ば つが 悪 そう に。 静的は単体テストでは普遍的に「悪」であり、そうである場合、Resharperがそれを推奨するのはなぜですか?[閉まっている]

【悪の女幹部】新規追加キャラ「クリス」「シロクマ姫」について

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以前「地頭の良さ」についての記事を書いた事がある。 コンサルタントをやっていた頃、良いか悪いかは別として、採用に関して「地頭の良さ」を重視する風潮があった。 地頭の良い人間は一定の訓練でそれなりのコンサルタントになる。 だが、お世辞にも地頭の良いとはいえない人間は、いつまでたっても一人前になれなかったからだ。 実際、私が20代半ばで所属していた部署では、中途採用にあたって「学歴」をさほど重視していなかった。 重視していたのはとにかく「地頭」だ。 記事に書いたが、私は「地頭の良さ」というのは、「インテリジェンス」、すなわち「僅かな情報から、多くの事象を読み取る能力」だと考えている。 実際、「地頭が良い人」から得られる情報の中で最も貴重なのは、「思考の切り口」だ。 「そのような見方があるのか」との気づきを与えてくれる人々と話すのは、刺激的で、心地よい。 * ところが、逆に「頭が悪そうな物言い」をする人たちもいる。 もちろんこれは、あくまでも「悪そう」なので、中身に関しての話ではない。 が、「損してるなあ……この人」と思うのだ。 例えば、この時期は新卒採用のシーズンだが、面接官から「質問はありますか?」と聞くと、頻繁に 「強みはなんですか」とか「ビジョンについて詳しく教えて下さい」 といった「いつもどおりの」質問を投げてくる学生がいる。 思い当たる方もいるだろう。 だが、この質問は残念ながら「頭が悪そう」に見えてしまう。 多くの場合、面接官は「またか」と、うんざりして、例えば 「両方ともwebサイトに書いてありますが、ご覧になりましたか?」と聞くのだ。 あるいは、面接官も同様に学生から「品定め」されている。 面接官が「その志望動機であれば、ウチでなくても良いのでは?」 と安直に聞けば、学生はうんざりして 「(当たり前じゃないか。 他社と同じようなことしかしてないのに。 この面接官、レベル低いのかな?)」 と思うだろう。 上のエピソードを読んで 「お互い準備不足なのでは?」という方もいるかもしれない。 でも、そうではない。 準備不足はもちろんダメなのだが、 それ以上に、相手をうんざりさせる質問そのものがダメなのだ。 「無神経」な表現 ここで重要なのは「ビジョンはなんですか?」「ウチでなくてもよいのでは?」という質問のどこが悪いのかだ。 私もきちんと言語化できていなかったが、最近になって、本多勝一氏の「日本語の作文技術」を読み返したとき、ようやく理解した。 要するに 「頭が悪そうな物言い」というのは「無神経」なのだ。 例えば、本多勝一氏は「無神経」な文章の例として、次の文章を挙げ 「ヘドが出そうな文章の一例」と辛辣なコメントをしている。 只野小葉さん。 当年五五歳になる家の前のおばさんである。 このおばさん、ただのおばさんではない。 ひとたびキャラバンシューズをはき、リュックを背負い、頭に登山帽をのせると、どうしてどうしてそんじょそこらの若者は足もとにも及ばない。 このいでたちで日光周辺の山はことごとく踏破、尾瀬、白根、奥日光まで征服したというから驚く。 そして、この只野さんには同好の士が三、四人いるが、いずれも五十歳をはるかに過ぎた古き若者ばかりなのである。 マイカーが普及し、とみに足の弱くなった今の若者らにとって学ぶべきところ大である。 子どもたちがもう少し手がかからなくなったら弟子入りをして、彼女のように年齢とは逆に若々しい日々を過ごしたいと思っている昨今である。 読んでみると、たしかにこの文章はなんとなく「うざったい」し、スマートに見えない。 一体なぜそう感じるのか。 その理由について、本多勝一氏は、「あまりにも紋切型の表現で充満しているからである」と言う。 「このおばさん、只者ではない」という、自分だけいい気になっているような表現。 「どうしてどうして」「そんじょそこらの」「足元にも及ばない」という手垢のついた表現。 「ことごとく」「踏破」「征服」といった大仰すぎる言葉。 これらはすべて、 「安直な表現」だ。 誰かが使っていた表現を、考えもなしに、そのまま使っただけ。 だから、無神経に見える。 無神経な著者は、すくなくともスマートには見えない。 本多勝一氏は、次のように指摘している。 紋切型を平気で使う神経になってしまうと、そのことによる事実の誤りにも気付かなくなる。 たとえば「……とAさんは唇を嚙んだ」と書くとき、Aさんは本当にクチビルを歯でギュッとやっていただろうか。 私の取材経験では、真にくやしさをこらえ、あるいは怒りに燃えている人の表情は、決してそんなものではない。 なるほど実際にクチビルを嚙む人も稀にはあるだろう。 しかしたいていは、黙って、しずかに、自分の感情をあらわしようもなく耐えている。 耐え方の具体的あらわれは、それこそ千差万別だろう。 となれば、Aさんの場合はどうなのかを、そのまま事実として描くほかはないのだ。 「吐きだすように言った」とか「顔をそむけた」「ガックリ肩を落とした」なども、この意味で事実として怪しいきまり文句だろう。 先日書いた「」という記事の冒頭に、ヤクザ映画「アウトレイジ」を紹介している。 この映画に出てくるヤクザはどれも皆、大変頭が悪そうに見えるのだが、その理由は登場人物の多くが、「紋切り型の表現」である「バカヤロー」「コノヤロー」「殺すぞ」を多用するからだ。 これは「紋切り型の表現だけを使って、頭が悪そうに見せる」ことを、制作側が明らかに狙ってやっている。 同様に、「ビジョンはなんですか」と聞く学生は、就活のマニュアルなどを見て、「ビジョンを聞くとよい」と思って質問をしているのかもしれない。 「ウチでなくてもよいのでは」と問う面接官は、「少しはウチのことを時間をかけて考えてほしい」と思っているのかもしれない。 だが「定型的に」「紋切り型に」「安直に」それをやれば、「頭が悪そうだな」と思われるだけだ。 紋切り型に言われると「頭が悪そうに見える」 紋切り型に言われると、深く考えている人から「あなた、ちゃんと考えて言ってる?」と思われてしまう。 だから、相手に届かない。 だから「紋切り型の表現」や「借りてきただけの表現」は、時として、揶揄の対象になる。 「会議でスマートに見せる100の方法」(早川書房)では、そうした「紋切り型の表現」を完全にネタ扱いしている。 「スケールする?」 「正しい選択肢を選ぶべきだ」 「イノベーションが楽しみです」 各記事クリックすると冒頭部分読めます。 ご興味ある方は詳しくは ご覧ください。

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三吉彩花と竹内涼真のフライデーと馴れ初めは?性格悪そう言われる理由

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不来方高校の顧問は責任を問われておらず、近々にも指導の現場に戻るとも噂されている。 「顧問がまた指導現場に戻れば、3人目、4人目の被害者が出る」 そう焦りを募らせる父親に対し、「急がなくてはいけないこともわかっている」と八田さんは苦しそうに話した。 解決に進まない理由の1つが、部活の現場における暴力、暴言を「必要悪」とする考えが、学校や指導者、さらに保護者サイドにもあることだ。 暴言や無視といったパワハラが自殺につながることを理解する人は多くない。 岩手県教育長は「強豪校には(暴力を伴う指導が)ありがちだ」と発言。 さらに、学校内の調査で生徒がパワハラを指摘しているのに「そのほか一部の生徒がいい指導だったというコメントもあるので問題ない」と話したことが、県議会の12月の議事録に残されている。 「苦難」を乗り越えられられない子が悪いのか 加えて「自殺する子は弱い子」という偏見も根強い。 「苦難を乗り越えられるような教育をしていかなければいけない」 不来方高校のホームページには、生徒の自殺に際し校長からこんな訓話が掲載された。 「乗り越えられない子どもが悪いということか!?」とすぐさまサイトは炎上。 文章はすべて削除されたが、遺族はこうやって心ない言葉を浴びる二次被害を受けていることも訴えた。 それらの話に、八田さんはただただ耳を傾け続けた。 1時間10分が過ぎていた。 暴力とパワハラから脱却できず苦悩するバレーボール協会。 暴力とパワハラに息子の命を奪われた遺族。 間接的ではあるが加害者と被害者の立場に置かれた両者は、同じものに翻弄される互いの事情を共有したようだった。 両親をサポートする草場弁護士は涙をこらえながら、八田さんに訴えた。 「遺書に、バレーボールは嫌いだった、というくだりがあります。 先ほど(試合のビデオを)お見せしましたが、あんなに楽しそうにやっていたのに、嫌いだという感情が残ってしまった。 かわいそうでたまらない。 (遺書の)最後のほうには、必要ないと言われたと書かれている。 間違いなく顧問のパワハラが彼を追い込んでいる。 今回、八田さんがこの事件に向き合ってくださって、仙台まで来てくださったことに感謝したい」 桜宮事件を契機に、肉体への暴力、つまり「体罰はダメ」という認識はスポーツ界に広がった。 だが、その学びは、暴言をはじめとするパワハラ行為までは及んでいない。 そんな学び足りない大人たちが埋められずにいた「落とし穴」に、不来方の17歳は落ちてしまったように見える。 スポーツの不祥事が続き人々のパワハラへの意識が高まったからか、バレーボール以外にも野球やバスケットなど高校スポーツでの暴力指導報道が引きも切らない。 「今までと同じことをしていてはダメなんです」 八田さんの絞り出した声は、スポーツ界全体への警鐘でもあるだろう。

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銀色の契約者

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作品内容 意地悪は単なる悪口や暴力とも違って、洗練を必要とする「知的かつ優雅な行為」である。 他者への罵詈雑言やヘイトスピーチといった、むきだしの悪意が蔓延する現代社会。 橋本治は、その処方箋を「みなが意地悪になること」だとして、古今東西の例を挙げてその技術を具体的に解説する。 Posted by ブクログ 2019年09月26日 地域によって売れる本、並べられている本が違うので、旅先の本屋に立ち寄ることが多い。 そんな矢先、本屋で見かけたのがこの本だ。 自分の中で、「優雅」と「意地悪」は、随分とかけ離れたもの同士で、それらは両立しないものだと思っていたので、どんな本かと思い、購入。 「意地悪」と「暴力」の違いという、対 立構造から始まり、メリル・ストリープ、樋口一葉、夏目漱石と例を出し、意地悪の側面から紐解いていく。 意地悪とは何かに関しては、はじめに語られているように、「完全犯罪」と同じで、自分の行為がいかにして相手に気付かれないか考えて実行に移すこと、としていて明快だ。 『「意地悪」を考えるとなると、自分を意地悪される側の立場に置いて偏って考えがちです。 だから、意地悪の中には「教えてやる」と言う要素が根底に横たわっているのだということを忘れがち P45-46 』というのは、眼から鱗。 この「教えてやる」という考えから始まり、完全犯罪に仕上げていき、実行する。 突発的に「バカ」などというような、この本でいうところの「言葉の暴力」と比べれば、じっくりと熟成させていて、これこそがタイトルにある、時間をかけて作り上げる優雅さなのだ。 全体の話の流れとしては、すぐに結論にたどり着くことなく、まどろっこしく、脱線しながら進んでいく。 そんな流れが自分にとって「いい」と思えた。 結論を言うのはものすごく簡単。 だけどそればかりだと、受け取る人間は考えなくなって、言われた通りにやるといった、思考停止に陥るように思える。 ヒントのようなものを出して、「後は考えて」と放置する。 そうすることで、聞き手の技量が試される。 Posted by ブクログ 2019年05月12日 掴みからして面白いんですけど! まとめたいけど、まとめられない! 莫大な知識量を惜しげもなく。 人は言葉が足りなくなるとキレて暴力に走る。 言葉の数が少ない決めつけだからこそ強く響く。 「バカ」は二音。 言葉の数のセンテンスが長くなると人は一瞬自分が何を言われているのか分からなくなってカッとなる事が避け れる。 言葉の数が多くなると暴力性は薄れる。 それで物足りなければ「アァ!死ねばいいのに」と感嘆をつける。 《思しき事言わぬは腹ふくるるわざー兼好法師》言語化しないと体の中は欲求不満でパンパンになるので「不穏当な願望」であっても言語化した方がいい。 社会の本流に合致したものを暴力的になり社会の本流からずれたところにいるものは意地悪になる。 頭が良くなければ意地悪になれない。 単純な行為はすぐに伝播し暴力の連鎖を生む。 意地悪は暴力と違って複雑。 「誰がやったか」はもちろんすぐ分かってはいけないし、「何のことかよく分からない」というのが意地悪。 教師の仕事は生徒が自分の頭で考えられる様にすることで知識を与えるのはその一歩でしかないが、それだけしていると生徒は与えられるのは当然と思って自分の頭で考えることをしなくなり、甘ったれた「ほしがり屋さん」になる。 だがストレートに出さない(笑)講義の漣が起きるから!その気にしておいて突き落とすのが意地悪。 不思議なもので人間は教えられなくても「馬鹿」とか「死ね」等の悪口を言う。 きっと人間の脳みそのどこかには「人の悪口を言いたくなる回路」があるのだろう。 でもこの「教えられなくても言う悪口」というのは単純なもの。 これをとりあえず認めて「口から出やすい単純な悪口」を「複雑で頭を使う必要がある悪口を簡単に気づかれないような悪口」に変える訓練をする必要がある。 権力者が目下の者の悪口を言っているということがばれたら品性の問題に関わってくる。 だからバレないように悪口を言う。 意地悪の基本姿勢は完全犯罪です!端から見れば明らかに意地悪であっても当人的には清廉潔白で私が意地悪なことをしたという証拠は何もないと胸を張っていられるのが家意地悪の意地悪たる所以。 意地悪というのは、いたって優雅な行為なのです。 意地悪な目がないと、性格描写や心理描写はできない。 平安時代高貴な人の名前は忌み名と言って言ってはならなかった。 名前には魔力がある。 悪魔退散の時も悪魔に名乗らせて払う。 名乗ると力がなくなるから。 古今東西同じなんだなぁと感慨深い。 Posted by ブクログ 2017年12月02日 この人の書いた新書だからと、気楽な調子で読み始めましたが、期待を裏切る意地悪さで面白かったです。 気の抜けた様子で書かれていて、「あれ?」とよく理解できなかったところを読み返すと結構考えさせられることが書いてあります。 相当意地悪な本です。 著者が書かれている通りに「内容がない」のか、わかっていないのか、 一度読んだだけの今は分かりません。 でももう一回読んでおかないといけないと思わされるような、何かが書かれています。 たぶん。 日本人と西洋人とは、悪の捉え方が違っていて、それゆえに世間一般の悪の考え方が、日本では違うニュアンスになっていると思います。 そういうことや、悪を公然と行う「暴力」を行えない人たちは、意地悪を行う。 そのためには頭が良くないといけない。 頭が良い人はマイノリティだから、暴力という手段を取ることができないので意地悪を行う。 といったような思考の迷路にはまりこんでしまうような本です。 Posted by ブクログ 2019年01月12日 橋本治の文章を読むには、アタマにも体力がいる。 ちゃんと説明するには相応の長さ、回りくどさが必要なのだ。 その中に、見過ごせない言葉が入ってるのが橋本さんだ。 啓蒙というのはバカがいないと成り立たない、とか モーツアルトに対するサリエリの嫉妬の内実、とか 今は正義のヒーローも金持ちで巨大組織にいるの で、 悪の組織を率いる役人も「幼な馴染み」にならないと出番が得られない、とか、 論語は善は説いても、悪は考えないことになってるので 悪が規定されない状況では、善の拡大解釈が起こる、とか。 カッコ書きで視点を動かし、それくらい考えなさいとポンと連れていく。 単細胞は暴力的になるが、頭のいい人は意地悪になれる。 ネタバレ Posted by ブクログ 2017年09月24日 前著「知性の顛覆」で知性とモラルの関係について語り、今回も「暴力」と「意地悪」の違いから始まり、いつもの通りどんどん脱線しながら簡単に結論に行き着かない。 この過程そのものが「巨大なる知性・思索」の結晶なのだけれど、自分にとっても、発達障害などの外来で子どもの行動分析にもとても役に立つ考察になっている。 「言葉がなくなるとキレて暴力に走る」はその通りで、学校で友達に手を出してしまう子の多くは、言語性のIQが低い。 人を罵倒する言葉は得てして2文字で、短い言葉の方が衝撃度が高いからなんてのは独特の思考回路で面白い。 つまり、暴力は単純で、意地悪はもっとずっと複雑な行為であると。 知性の伴った表現で、相手に瞬時に意味がわからないようなものが「意地悪」である。 そして、意地悪は自分のしたことを隠そうとする方向性があり、社会の本流に属していない人が行う行為である。 「社会の本流に属した人は暴力的になり、本流からズレたところにいるものは意地悪になる」 意地悪は、相手に考えさせる行為であるから、教育的な意味を含んでいる。 生徒に「自分で考えろ」という導入だけして教えない意地悪な教師が教育的である。 そして、マスゾエ問題を通じて、知性とモラルが分離した現代の、モラルと離別した知性的な人間が下品になったことを説く。 勉強のできる優等生は、モラルより「勝ち負け」が大事で、不適切な状況に直面して「恥」だと思わない。 現代の知性人が捨てたモラルは、「自分の外にあって自分の利益を害するもの」で、そうするとエゴイズムをカッコつけて野放しにする方向にしか行かない。 知性とモラルが同居していた頃は、内なるモラルが、外なるモラルの変質を修正する機能を持っていた。 その発動形態の1つが「意地悪」であった。 夏目漱石や樋口一葉。 現代は、意地悪の批評性が失われた時代なのである。 きっと落語家や漫才師、コラムニスト、一部の言論人も同様に感じているのではないかな? 知性を磨くだけでなく、知性を取り巻く「内なるモラル」に自覚的に、そしてつまるところ、他者への優しさとコミュニケーションにおけるユーモアを大事にしたいと思った。

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