ。 日本館は建物がいい。 日本館の1F~3Fまでをばっちり見学して、 最後にミュージアムショップでちょっとお買い物もして、科博を後にしました。 滞在時間、7時間!!! そりゃぁ、疲れるわ。 なかなかに充実した一日でした。

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国立科学博物館のクチコミ

本草学 者 の ミイラ

国立科学博物館で開催されているミイラ展についての口コミです。 ミイラ展と名のつくエキシュビションは、エジプト展や南米文化展など地域を限った狭い分野では今まで何度も開催されていますが、今回のように世界中からいろんなタイプのミイラを集めた展覧会はかなり珍しいものです。 今回のミイラ展の見所は、なんといってもその出展のバラエティさと、実際に日本へと運ばれてきたミイラを科学的に、そして医学的に分析をかけた所。 病院の協力を得てミイラをCTスキャンし、体の中の状態や外側からは見えない隠された部分に科学のメスを入れたそうです。 そして、色々な新発見が発表されていました。 例えば・・・・ ミイラが手の中に握っていた不思議な塊が、今回の調査で見つかったそうです。 外見からはその存在は全く把握できませんでしたが、CTスキャンをかけたことで、何か小さな物体を握っているのが分かり、その映像を元に3Dプリンターで復元したところ、ミイラが手にしていたのは、なんと乳歯だと言うことが分かったそうです。 また、日本のミイラでも面白いことが判明しました。 江戸時代の本草学者さんがミイラの研究をしていて、最終的には自然死する自分の体を実験台にして、壮大な実験を行っていたことが今回のCTスキャンにより判明しました。 学者さんは、死の前にお弟子さんに「死後、しばらくしたら墓を掘り起こしてほしい」と依頼してこの世から旅立ちました。 普通ならばそんな気持ち悪いこと誰がするか・・・と思いますが、学者さんのお弟子さんは真面目なのでしょうね。 師匠の伝言を守り、数年後に墓を開いたそうです。 すると師匠の姿は、お棺に入れたそのときの姿のままミイラ化していたそうです。 通常、日本の気候では死体のミイラ化は起こりませんが、なぜ、師匠はミイラとなることができたのでしょうか。 その理由を明らかにしたのもCTスキャンです。 CTスキャンは学者さんの体内に残されたあるモノをクッキリと映し出しました。 実は、本草学者さんは、死の直前にあるモノを大量に飲み込んでいたそうです。 あるモノとは、「柿の種」(お菓子ではなく、果物です)。 柿の種に含まれる物質タンニンの防腐作用に目をつけ、死体の中にタンニンが大量に入っていれば人間の死体も腐らないのではないかと考えた学者さんは、自分の死に際に柿の種を大量に飲み込み、見事、その実験は大成功した・・・ということでした。 そんなマッド・サイエンティスト的なの本草学者さんのミイラも、展覧会では展示してありました。 とにかく、そんな面白い話がゴロゴロしている展覧会でした。 展覧会場は写真・動画すべて禁止です。 国立科学博物館のポリシーで、ミイラご自身の肖像権の問題・・・らしいことが一般展示室のミイラのところに書いてありました。 ミイラ展の混雑状況ですが、初日はぎゅうぎゅうではありませんでしたが、それなりに混雑していました。 時間は入場してからたっぷり1時間以上とっておけば、大丈夫でしょう。 私は会場内を2周じっくりと見て、所要時間2時間でした。 エジプトのファラオのミイラ・マスクに自分の顔をはめ込むお遊びコーナーもあり、楽しめます。 展覧会の対象年齢は小学生以上です。 会場内の説明板は漢字が多いので、漢字が読めない子供には大人の解説が必要となります。 また、ミイラが永遠の命を維持する死体であると言うことを理解できない年代の子供には展示内容はつまらなく、飽きてしまうか怖がってしまい、大人はゆっくりと展示を楽しむことは難しくなります。 私自身も会場内で、そのようなお子様の姿を目にしました。 子供と一緒に行くことを考えている場合は年代や子供の性格を考慮するほうがよいですね。

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