強くなって守りたい仲間がいるから。 仲間がいるからできることも増える。仲間がいるから楽しさも増える。仲間を守りたいと思うから行動ができる。

強くなりたい君へ!鋼のメンタルを手に入れるために必要なもの

強くなって守りたい仲間がいるから

残り6時間となりました。 本日の23時終了ですが、その時間まで残りの時間もでき得る限りの手を尽くしてインターハイの現状や意義を発信していきます。 どうかあと少し、情報拡散やご支援等で皆様のお力を貸してください。 シドニーオリンピックではオール一本勝ちで金メダルを獲得した井上康生さんに、高校時代のインターハイ出場の話や、困難の乗り越え方、指導者としての信念など、様々な切り口からお話をお伺いしました。 ぜひご一読ください。 私は、「柔道で強くなって、日本一・世界一を目指したい」という想いを持って宮崎県から神奈川県の東海大学付属相模高校に進学しました。 小中学校でも全国大会出場経験がありましたから、自分自身が誰よりも強くなってオリンピックでメダルを取りたいという思いは確かにその頃からありました。 ただ、インターハイで活躍した選手が世界に羽ばたいていく例はたくさんありますから、そういう点では非常に意識していた部分はありました。 東海大相模では、幸運なことに1年生からインターハイに出場させていただいて、先鋒として大役を任された団体戦では優勝しました。 2年生の時には、個人戦でオール一本勝ちでの優勝でした。 しかし、3年生では個人・団体共に県大会で敗れてしまいインターハイ出場が叶わず悔しい思いをしました。 「世界一」というのが具体的に目の前にひらけたきっかけがインターハイ優勝という出来事でしたし、挫折や苦悩を味わって成長できたのもインターハイという目標に届かなかった経験があったからこそだと思います。 実際に3年生の時の悔しさは、大きな情熱と努力に繋がり、全日本ジュニア大会などでの優勝へ導きました。 本当にインターハイがあったからこそ今の自分があると思いますね。 インターハイというのは、出場することも難しいし、勝つことも難しい。 だからこそ最大限の努力を発揮することができる。 目標や夢があるからこそ全力で練習に励むことができると思います。 練習を共にする仲間、恩師、家族に支えられながら成長できるというのは他にはない大きな経験になりますよね。 私にとって、誰よりも家族が理解者であり応援者でもありました。 特に母親はビデオカメラを片手に、いろんな大会に来てくれていましたね。 インターハイ1年目が富山、2年目が神戸、他の大会でも全国どこへでも応援に駆けつけてくれました。 母親は、私が21歳の時、シドニーオリンピックで優勝する前年に亡くなりましたが、常に私の1番のサポーターでした。 高校の先生から「今までの選手たちには『やれ』という言葉は伝えていたけど、『やめろ』と伝えたことがあるのはお前が初めてだ」と言われるくらい、稽古に打ち込んでいましたね。 全体の稽古が終わっても残って練習して、夜もトレーニングに行って、周りから本当に異常なやつだと思われるくらい、高校時代は特にやり込みました。 柔道を大好きでしたし、世界の頂点に立つんだという気持ちが、 「人が一本休んでいる間に自分は一本多くやる」といったことに自分をとにかく駆り立てていました。 井上康生さんのように人一倍努力できることが最重要ですか。 様々だと思います。 とてつもなく練習をできる選手は、誰が見てもわかりやすく強くなる。 しかしその3分の1の練習量で強くなる選手もいるんですよね。 そういうタイプは洞察力や分析力などの能力に秀でていることがある。 抜群に身体能力が高い選手もいますし、逆に身体能力はないけど人の意見にも耳を傾けてそれを着々と実戦で積み上げて力にできる選手もいます。 他の競技は正直わからないですが、 柔道は持てる能力を幅広く活かして勝ち上がっていけるところが面白いと思います。 今は情報化社会で、一流の選手の戦い方が簡単に手に入りますよね。 検索すれば動画サイトですぐに出てきますから、視覚から吸収したことを先生に聴きながら実践できるので、覚えは早いと思います。 それで若い十代の選手たちも活躍できる時代になってきています。 しかし、技ばかりに頼っても、逆に力に偏っても、勝ち続けることはできません。 技術とトレーニング、質と量のバランスが重要であることを伝えています。 私が大切にしているのは3つで、1つ目が、誰よりも強くなりたい、日本一になりたいという「熱意」。 誰よりも強く自分自身を信じること。 2つ目は、困難な状況であっても、考え抜いて工夫をすることをやめない「創意」。 最後が、自分が日々練習できる環境にあることへの感謝を仲間や先生、親に対して忘れないで熱心に取り組む「誠意」。 「熱意、創意、誠意」という「三意の精神」を大事にしています。 幼い頃から三意を明文化して自分の中に持っていたわけではないのですが、「精力善用 自他共栄」の精神を重んじる柔道を通じて、自然に身についたと思います。 他に私自身が指導者として大事にしている理念が、 「最強かつ最高の選手の育成」です。 どんな相手をも打ち破り頂点に君臨できる選手であり、且つ、規律や相手を慮る心を持つことができる選手であること。 強ければ何でもいいという訳ではもちろんないです。 指導者として、柔道を通じて柔道界ひいてはスポーツの世界、さらにその先にある社会にどう貢献していくことができるかを考えています。 私の場合、大学生の時にシドニーオリンピックで金メダルをとったあと、アテネオリンピックで負けるんですよ。 またそこから4年後、北京オリンピックに出場するまでの道のりもそれまでとは違いました。 今まで勝てていた相手に勝てなくなったり、かかっていた技がかからなくなるというような苦しい状況を非常に味わいました。 日々は変化していますし、何があっても現状を受け止めるしかないかなと思います。 その上で、 自分自身の原点に戻ることは意識しました。 自分はどういう人間なのか、どんな選手になりたいのか、目指す柔道は何か。 感覚だけでは壁に当たった時の対処法は見出せないですから、そうやって意識的に紐解いて一つ一つ修正していくんです。 正直言って、インターハイで終わる子もいると思うんです。 結果に関わらず競技を続けるか否か迷う子もいる。 ただ、 目の前のことには必ず全てを出し切って、いい意味で泥臭く、青春をかけてもらいたいです。 やりきった先に、初めていろんな世界が開かれると思います。 長期的な視点を持つことも大事ですけど、未来の選択肢はその瞬間を大事にしているからこそ見えてくるものですから、それは忘れずに迷わず全力で日々戦ってもらいたいと思います。 インターハイは、各開催地が協力し、大勢のボランティアを含めた人たちが情熱を注ぎ、手作りとまでは行きませんが本当に一人一人がたくさんの汗をかいて運営してくれている有難さがありますよね。 規模が違うかもしれませんけど、来年の東京オリンピックと同じような感覚を毎年味わえるというのは、高校生たちが競技者としても人間としても、大きく成長できたりいろんな学びや気づきが生まれたりする大会だと感じています。 行政や大きな組織だけに頼るのではなくて、民間というか一人一人と一緒につくれる環境というのは必要だと思いますね。 負担が偏ってしまうとどんどん開催地域が手を挙げにくくなってしまう。 スポーツやスポーツを通じたイベントはたくさんの人々の支えがあって成り立つもので、ただ「勝ち負け」だけを切り取ってしまうと、本質を理解するのも難しくなってしまいます。 スポーツが若い人たちにとって価値あるものであることを、世の中からより認識されるようになってほしいですね。 インターハイには、運営面で頑張る地域住民や学生、選手を支える家族や仲間、恩師の存在、練習を通じて得られる成長など、勝敗という枠を超えて幅広い視野で見てもらうことができれば、この大会にも改めて大きな価値が認められるのではないかと思います。 宮崎県出身。 柔道六段。 5歳から柔道を始め、東海大学付属相模高校では、全国高校選手権で個人・団体ともに優勝を果たし、3年生時には山下泰裕以来の高校生での全日本選手権出場という快挙を達成する。 東海大学へ進学後、99年のバーミンガム世界選手権に初出場して初優勝し、翌2000年のシドニーオリンピック100kg級では見事金メダルを獲得した。 その後、全日本選手権と世界選手権をともに3連覇し、04年のアテネオリンピック100kg級にも出場。 その他にも、全日本選抜体重別選手権や講道館杯、嘉納治五郎杯などの大会で数々のタイトルを持つ。 卒業後は綜合警備保障に所属し活躍を続けるが、08年の全日本選手権への出場を最後に現役を引退。 指導者の道を選び、スコットランドで2年間の留学生活を経験。 11年3月に綜合警備保障を退職し、4月からは東海大学体育学部武 道学科専任講師(現在:准教授)、東海大学柔道部副監督に就任する。 12年11月に全日本柔道男子監督に就任し、リオテデジャネイロ・オリンピック大会では日本男子代表の全階級がメダルを獲得するという快挙を達成した。

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最後の戦いへのGONG(ゴング)!強くなって守りたい仲間がいるから、狙い定め、ためらうことなく、ただド真ん中を歩み、優勝を掴み取って行こう!!!

強くなって守りたい仲間がいるから

Twitter、noteを始めてもうすぐ1年。 ということで、プロフ写真を変更しました。 心象風景ブックカバー とひかむろネックレス そして顔と一緒に隠れているけど、一重梅のイヤリング も付けています。 お守りの力を借りて、気持ちを新たに書いていきます。 — はる 物語で原体験を伝える人 haru35525859 以前までのプロフ写真は、note相談所のイベントにてに撮って頂いたもの。 こちらの写真も柔らかい雰囲気がとてもお気に入りだった。 今回画像を変えようと思ったのは、Twitterとnoteを始めてもうすぐ1年になるから。 その節目に心機一転新しいものにしようと思い、どんな写真にするかずっと考えていた。 そんな中、心に浮かんできたのがのこちらのワンフレーズだった。 あなたが信じた言葉を、ずっと守り続けたい。 どんなに偏った考えでも、人には言えない心でも、誰にも内緒の恋でも、ずっとずっと守り続ける。 その「世界」はあなただけのものなんです。 彼女はそれを守りたいと願い、およそ1年前から心を込めてブックカバーを作り続けている。 私は、noteやTwitterでの顔と実生活での顔が少し違う。 まず、顔が出せない。 出せないというよりは、出さないと決めている。 そしてここで綴っているような過去を、ご近所さんや息子の同級生のお母さんには話していない。 今後話すつもりもない。 実生活の私は、割と明るい印象を持たれることが多い。 よく笑うし、声も小さくない。 その自分を嘘くさいと思っているわけではない。 それもまた、私の一部だ。 しかし、ここで書いているような素直な気持ちをどこでも話せるかと聞かれたら、それは難しいだろう。 知られたくない過去がある。 知られたくない気持ちもある。 何故ここでは書けるのか。 それはやはり、顔を出さずに書くことを許されるSNSの世界だからなのだろう。 こういう言い方をすると、顔を出さなければ何を書いてもいいと捉えらえるかもしれないが、それは少し違う。 何を書くかは自由だ。 しかし、読み手がいる場所で書く以上、公開するには覚悟がいる。 出した文章は消せない。 仮に削除したところで、読んでくれた人々の記憶からは消えないのだ。 伝えたいことを書くために始めたnote。 ここで出会った人たちとの繋がりは、私の心を思いがけないほど柔らかくしてくれた。 私の過去を、受け止めてくれる人がいた。 痛みを分かろうとしてくれる人がいた。 寄り添ってくれる人がいた。 そんな世界があることを、私は知らなかった。 本当に、知らなかったのだ。 だから、最初はとても怖かった。 もっとあからさまに批判されるものだと思っていたし、誹謗中傷も日常茶飯事なのだと思っていた。 でも、その真逆だった。 そんなのは本当にごく一部で、読んでくれたほとんどの方が温かい言葉をかけてくれた。 この優しい世界がある限り、強くなれる気がした。 書きたいこと、伝えたいことから目を背けずに書き続ける勇気をもらえるような気がした。 そして実際にこの1年の間、毎日とはいかずとも300近い記事を書き続けた。 日常のさもない話から、その日の思考、重苦しい過去、叫びにも似た想いまで。 書いていて辛くなることもあった。 それでもやめようとは思わなかった。 目に見えない何かに守られている。 そんな不思議な感覚を覚えながら、日々手を動かし続けた。 はるさんの世界を守ってね。 Kojiさんはいつも、そう願って一撫でしてから作品を送り出してくれる。 それも間違いではないが、私のなかにある想いは少し違う。 私は、Kojiさんのブックカバーに私の世界を守ってもらっているのだ。 この1年で培ってきた私の世界。 noteとTwitterの世界。 それを、彼女のブックカバーが守ってくれている。 娘の気持ちが込められた、「背仲」のブックカバーが。 そしてもう二つ、私には大切なお守りがある。 ネックレスと、 のイヤリングだ。 昨年初めてのnoハン会で迎え入れたこの子たちは、私の大切な節目節目でいつも傍にいてくれた。 気持ちが上がらない日も、この子たちを眺めたり触ったりすると不思議と落ち着いている自分がいた。 あゆみさんの明るい笑顔と、明瞭な話し声。 一伽さんの穏やかな微笑みと、優しい語り口。 作品に触れるたびに蘇る大好きな人たちの存在が、私に力を与えてくれた。 水晶のペンダントと、一滴をモチーフにした美しいイヤリング。 大好きなこの子たちを身に着け、ブックカバーを手に持つ。 そのときの私は、これ以上ないくらい幸せな顔で笑っていた。 書くことを仕事にしたい想いは未だ変わらない。 実質まだ仕事としての実績は1件もなく、どうしたら書いて食べていけるようになるのか、暗中模索の毎日だ。 今後のことは分からないし、生活が成り立たなくなるようなら書く時間を削ってでも生活を優先するしかない。 私は私という一人の人間であるのと同じように、二人の息子の母親でもある。 彼らを守り、育てていくことを蔑ろにするつもりは一切ない。 それをしたら、私がこれまで書いてきたものたちはあっという間にただの言葉の羅列となってしまう。 分かりやすい成果を出せるかは、まだ分からない。 努力が結果に結びつくと言い切れるほど生易しい世界ではないことも、いい加減身に染みて分かっている。 ただ、ここで出会った仲間たち。 応援してくれる人たち。 声をかけてくれたり、そっとスキをつけてくれる人たち。 そういう人たちと出会えたこの場所は、私にとってかけがえのないものだと思っている。 「あなたの世界を守りたい」と願ってくれる人がいる。 書き続けてほしいと伝えてくれる人がいる。 私自身、書きたいことは未だ尽きることはない。 きっとこの先も、何があっても書くことそのものをやめることはないだろう。 伝えることで守れる心が一つでもあるなら、私はずっとここで書き続ける。 ブックカバーは世界を守りたい。 その言葉と想いに、私の世界は今日も守られている。 *** プロフ写真の変更をした当日、七海さんが素敵なアイディアをnoteにしてくださいました。

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WANIMA GONG 歌詞&動画視聴

強くなって守りたい仲間がいるから

みなさんは、守りたいものってありますか? 豊かな生活、自由な時間、愛する人、家族、夢・・・。 すぐに浮かぶ人、すごいなぁ。 つい最近まで私、自分が守りたいものって何か分かりませんでした。 というか、今でもまだぼやっとしている。 けど、以前よりはそれの輪郭が見えてきて、ちょっと嬉しくなったので、 今日は文章にのこしてみたいと思います。 以前の私はというと、誰かの言葉にすぐ左右されていたし、 周りの評価がとても気になっていたし、 立場とか、体裁とかそういうのを結構気にしていた気がする。 そのために多少無理は厭わず、 無理をすること=充実していると 勘違いしていた時期もあったなあ。 つまり、周りの意見が私の大事なものを決めていました。 だから、いつのまにか「誰かが喜ぶ意見」=「私の望み」みたいになっていて。 だってなんとなく響きがいいもんね。 「自分を後回しにして、誰かのために頑張る」って。 でもその考えが崩れるできごとが起こった。 当時、入社して1年たった私は、超問題児の教育係を任されました。 仕事を覚えようとしない、女性社員に手当たり次第手を出す、 そのくせに社長に取り入って幹部候補になろうとする 笑 とにかくはちゃめちゃでした。 ただでさえ1年で教育係を任されるのは前例が少なく 私も余裕がない 笑 それでも根気強く教えていました。 もちろん新人さんの社内での評判はがたがた落ち。 それでも仲間なんだからってことで、 「でもいいところもあるよ」っていう風にフォローしながらやってた。 そしたらあるとき上司から 「新人さん、仕事も十分にできていないのに、残業申請を出してくる。 とにかくやめさせて。 でも私の立場から言うのはまずいから、うまくいってね」というお達し。 今ならその新人に「いいかげんにしろよ」って言うこともできるし 上司に「私を指導者から外してほしい」と言うこともできるし 「残業を出させないという強制は私にはできない」って言える。 でもその時は言えなかった。 無茶振りを、何とか丸く誰も傷つかない方向に持って行きたくて(嫌われたくなくて) 「できない」って思われたくなくて 信頼していた上司からそう言われて辛いということも認めたくなかった。 そんなこんなしていたら、 一番守りたい「我が子」を守らないといけない私が、ボロボロになってしまいました。 ボロボロになって、やっと気づいた守りたいもの。 それは「自分にとって居心地のよい空間」でした。 空間というのは物理的なものだけではなく、気持ち的な部分も含めて。 そこが守れなければ、人生はぜったい豊かなものにならないと確信できます。 そこを守るためなら断ってもいいし、怒ってもいいし、辞めてもいい。 本気で守りたいものに出会って初めて人は「強くなれる」んだと。 私はこれからも「守りたいもの」を増やしていきたいと思います。 そして「守る」練習をしていけば、自己肯定感がどんどんあがって、 「自分だけの人生」が生きれるような気がしています。 毎日こつこつと。 アンテナはって、自分の「守りたいもの」を見つけていきましょう。

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