ローマともいう。 ラテン語 Papaのは首長としての司教 教皇 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。 しかし,東方正教会はに全キリスト教を代表する地位を認めるが,他教会に対する首位権,不謬性を認めていない。 プロテスタント諸教会も教皇に関する教会の主張を否定している。 それにもかかわらず教皇のキリスト教全体に対する影響は決して小さくない。 カトリック教会の長として教皇は国家との間にを結ぶ権利をもち,1929年のイタリアとのでのとなった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 ローマ・カトリック教会の首長、バチカン市国元首。 法王ともいう。 教皇の帯びる諸種の称号のうち、「ローマ司教」「イエス・キリストの代理者」「使徒の頭 かしら の後継者」「全カトリック教会の首長」の四つが、教皇権の起源と本質を物語る。 すなわち、教会の創立者キリストは「使徒の頭」ペテロ(ペトルス)を自分の代理者(「キリストの代理者」)とすることにより、自らが世を去ったのち教会を導く権能を与え、この権能は、ペテロのローマでの殉教ののち、その「後継者」である「ローマ司教」に代々受け継がれた。 したがって、ローマ司教である教皇は、教会の歴史を通じて「全カトリック教会の首長」の座にあったとされる。 教皇はまた「バチカン市国元首」としては一国の元首の地位にあり、いずれの国家にも属さない立場をとることにより、精神的独立性を確保している。 教皇の首位権の起源の根拠としては、聖書の「あなたはペトルス(ペテロ)である。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。 ……わたしはあなたに天国の鍵 かぎ を与えよう……」との箇所(「マタイ伝福音 ふくいん 書」16章18~19)、およびキリストがペテロに「わたしの羊を牧せよ」と3回繰り返し命じた箇所(「ヨハネ伝福音書」21章16~17)があげられる。 教皇の選出は、前教皇没後15日以内に招集される選挙会(コンクラーベconclave)において行われる。 選挙権は枢機卿 すうききょう のみが有し、3分の2以上の多数票を得た人物が就任を受諾すると、ただちに新教皇名が決定、公示される。 新教皇の着座式は選挙直後の日曜日または祝日に挙行される。 [梅津尚志] 歴史教皇の首位権は実際には教会史の流れのなかで徐々に全教会的に承認されるようになったのであるが、すでに3世紀にはローマ司教は「ペテロの座」Cathedra Petriと称されており、4世紀以降はローマ司教のみが「パパ」Papaとよばれるようになった。 キリスト教ローマ帝国の時代には、教皇権が皇帝権の強い干渉を受ける面もみられたが、異端を排除しつつ教義を確立するという課題は、概して教皇側の主導権のもとに解決され、それを通じてローマの首位権が広く承認されるようになった。 中世になると、教皇権はビザンティン(東ローマ)側と疎遠になる一方で、新生フランク王権と結び付くことによって地歩を固め、宗教的、文化的、政治的指導者としての立場にたつようになった。 とくに11~12世紀の「グレゴリウス改革」を通して、教皇は世俗権からの独立性を獲得するとともに、教会の中央統治機構としての教皇庁を整備し、全教会にわたる指導権を高めた。 また、当時の封建的諸勢力の併存・対立の状況のなかで、場合によっては政治世界にも大きな影響力を及ぼした。 そこに、インノケンティウス3世らに代表される中世教皇権の隆盛期が現出した。 中世末期に至ると、フランス王権を代表とする世俗権力の強大化によって教皇権は相対的に弱まり、さらにシスマ(教会大分裂、1378~1417)の結果、教皇首位権への信頼は揺らぎ、教皇よりも公会議全体の決定を上位に置く公会議首位説(公会議至上主義)が強まった。 「教会の頭と肢体の改革」が叫ばれながらも、改革の実をあげられなかった教皇権は、ルターに始まる宗教改革に対しても当初は有効な措置を講ずることはできなかった。 教皇の主導下に開かれたトリエント公会議(トレント公会議、1545~1563)による態勢の立て直し、また、とくに教皇に忠誠を誓うイエズス会の活躍などにより、カトリック側は失地回復に努めたが、ヨーロッパ・キリスト教世界を教皇のもとに再統合することはできなかった。 ヨーロッパの近代化が進むにしたがって、近代的政治体制、諸思想に直面して教会は守勢にたたされ、従来教皇が保持していた諸特権も否定されていった。 19世紀後半の第一バチカン公会議(1869~1870)は、時代思潮に対してカトリック教会の立場を明確にし、また教皇の不可謬 ふかびゅう 性を宣言して、近代世界に対する積極的態度を示した。 しかし、公会議中に、国家統一の完成を目ざすイタリアによりローマが占領され、教皇領のすべてを奪われた。 教皇は伝統的に保持してきた世俗権力を失い、イタリア政府と対立した(いわゆる「ローマ問題」)。 [梅津尚志] 現代世界と教皇世俗権力を失ったなかで、教皇はカトリック教会の首長として、宗教的な指導者の立場から、世界が直面する社会正義や平和問題について広く世界に訴えるようになった。 レオ13世は1891年の回勅「レールム・ノバールム」で労働者の人間性尊重を強く訴え、また、帝国主義時代の激しい国際対立のなかで世界平和のための国際連盟の必要性を世界に先駆けて説いた。 しかし、教皇の願いもむなしく、世界は二度の世界大戦に突入した。 その間、1929年にはピウス11世はイタリア政府とラテラノ条約(ラテラン協定)を締結して「ローマ問題」を解決し、その結果としてバチカン市国が成立した。 教皇はバチカン市国という一国の元首となり、カトリック教会の首長としての自由と独立を確保することになった。 20世紀の後半、教皇権は大きな転機を迎えた。 ヨハネス23世は第二バチカン公会議(1962~1965)を招集して、「現代化」(アジョルナメント)による教会の自己革新に努める一方、回勅「マーテル・エト・マジストラ」において富の不均衡の克服を訴え、また「パーチェム・イン・テリス」(地上に平和を)においては、力の均衡によってではなく、対話を通しての相互信頼によって国際平和を実現すべきことを説いた。 パウルス6世(パウロ6世)の国際連合での平和の演説(1965)も、その路線を継ぐものであった。 1978年に教皇座についたヨハネ・パウロ2世(ヨハネス・パウルス2世)はさらに精力的に世界各地を歴訪、1981年2月には教皇として史上初めて日本を訪れ、広島で平和アピールを発するなど、全世界に平和と正義の実現を呼びかけた。 とくにポーランド出身の教皇が、社会主義体制の母国を1979年に訪問して信教の自由や冷戦の克服を訴え、さらに1980年に成立したポーランド自主管理労組「連帯」への支持を表明したことは、その後の社会主義陣営の動揺と冷戦構造の崩壊の契機となった。 1989年にはポーランドの「連帯」が政権を獲得し、ベルリンの壁が崩壊し、一連の東欧革命が起こったが、同年、ペレストロイカ(改革)を掲げるゴルバチョフはソ連共産党書記長として初めてバチカンを訪問して教皇と会談した。 その2年後にソ連は崩壊した。 教皇は1998年1月にはキューバを訪問して国家評議会議長カストロと会談し、「聖年」にあたる2000年3月には諸宗教・諸民族間の「ゆるしと和解」を旨とする聖地巡礼を行った。 2001年5月にはキリスト教会が東西に分裂(1054)して以来、初めてギリシアを訪問した。 なかでもローマの司教は,イエスの復活を説いてカトリックの基礎を築いた使徒ペテロの後継者とみなされ,4世紀ごろから宗教的権威を高めて,特に教皇と呼ばれた。 8世紀中ごろカロリング朝を創立したよりのを受け,世俗的の観を呈し,は,13世紀には全盛期に達して,教皇のは諸国王をしのいだ。 近代初期におけるの形成やの成立とともに,その世俗的権威は著しく弱められ,1870年教皇領はイタリア王国に吸収された。 1929年のでヴァチカン市国が成立し,教皇はその元首として現在に至っている。 出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 世界大百科事典 内の教皇 の言及.
次の「ローマ法王」「ローマ教皇」という二つの呼称について 「新聞を見ると『 ローマ法王』と書いてあり、教会の文書には『 ローマ教皇』と書いてあります。 どちらが正しい表記ですか?」 このような質問が多く寄せられます。 簡単に説明します。 教会では「 ローマ教皇」を使います。 以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。 そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ二世の来日を機会に、「 ローマ教皇」に統一することにしました。 「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。 バチカン大使館は、「ローマ法王庁大使館」 ところが東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「 ローマ法王庁大使館」といいます。 なぜでしょうか? 日本とバチカン( ローマ法王庁、つまり ローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「 法王」だったため、 ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。 そのまま「 法王庁大使館」になりました。 教皇フランシスコ訪日に合わせて 2019年11月20日、日本政府は、11月の教皇フランシスコ訪日に合わせて「教皇」という呼称を使用すると発表しました。 (3)ローマ教皇の訪日(呼称の変更) 【大鷹外務報道官】三つ目が,ローマ教皇の訪日の関係で,ご案内のとおり,23日から26日まで,ローマ教皇フランシスコ台下が訪日予定です。 これまでバチカンの国家元首の日本語での呼称につきましては,日本国内において「ローマ法王」,あるいは「ローマ教皇」という異なる呼称が用いられてきていました。 カトリック関係者の方々を始め,一般に「教皇」という呼称を用いる例が実は非常に多く見られるということ,それから日本政府の一般的な呼称として「教皇」を使用する場合,バチカン側として問題ないのかということについて問題ないという確認ができましたことを踏まえて,今般フランシスコ台下が訪日に際し,日本政府として「教皇」という呼称を使用することとしました。 日本政府の対応に合わせて、マスコミ各社も11月23日からの教皇訪日関連報道より「教皇」という呼称に統一してくださっています。
次の詳細は「」を参照 カトリック教会自身による定義は、 Lumen Gentium にみられる「の後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち()によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現に最もよく表されている。 教会の教えによれば、教会とは単なる人間的な組織ではなく、20世紀前にパレスティナで誕生した伝統を継続する人々の集まりでもなく、教会は、人間から成立っているが、神から来るものである。 名称 [ ] (および)と区別するため、カトリック教会と教会を総称して と呼ぶ場合もある。 その中で、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてプロテスタント教会を「 新教」とも呼ぶことがあるのに対してカトリック教会を「 旧教」と呼ぶ例もあった。 日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたことがあるが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはない。 別の名称としては、日本ではかつて 天主公教会(てんしゅこうきょうかい)と称していた。 これはかつて神のことを「天主」と呼んで教えていたためで、・などの名称はこれに由来するものである。 また「公教」の使用例としては「」「長崎公教神学校(現・)」などがあったが、現在ではほとんどない。 現在ではが公式表記としていないので、日本のカトリック教会側が「カソリック」という表記・呼称を使用することは通常はない。 「カトリック」という名称 [ ] の成立の概略を表す樹形図。 さらに細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。 のによる以前の教会で、・およびを信仰する教会(やの対義語という意味。 ともいう)を指して「 」と呼ぶこともある。 この場合は現在のカトリック教会とを含む。 ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。 カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。 現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの2つは排他的概念ではないことには注意が必要である。 また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持するの諸教会があるほか、冒頭文にもあるように「カトリック」を自称・自認する教派は他にも、、、などの諸教会があり、これらと区別する意味で ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。 しかし広義の「カトリック」であると自称する他のキリスト教の教派と区別する場合や、・・など他の教派の信者・教徒からは、「ローマ・カトリック教会」と呼ばれることも多い。 カトリック教会のメッセージ [ ] を参照 カトリック教会のメッセージはイエス・キリストの宣教によって成り立っている。 神から人類に対する啓示がによって満たされ完結したことを教えている。 「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法のもとに生まれた者としてお遣わしになりました。 それは、律法の支配下にある者を購い出して、わたしたちを神の子となさるためでした」(ガラテヤ4,4-5)。 イエスは神がいかなるお方であるかをまったく新しい方法で、それまでのイスラエル人の理解をより深く掘り下げて示したのである。 イエスは神を自分の父として示した。 それは、「わたしと父は一つである」とまで言える唯一で特異な関係なのである。 使徒たちの教えに基づき、教会は、イエス・キリストは神の御子であり、父なる神と同じ本性を有する神であると宣言する。 キリスト教のメッセージはイエス・キリストが宣教した教えを伝えている。 それは、「神の国」の教えである(マルコ1,15)。 イエスはこの象徴的な表現を豊かな内容で満たした。 「神の国」は、人間の歴史の中に、そして歴史の終りにおいても神が現存なさることを教えている。 また、「神の国」は、神が人間と一つになってくださることも教えている。 イエスは、自らが人々と共にいることによって、また、悪魔の力と悪から人間を解放することによって、すでに神の国が始まっていることを宣言した(マタイ12,28)。 イエス・キリストのこの現存と行動は、聖霊の力により教会の中で引き継がれている。 教会は、人間の歴史において、神の国の芽生えであり種子というべきもので、歴史の終焉におけるキリストの再臨をもって栄光ある完成を迎えるのである。 その完成を待つ間、人は教会において洗礼を受け、神との新たな関係を獲得するのである。 つまり、イエス・キリストと一致し、神との父子関係を獲得する。 この関係は、死後の最終的な復活によって完成されるのである。 キリストは現実に教会に現存している。 また、7つの秘跡(特に、ミサにおいて)現存している。 また、神の恩恵の効果的なしるしである秘跡において働き続けている。 キリスト者が愛徳に生きるならば、その行動を通して全ての人に対する神の愛が明らかにされる。 以上全てがキリストのメッセージに含まれているものである。 「人をキリスト信者とするのは、倫理的な選択や高邁な思想ではなく、ある出来事との出会い、ある人格との出会いです。 この出会いが、人生に新しい展望と決定的な方向付けを与えるからです。 ヨハネによる福音書はこの出来事を次のことばで述べています。 『神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 ひとり子を信じる者が(・・・)永遠のいのちを得るためである』」(ヨハネ3,16)」」(教皇世回勅『神は愛』1) 教説・教義 [ ] カトリック教会の教説(教え)は「と」という言葉であらわされるように、、およびとの教えに由来し、たちによって研鑽され、多くの議論を経てなどによって確立されてきたものである。 およびを信条としている。 特に以降、においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。 さらに現代ではでも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。 これらの教義はに『』 CCC としてにより編纂され、順次各国語に翻訳されている。 これは、いわゆるローマ・カトリック教会だけでなくの規範にもなっている。 なお、、などはローマ・カトリック教会の組織内部のであり、教義()については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などと呼んだりプロテスタントの各教派と同列に扱うのは誤りである。 公会議 [ ] カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。 21の公会議とは年代順に、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、そしてである。 公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方()では最初の7つの公会議のみを認めており、のうちでは最初の3つのみを認めている。 さらにの諸教会(など)は最初の2つしか認めていない。 特には、現代のカトリック教会の方向性を大きく変えた重要な公会議だったといえる。 この公会議を機にカトリック教会は典礼の改革を行い、の推進を目標に掲げた。 カトリック教会は、この第2バチカン公会議において「本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音と教会を知らずにいて、なおかつ、誠実な心を持って神を求め、良心の命令を通して認め られる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人は、永遠の救いに達することができる」という従来とは異なる見解を示した。 教典 [ ] カトリック教会においては、以来何度となく改訂されてきたとよばれる後期訳が公式な聖書とされてきた。 現在は各国語に翻訳されている。 カトリック教会で聖書に含まれる諸文書を最終的に決定した公会議はである。 カトリック教会が正典とするには、には含まれていたがのに含まれていない文書がある。 それらはという語で指される場合もあるが、正典に含めている。 においても、かつてカトリック教会と諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。 しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。 その成果が初めて形になったのが『』であり、表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会で公式に用いられている『』である。 なお、『新共同訳聖書』では、上記旧約聖書の第二正典の部分を、これを正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称で掲載している。 現代のカトリック教会のの中では、( )と教会祝日には、朗読と福音以外の聖書朗読が二つの合わせて三つが朗読される。 それ以外の平日のミサでは、福音書朗読と福音以外の聖書箇所の二つが朗読される。 秘跡 [ ] カトリック教会は伝統的に7つの()を認めている。 秘跡とは、を実際にもたらす感覚的しるしで、イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられたものである。 CCC1213-1284• CCC1285-1321• CCC1322-1419• CCC1422-1498• CCC1499-1532• CCC1536-1600• CCC1601-1666 数字は『』 CCC において説明がある箇所の項目番号を表すもので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと。 教義についての他教派との関係 [ ] カトリック教会では、のとの分裂や、それよりもはるかに古いやにおける分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。 それをよく示すのは、11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言 () 』である。 これはカトリック教会のとの ()の間で調印された。 アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、のエフェソ公会議で争われた「」というの称号をめぐる論争が原因となっている。 これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。 『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。 さらに難しいのは正教会との合同問題である。 カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。 たとえば、の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。 一方、正教会の側からは、対立はという基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。 また東方側からは問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。 カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。 この権威はのものではなく、司教たちのものである。 カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解すると必ず矛盾や対立が生じることになると考える。 の教育において、指導者がを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これはの文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。 これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。 カトリック教会との諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。 プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。 一方カトリック教会側は、の「」において「16世紀のから生まれたキリスト教共同体()は、による職のを欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている。 他方、(教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえばによってに刊行された『』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書には参加していない)。 またでは、2月15日からと同じ「」の翻訳が使用されている。 奇蹟 [ ] カトリック教会の公認、未公認、または非公認のあらゆる奇蹟がある。 ブラジルでのミサにおける教皇 カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは、聖体祭儀の である。 ミサの中で信者はの秘跡を受ける()。 と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としての務めであるとされている。 ミサ以外の重要な典礼行為として、「」があげられ、修道院などで必ず行われている。 これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。 日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。 これらに加えていくつかの祈りが一日の中で行われる(かつて九時課、六時課、三時課と呼ばれた)。 それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。 聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。 聖職者と組織 [ ] ローマ教皇と枢機卿団 [ ] 前ローマ教皇(現名誉教皇) カトリック教会が他のキリスト教諸教派と比べて特徴的な点として、まずあげられるのはと信徒の位置付けである。 ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのの首長を表す外交用語でしかない)。 ローマ教皇はによるの後継者であり、現在はに居住する。 なお、「使徒座」という言葉はバチカン市国の行政組織を指す場合もあり、その用法においてはとも呼ばれる。 バチカン市国はに成立した独立国であるが、カトリック教会が政治的に特定の国に組み入れられることなく、独立していることを示す意味がある。 『』第882項は、『教会憲章 Lumen Gentium 』を引用して次のように述べている。 「『教皇が、ローマのにしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。 」 教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使されるを含む。 これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座 Ex Cathedra から荘厳に宣言する」場合に関して、教皇は誤り得ないという教義である。 これはあくまで非常に限定された場合であり 、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。 教皇選挙に関する最新の規定は、の「ウニベルシ・ドミニ・グレギス Universi Dominici Gregis 」に示されている。 そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、において議論と投票を繰り返すということである。 この選挙を「」という。 新教皇の決定にいたるためには投票者の3分の2以上の票を集める必要がある。 また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満のに限られる。 の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能であり、歴史的にも教皇が退位したことは何度かある。 に退位したは、の『』の中で「教皇位退位の咎」により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からはにされている。 にの終息のために退位に同意した以後約600年にわたって教皇退位は行われず、教皇は事実上の終身制ともみなされていたが、2月にが健康問題を理由に退位を表明した ()。 枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要なの司教たちの中から教皇によって任命される。 教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿に挙げられることもよく行われる。 そのような枢機卿の中には、神学者やなどで、政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。 枢機卿制は、に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。 これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。 枢機卿を表すのcardinal という言葉はのカルド(蝶番)に由来している。 やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立してゆく。 司教 [ ] は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者である。 ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。 なお、()の一部では「」がいて、教会の首長となっている。 司教の本来の職務は、の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、・の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている。 通常の司教(教区司教)のほかに、(など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「」が任命されることがある。 司教座(教区司教)が何らかの事情で空位となった場合、協働司教は直ちに教区司教に着任して職務を引き継ぐことになるが、補佐司教はそのような継承権を持たない。 また、特定の教区を管轄していなくても、教皇庁における職務に就くために司教に任命されるケースもある。 司教は、と祈りによって司祭・助祭にのを授ける権能を与えられるが、司教もまた叙階の秘跡によってその地位を受けるものである(ただし司教叙階の場合は、教皇から委任された司教だけが司教叙階を執行することができ、少なくとも2名の共同聖別司教が必要である、と教会法で規定されている)。 叙階の秘跡の効果は生涯消えることはないため、高齢等によって司教の実質的な職務を引退した後や、司教の職務を停止された場合でも司教の権能・称号は終生保たれる。 なお、司教の中には「大司教」や「総大司教」といった地位に上げられるものもいるが、これらは叙階の秘跡による位階ではなく、教区の規模に応じて定められた教会行政上の職掌を表すものである(例えば、司祭が司教に叙階されることはあっても、司教が大司教に叙階されることはない)。 地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。 これを司教会議()という。 シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。 司祭と助祭 [ ] は、とによってその職務を補助されている。 カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は、のに限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。 司祭には、に属する(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。 歴史的には使徒たちの多くや初期の聖職者たちは既婚者であったが、においては古代教会から司祭の独身制は推奨されており、出身のによる以降、上級聖職者(司教、司祭、助祭)のが徹底されてきた。 ただ例外として、を行う教会()やなどからの改宗者の場合は既婚者が例外的に認められる事がある。 また、以降、(司祭となる事を前提としない助祭)の制度が再興され、この場合のみ既婚男性の叙階が認められている。 しかし、どちらにしても叙階後のや既婚者の妻が亡くなった場合の再婚は認められていない。 また、教皇の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級聖職(下級品級)およびという聖職位階が存在したが、8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によってに廃止され、現代ではとの2つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった。 今も日本の歴史書や歴史教科書にそのように書かれることがあるが、かつてのカトリック教会においては教皇を頂点に、司教、司祭、信徒がいるというピラミッド型のヒエラルキー構造が強調される傾向があった。 しかしこれは以降に見直され、現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとしている。 この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている。 信徒の役割 [ ] 神は全てのキリスト者に対して聖性に向かうようにとお呼びかけになった。 聖性とは何にもまして神を愛し、神ゆえに人々を愛し、人々に仕えることである。 聖パウロは、エフェソの初代のキリスト者(鍛冶屋や店主、家事従業員や料理人、労働者からなる人々など)に、神は「天地創造の前から、私たちを愛され、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと」(1,4)、キリストにおいて私たちをお選びになったと保証している。 で、「どのような身分と地位にあっても、全てのキリスト者がキリスト教的生活の完成と完全な愛に至るように召されている」(バチカン公会議、『教会憲章』40)と述べられた。 この聖性への普遍的な召し出しの一部として、キリスト者は誰でも、人々に仕え、人々をキリストに近づけるために呼ばれている。 いわゆる「霊的」な仕事に従事している人たちばかりでなく、あらゆる真っ当な世の中の仕事と活動に従事している人たちが、キリストの教えを自らの模範と言葉で広げていくように呼ばれているのです。 神はすべてのキリスト者が「教会の使命の証人、生きる道具となるよう」(『教会憲章』33)招いておられるのである。 「全ての信者は神の救いの計画がどんな時代にも、あらゆる国々のあらゆる人々にまで届くよう働くべき」(『教会憲章』33)であることを、全てのカトリック信者は知るべきである。 「自分の毎日の活動を、神との一致の機会、御旨の到達の機会、人々への奉仕の機会、キリストにおける神との交わりに人々を導く機会と見なすよう」(『信徒の召命と使命』17)、神は信徒である男女をお呼びになっている。 現代の聖人たちは信徒の信仰生活や使命に関しては次のように語っている:「あなたがキリストを尋ね、キリストに出会い、キリストを愛するように」(聖『道』382)。 同様、 教皇によると、「信徒は聖性への召し出しに気づき、何よりも拒むことのできない義務としてそれを生きなければ」ならない(『信徒の召命と使命』17)。 カトリック信徒の分布 [ ] 人口に占めるカトリック信徒の比率 色が濃くなるほど比率が高い 全世界に存在する(洗礼を受けた)カトリック信徒の総数は12億人に上るとみられている。 カトリック信徒は世界中に存在しているが、特に多いのはとである。 度の統計では、南北アメリカに5億2000万人、ヨーロッパに2億8000万人、に1億3000万人、に1億700万人、に800万人である。 ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国で、、、、、、、非ラテン諸国では、、、、、、、、、、、、である。 、、およびはカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。 アメリカ大陸では特にに信徒が多く、特に多いのは、、、、である。 アジアではスペイン、ポルトガルのであった歴史的背景から、にカトリック信徒が多い。 日本におけるカトリック教会 [ ] 詳細は「」を参照 カトリック教会への批判・論争、事件など [ ] 以来、から、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承()に基づくもの」と批判されている。 同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「」や「・ 」について批判を受ける。 歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したこと、によって、崇敬・(免罪符)発行を批判されたが、によって中止された。 一方、改革の中で的姿勢が強まって「」の作成がなされたが、このような動きはやを求めると衝突を招いた。 者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。 ではが宗教を廃止し、「」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。 このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。 しかし、においても(プロテスタントの的な教会同様に)も含めた、かけがえのないを尊重するという崇高な理念に基づきや、、 ただし、同性愛的行為は禁じられるが、同性愛的性志向自体は否定されない 、研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派やの関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携することもある。 一例としてを参照)。 「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の""とも揶揄されている [ ]。 教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。 はこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。 また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。 また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。 また、近年一部のが児童に対してをしていた事実が判明し、カトリック教会の一大スキャンダルに発展している。 八木谷涼子 『なんでもわかるキリスト教大事典』p58• 小高毅 よくわかるカトリック-その信仰と魅力 教文館 2002. May p. The Holy See(バチカン公式サイト)• 2018年4月10日閲覧。 小高毅 よくわかるカトリック-その信仰と魅力 教文館 2002. May p. 2018年4月6日閲覧。 『』194,195 p65• 2014年10月31日閲覧。 (『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 )• 2018年4月6日閲覧。 The Holy See(バチカン公式サイト)• カトリック中央協議会• 多くの神学者の見解では、教皇不可謬権が行使されたのはの「(聖母の)」との「」の2例だけである。 詳細はを参照。 2013年2月11日. 2013年4月17日閲覧。 [ ]• 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁• 『カトリック教会の教え』231頁(日本カトリック司教協議会 監修・カトリック中央協議会 発行)• 『カトリック教会の教え』251-254頁• 『カトリック教会の教え』252頁• 2018年4月6日閲覧。 2015年9月4日閲覧。 カトリック教会では、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、「マリア崇拝」等と称するのは誤りである。 関連文献 [ ]• フランシスコ・マルナス、『日本キリスト教復活史』、、• 監修、『第2バチカン公会議公文書全集』、、• エチェバリーア『Itinerario de vida cristiana』• 日本カトリック司教協議会監修、『カトリック教会のカテキズム』、、• カトリック中央協議会『カトリック教会・情報ハンドブック 2010』- 発行• Tausch, Arno, Global Catholicism in the Age of Mass Migration and the Rise of Populism: Comparative Analyses, Based on Recent World Values Survey and European Social Survey Data November 24, 2016. 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (フランス語) (英語) (イタリア語) (ポルトガル語) (スペイン語) (ドイツ語) (アラビア語) (中国語) (ラテン語)• (日本語)• (日本語)• (日本語).
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