坂口良子 本名。 坂口杏里の親や生い立ちについて!父親や母親は誰?兄は医者なの?|トピグーチャンネル

坂口杏里の学歴と偏差値:出身校(小学校・中学校・高校・大学)と家族構成

坂口良子 本名

若い頃が超かわいい 坂口さんは、子どもの頃から 「フォーリーブス」のファンで、 「フォーリーブス」会いたさに芸能界を目指し、1971年、15歳の時、雑誌 「セブンティーン」の 「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募すると、見事、グランプリを獲得し、芸能界入り。 同年には、モデル活動を開始し、 「さぼてんとマシュマロ」でテレビドラマデビューも果たすと、翌1972年には、早くも、テレビドラマ 「アイちゃんが行く」で主演に抜擢され、その愛らしい笑顔でたちまち人気を博します。 「アイちゃんが行く」より。 高橋悦史さんと坂口さん。 そして、その後も、 1973年 「新・サインはV」 1974年 「ウルトラマンタロウ」第50話 1975~1977年 「前略おふくろ様」 1978年 「ポーラ名作劇場 『みずきの花匂うとき』」 1979年 NHK大河ドラマ 「草燃える」 1980年 「池中玄太80キロ」 「新・サインはV」より。 「前略おふくろ様」 など、立て続けに出演すると、マドンナ的存在として人気を博し、 「お嫁さんにしたい女優ナンバーワン」と呼ばれるようになったのでした。 西田敏行と「池中玄太80キロ」 ちなみに、坂口さんの代表作の一つである、1980年のテレビドラマ 「池中玄太80キロ」は、通信社のカメラマン、池中玄太(さん)が、3人の娘を持つ未亡人、鶴子(さん)と結婚するも、鶴子がすぐに亡くなってしまい、自分にまだなついていない三人の娘を育てることになるというストーリーで、 坂口さんは、玄太と同じ通信社の記者で、(当時)これからの時代を象徴するキャリアウーマンといった役柄の、鳴山暁子役を演じられているのですが、 記者としてカメランマンの玄太と一緒に仕事をするうち、次第に玄太に惹かれていくヒロインを爽やかに演じられ、ドラマはヒット。 (後に二人は結婚するという設定になっています) 「池中玄太80キロ」より。 (後列左から)有馬加奈子さん、坂口さん、さん。 (前列左から)安孫子里香さん、西田敏行さん。 実は、このドラマは、さん主演の 「熱中時代」の続編が再開されるまでの、いわば、つなぎのようなドラマだったのですが、 当時、実力派俳優として人気がうなぎのぼりだったものの、ゴールデンタイムでの主演は初めてだった西田さんにとっては、大チャンスとも言える大切な作品で、坂口さんはそんな西田さんの成功に、大きく貢献されたのでした。 アイドル歌手としても~セクシー路線へ転身 そんな坂口さんは、清純派女優として人気を博す一方で、1972年には、ファーストシングル 「あこがれ」で歌手デビューされると、 「あこがれ」 その後も、 1974年 「幸せさがし」(自身の主演ドラマ 「家なき子」の主題歌) 「青い山脈」(ドラマ 「青い山脈」の主題歌) 1975年 「幸福ゆき」(ドラマ 「幸福ゆき」の主題歌) 1978年 「サヨナラの下書」 1982年 「まるで少年のように」 と、自身が出演するテレビドラマの主題歌などを担当し、アイドル歌手としても活動。 また、1983年には、写真集 「置き手紙」でセクシーなショットを披露すると、雑誌ではヌードも披露し、1986年には、グラビア写真集 を発売されるなど、清純派女優からセクシー路線へと転身されたのでした。 Sponsored Link 出演作品(テレビドラマ、映画) それでは、ここで、坂口さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。 テレビドラマでは、 1973年 「月曜スター劇場『たんぽぽ』」 1974年 「ボクは恋人」 1975年 「傷だらけの天使」第24話 1976年 「グッドバイ・ママ」 1977年 「ジグザグブルース」 「傷だらけの天使」より。 坂口さんとさん。 1978年 「三男三女婿一匹第2シリーズ」 1979~1984年 「三毛猫ホームズシリーズ」 1980年 「87分署シリーズ・裸の街」 1981年 「松本清張の小さな旅館」 1982年 「おまかせください」 1983年 「みんな大好き! 」 1984年 「なぜか、ドラキュラ」 1985年 NHK連続テレビドラマ 「真田太平記」 1986年 「白虎隊」 1987年 「松本清張スペシャル・渡された場面」 「真田太平記」より。 坂口良子さんとさん。 1988年 「京都・女性記者シリーズ『京都周山殺人街道』」 1989年 「京都・女性記者シリーズ『京都鞍馬殺人街道』」 1990年 「京都・女性記者シリーズ『京都物集女殺人街道』」 1991年 「京都・女性記者シリーズ『京都大原殺人街道』」 1992年 「京都・女性記者シリーズ『京都大石殺人街道』」 1993年 「京都・女性記者シリーズ『京都北国殺人街道』」 1994年 「心に秘めた幻の蝶」 1995~1999年 「当番弁護士シリーズ」 1996~2002年 「臨床心理士シリーズ」 1997年 「一色京太郎事件ノート5」 「臨床心理士シリーズ」 1998年 「札幌・増毛冬物語 暴かれたカルテ」 2000年 「風の行方」 2002年 「外科医・有森冴子母」 2003年 「やとわれ女将 菊千代の事件簿」 2004年 「万引きGメン・二階堂雪」 「万引きGメン・二階堂雪」より。 (左から)岩崎ひろみさん、さん、坂口さん。 2007年 「警察署長・たそがれ正治郎4『同窓会殺人事件』」 2008年 「水戸黄門」 第38部 2010年 「フリーター、家を買う。 」 2011年 「渡る世間は鬼ばかり 最終回スペシャル」 2012年 「渡る世間は鬼ばかり ただいま!! 2週連続スペシャル」 映画では、 1976年 「キンキンのルンペン大将」 「犬神家の一族」 1977年 「獄門島」 「人間の証明」 1978年 「女王蜂」 「キンキンのルンペン大将」より。 坂口さんとさん。 1980年 「帰ってきた若大将」 1983年 「嵐を呼ぶ男」 1990年 「曖・昧・Me」 1993年 「帰って来た木枯し紋次郎」 2007年 「牡丹灯篭」 「帰ってきた若大将」より。 (左から)さん、さん、坂口さん。 ほか、数多くの作品に出演されています。 に続く.

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元タレントの坂口杏里の本名は野沢瑞恵?母の坂口良子は本名ではなかった?

坂口良子 本名

元タレントの坂口杏里容疑者が8月28日、交際していた30代男性の自宅マンションに不法侵入した疑いで逮捕された。 世間では「またか」という反応だが、その一方で一部の報道で明かされた「本名:野沢瑞恵」に注目が集まっている。 その杏里は、人気女優だった故・坂口良子さんの長女で、良子さんの生前には母娘共演を果たしたことも。 そのためメディアでは「本名:坂口杏里」と紹介されることも多かったが、下の名前はともかく苗字までが芸名だったことには驚きの声が出ているようだ。 「55年生まれの母・良子さんは86年に不動産業を営む田山恒彦氏と結婚。 ここで杏里と弟が生まれましたが、田山氏が良子さんを保証人にして借金を重ね、94年に離婚した際には40億円もの借金を背負うことに。 それでも売れっ子女優だった良子さんはわずか10年でこの借金を完済しました。 その後はプロゴルファーの尾崎健夫と事実婚を続け、杏里が成人した12年に入籍しています。 そのため杏里が尾崎姓でないことは確かですし、生まれた時は田山姓だった可能性が高いものの、離婚の経緯を考えれば母娘ともに旧姓に戻していたのは確実。 ただその旧姓が坂口ではなく野澤だったことは、世間にはほとんど知られていませんでした」(芸能ライター) 1971年にミスセブンティーンコンテストでグランプリを受賞したことをきっかけに芸能界入りした母・良子さん。 だが当時の事情を考えれば、坂口が芸名であることはむしろ当然だという。 「母・良子さんは堀越高校が1973年に開設した芸能コース(現・トレイトコース)の一期生で、同級生には郷ひろみや野口五郎がいました。 そして当時の芸能界では誰しもが芸名を名乗るのが当たり前であり、郷は原武裕美、野口は佐藤靖が本名だったのです。 その後は本名をそのまま名乗る芸能人も増えましたが、近年でも綾瀬はるかのように本名非公表のケースは珍しくありません」(前出・芸能ライター) ではなぜ、杏里は芸名で坂口を名乗るようになったのだろうか。 芸能ライターが続ける。 「芸能界では子供が芸能デビューするに当たり、親の七光りを活かすために芸名を引き継ぐことがあります。 有名な例は多岐川裕美の娘で、中学生で芸能デビューした多岐川華子でしょう(本名は大内)。 ただ杏里の場合はちょっと事情が異なるはず。 というのも母・良子さんの離婚歴が広く知られているため、世間には娘の杏里が母親と同じ坂口姓になっているとの認識があり、そこで野澤を名乗ってしまうと坂口母娘としては不都合だったのでしょう」 自らの不祥事により、親子二代で隠し続けてきた本名が表に出てしまった杏里。 母の故・良子さんは草葉の陰で何を思っているだろうか…。 (白根麻子).

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坂口良子が亡くなるぎりぎりまで働き続けた理由とは?娘・坂口杏里との親子の絆は深くて強いものだった

坂口良子 本名

若い頃:16歳の時の坂口良子さん 1972年のフジテレビのテレビドラマ『アイちゃんが行く! 』で主演デビューしています。 その後は、 愛くるしい顔立ちと親しみやすいキャラクターでアイドル的人気を誇り、『たんぽぽ』『前略おふくろ様』『犬神家の一族』等、人気作品に次々と出演しています。 以下も坂口良子さんの若い頃の写真ですが、 本当に美しいですね。 人気が出たのも頷けます。 出典: 出典: 出典: 坂口良子さん72年『あこがれ』デビュー! 71年「ミス・セブンティーンコンテスト」優勝 72年ドラマ「アイちゃんが行く!」主演デビュー。 「池中玄太80キロ」女優として有名 娘「坂口杏里」さんとバラエティ多数出演 13年癌のため死去。 — 国見亭 A813tea 病気で亡くなった坂口良子さん 2013年3月27日午前3時40分、57歳という若さでお亡くなりになられています。 2011年には腸閉塞を患っており、最終的には大腸がん 横行結腸がん や肺炎など複数の病気を併発していたようです。 女優坂口良子さんが27日午前3時40分に 横行結腸がん(大腸がん)による肺炎のため、死去した。 今月上旬、一部週刊誌が重病と報じ、坂口さんは12日付の自身のブログで、昨年腸閉塞(へいそく)を患い、インフルエンザから肺炎になったと説明していた。 通夜、告別式は近親者だけで行われた。 引用: 突然の訃報だった。 尾崎と長女でタレントの坂口杏里は29日午後、 「かねてより病気療養中(横行結腸がんならびに肺炎)でしたが、平成25年3月27日午前3時40分永眠いたしました」とマスコミ各社にファクスで送信した書面で、坂口さんが天国に旅立ったことを報告。 コメントも発表した。 「これから家族全員、力をあわせて、皆さまのご厚情を賜りながら頑張ってまいります。 今後とも、なにとぞ、ご指導鞭撻(べんたつ)のほどよろしくお願い申し上げます」。 引用: 最後まで見せた女優魂 最期まで女優魂を貫いた坂口さんの闘病生活を、元マネージャーがこう語っています 「2年前、坂口はロケ先の鎌倉で急激な腹痛に襲われ、 病院で腸閉塞と診断されました。 その治療時に大腸に初期ガンが見つかったのです。 あの時、緊急入院という状態だったのに、坂口は周囲に迷惑をかけたくない一心で鎌倉から東京の病院まで自身で運転した。 あの精神力ならきっと病魔に打ち勝つと信じていたのに…」 引用: 坂口良子さんは ガンの発見直後に手術を受けました。 大腸に初期ガンと報道されているのでステージは1か2と思われます。 その後半年間、月に2~3日ほどの抗ガン剤治療を続けたといいます。 そしてがんで闘病中もドラマやバラエティー番組に出演し、 周囲に悟られないように振る舞っていたと言われています。 がんを周囲に隠していた理由としては、子供たちのために仕事を続けたい気持ちが強かった空と言われています。 「何より 子供たちのために仕事を続けたい気持ちが強かったのでしょう。 坂口は19年前の離婚後、無我夢中で働き、育児ができなかった。 それをとても後悔しており、 『子供たちに罪滅ぼしをしたい』とよく口にしていた。 それでタレントで娘の杏里のために、バラエティーなど女優には畑違いの番組にも積極的に出演したのです」 引用: 再婚相手の尾崎健夫さんは本当の病名を知っていたそうですが、 坂口杏里さんには「腸閉塞という病気」と嘘をついていたようです。 尾崎は、良子さんが体調を崩して入院した際、本当の病名を知りながら、杏里には 「ママは腸閉塞という病気で、手術すれば治るから」と伝えていたという。 杏里は尾崎の言葉を信じ、退院した良子さんとともに、バラエティ番組に出演し続けたそう。 しばらくして、良子さんは「検査」と杏里に告げ、再び病院で生活することになった。 次に 兄からの連絡を受け、杏里が病院に駆けつけたころには、良子さんは話すこともできない状態だったそう。 尾崎は、ここで初めて杏里に、 良子さんが末期がんであることを明かしたという。 良子さんがタレントとして活躍し始めた杏里に心配をかけたくないと強く願ったため、尾崎は杏里に真実を告げなかったそう。 しかし、 杏里は母親との時間を奪った尾崎を憎んだという。 引用: この闘病の様子は金スマで放送されています。 ネットでは以下のような反応がみられました。 金スマは滅多に見ないのだが昨夜は坂口良子を扱う予告だったので見た。 ぴったんこカンカンでは昨年の結婚式も見ていたし、その前から娘の杏理と一緒に何度か出ていたのも見ていた。 あの頃から既に末期癌だったのだ。 親バカだと見ていたが、死の直前まで子供の為に必死に頑張っていたんだね。 切ない。 金スマで、最期をみせてくれてありがとうございました。 — なお nao20101024 女優坂口良子さんの晩年をテレビで見ている。 壮絶なまでの親の愛情.末期癌で痛み止めを打ちながらも娘の為に車椅子を断り自分の足で歩いて最後の仕事をしたって・・・凄すぎる。 それを支えた尾崎健夫さんの愛情。 家族っていいなぁが最後の言葉ですって。 ご冥福を祈ります。 2人の間には、息子と娘・坂口杏里がいる。 その後、バブルがはじけ、旦那が莫大な借金をつくり1994年に離婚した。 その半年後、2013年3月27日、末期の大腸がんによる肺炎で亡くなった。 当時、娘の坂口杏里には病名を隠しており、病名を知った時にはすでに母親は話せない状態になっており、真実を告げなかった義父を憎んだという。 女優・坂口良子さんの一生涯をまとめてみましたが、いかがでしたか? 57歳という若さでお亡くなりになられたのでは残念ですが、がんを周囲に隠して、子供たちのために仕事を続けていた姿には感銘を受けました。 娘の坂口杏里さんは坂口良子さんの遺産でホスト遊び、挙句の果てには借金までもしてしまいましたが、坂口良子さんは天国で泣いているかもしれませんね。 娘さんは残念なことになってしまいましたが、母親の坂口良子さんは素晴らしい女性であったとこのまとめで残しておきます。

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