どれ だけ 世界 が 変わ ろうと も。 世界平和を唱える人が大嫌いだった|開運巫女|note

マブ達の意味・・・。

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好き勝手に木を切り、温暖化を進め、 動植物を殺し、 これは増えすぎた人間を減らすための地球からの反撃かなと。 私自身は今回で、 どれだけ政治に無関心だったか、 どれだけ自分中心に考えてきたか、 これから我が子たちが幸せに暮らせるために何を教えて行くべきなのか、 そんなことを考え反省しています。 主さんの感情のまま 国交断絶してみたらどうなるだろう。 100均には何も商品が届かず、 観光業の大半が自己破産、 飲食店も値上がりし客激減閉店、 車も電気製品も完成できずドタバタと倒産。 日本人の自殺者は増え、治安は悪くなり 貧富の差が激しくなり犯罪が増えます。 結局は日本経済の土台自体が、 中国に依存してるのよ。 私も中国人観光客のマナー違反は大嫌いです。 私自身は医療福祉職なので、中国と関係を断つことでなんら困りませんが、 なかなかそうはいかないですよ。 もともとは日本の技術を中国に教えたようなもの。 それをやぐい部品や素材で安く作れた中国の物に頼るようになったから値段は安くても粗悪品が多い。 車の技術もそう。 日本ほど技術面において優れた技術をもった国は他になかった。 なのに技術を外に教えたせいで他がつくりだした。 その結果欠陥品が次々とでた。 外国はね壊れてあたりまえ。 リコールなんかあたりまえが常識。 日本人ほど自分の技術にプライドと責任をもつ国はなかったのに。 安いからって粗悪品はやだ。 安いからって不良工事や不良品しか作れない中国品なんかいらない。 変な食文化で変な菌を持ち込む文化をもつ国となんか付き合いたくもない。 それなら高くても作りのちゃんとした国産のほうがいい。 非常識なマナーで日本の景観を次々と壊す中国人になどもう観光に来てもらわなくていい。 安易に中国人ばかりに頼ってるからこんなウイルスを持ち込まれる! 安価なもの安易なものはそれだけ副作用も高い。 中国は副作用が高すぎ!もうそんなとこに頼らず自国で頑張れる努力をして欲しい。 でも 3月11日になり 日本は世界に謝罪してない… と思いました。 世界中に放射線を流して、津波で流された船や建物や諸々が世界中に流れ着いて処分してもらって。 個人的に持ち主を探して届けてくれる人までいて 立場は弱いな。 と思いました。 日本のニートや引きこもりが、親の脛をかじらないで、みんな仕事に就いてくれたら中国に工場を作らなくても良いのかも? でも、日本は究極の人手不足。 外国人の手を借りないと経済が回らない。 これは国のせいじゃない。 それぞれの親の問題。 支援体制が必要なら、まず親が声を挙げなきゃいけない。 親がいなくなったら生活保護を受けるとか、その発想は個人の問題だと思う。 中国に強く言えないこと、日本にも沢山原因がある。 政治家ばかり攻めるのはどうかな? 外国に依存しない国になるために必要なこと、個々で頑張ってるのかな…て思います。

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ルーメン・カンデラ・ルックスどれを基準に考えれば良いのでしょ...

どれ だけ 世界 が 変わ ろうと も

【間夫:マブ】は、ヤクザの世界ではよく使われた言葉で、情を交わす相手の男=情夫、遊女の情人=ヒモ、、、を意味します。 また、人妻とその夫でない男とが密通すること・・・戦前は「姦通」という犯罪でしたがそのような関係を言いました。 現代語では人妻と密通する男という意味で、【間男 まおとこ 】と言う事になると思います。 >あんまり、仲良くない友達と時々仲良くする時?「マブ達になったやろ?」とか言って使ってました。。。 「仲良くない友達と時々仲良くする時?」って、結構怖そうですが、[仲良くない友達]が、共通の男の友達になった時に言うのが 「マブ達になったやろ?」・・・という、疑問を持った時の言い掛かり「アヤ付け」のセリフだと思います。 ・・・簡単に平たく言えば、「アタイの男と寝ただろう! ?」と言って脅かしているわけです。。。 Q 春から大学生になるのでイメチェンです! まず、髪の毛を染めるのは決めているのですが・・・ エクステについて悩んでいます。 今の長さは肩よりちょっと下なのですが、 毛先が痛んでいるので、切ったら肩くらいまでの長さになりそうです。 それで、髪の毛を巻いてエビちゃんみたいな感じにしたいので、このままでは長さが足りません。 ファッションもCanCamとかRayとかそっち系です。 それでエクステを付けようかと悩んでいます。 質問は、 1、エクステは何円くらいしますか? 2、どれくらい持ちますか? 3、付けたエクステは一回しか使えないのか? 4、巻くことが出来るのか? 5、エクステのメリットとデメリット です。 エクステ専門店は単価が安いようですが、エクステと調整カット以外はしてくれないので、カラーリングと一緒にするなら美容院がいいかと思います。 2、どれくらい持ちますか? 私の美容院では、1~2ヶ月と言われました。 実際、私のエクステは1ヶ月半が限界。 また、ブラッシングをテキトーにガシガシしてたので、ひっぱられて根元が頭皮から2~3cm離れてしまったのもありました。 3、付けたエクステは一回しか使えないのか? 実際に生えている毛より、痛みの進行はかなり早いので、1回が限界だと思います。 むしろ後半になると、巻かないとパサパサが目立ってしまいます。 トリートメントや、艶出しのスプレーは必須です。 5、エクステのメリットとデメリット メリットは、簡単にイメージチェンジできること。 地毛を痛めずに、コテアレンジが楽しめること。 ディメリットは、乾かすのが大変なこと。 私は毎回30分近くかかりました。 普通の髪と違って束になっているので、ドライヤー風が通りにくいんです。 洗う前に丁寧にブラッシングすると、絡まりを軽減できるそうです。 それでも「再起不能?」ってくらい絡まることはしょっちゅうでしたが、タオルドライ後に洗い流さないトリートメントをつけて、丁寧にほぐしたらなんとかなりました。 エクステ専門店は単価が安いようですが、エクステと調整カット以外はしてくれないので、カラーリングと一緒にするなら美容院がいいかと思います。 2、どれくらい持ちますか? 私の美容院では、1~2ヶ月と言われました。 実際、私のエクステは1ヶ月半が限界。 しょっちゅうコテを使っていたので、毛先はかなり痛んでパサパサで枝毛だら... Q 江戸~明治の吉原文化について調べています。 お客とは別に、「間夫」がいる遊女が多くいたそうで、お金がない間夫を座敷にあげる為に自腹を切っていた…と知りました。 そこで、ちょっとわからなかったのが、高級な花魁になると座敷呼ぶためにはいくつも儀式を通さねばならないとか、客の質をやり手が判断するとか、花魁自身が自由に動けない部分が多かったと思うのですが、そんな中でどうやって間夫と会えたのかな…?と思いました。 気に入らない客を拒否することは可能ですが、逆に間夫を自分からすぐ部屋に招き入れることは出来たという事なんでしょうか。 それとも、こっそり人目を忍んで会っていたのか…。 詳しく記した資料がちょっと現在みつからなかったのです。 もしご存知の方や、おすすめの資料がありましたら教えてください。 「間夫は、甲斐性」と、認められていたらしいです。 わずかの楽しみを与えれば、逃げたりしないし、仕事?もがんばるからということらしいです。 30歳くらいで、年季があけるらしいのですが、身請けされるつもりがなければ、前借金を精算したということで、この彼氏と結婚することになります。 愛しさで、度々身銭を切って呼べば、いっしょになれる日が先延ばしになるだけです。 外に出る日を夢みて、自重したのでは、ないでしょうか? 年季があけたら、結婚すると約束して、「早くいっしょになりたいから、お金は、払っていってね」と、自分だけが間夫と信じていた単なるお客もずいぶんいると思いますよ。 だから、起請文とかあるんでしょうね。 遊女に真剣な恋人の存在が認められていれば、勘違いするお客だって、いっぱい来るわけですから、こそこそする必要は、ないと思います。 A ベストアンサー もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。 話す時はどちらでもいいですよ。 ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。 「すいません」はちょっとくだけた感じかな。 でも、これはあくまで私個人の語感。 人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。 書くときはもちろん「すみません」にしましょう。 これも、話す時にはどちらでもいいです。 「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。 A ベストアンサー 親友ですね。 それも真の友、本物の友。 昔のヤンキー用語ですが漫画なんかでもよく使われました。 本当の、本物の。 だから「そこそこの」じゃないですよ 一番の親友ぐらいの。 敵の不良校に捕まったら単身のりこんで不良どもと死闘を繰り返しながら助けに行くぐらいの友です。 ぼろ雑巾のようになった二人が肩を組んでお互い支えながら 「ありがとう」 「気にすんな、お前はマブダチだからな」みたいな…。 ちなみに「まぶい」ってのはマジで超かわいい、みたいな時にも使うので 「まぶいギャル」とか「まびぃ女」とかいう使い方もします。 しかし、あなたがわからないその言葉を使ったご友人はどこからその単語を得たのでしょうね。 Q よく、明るくて陽気なタイプの人のことをラテン系とかラテン気質とか言いますよね。 私は「ラテン系」ってずっと何となく中南米(ブラジルとか?)とイタリア人のことだと思っていたのですが、 先日ここでフランス人もラテン系に入ることを知り、 ラテン系っていったいどこの国の人を指すのだろうと不思議になりました。 (フランス人はステレオタイプのラテン系というイメージではないので……) はてなのキーワードでは 『イタリア・スペイン・フランスなどの南欧州の文化や人種を指す。 昔、スペインやポルトガルの植民地だった地域も含めて、ラテン系と称されることが多い。 』 とあったのですが、具体的な国名はどこになりますか? ご存知の方、どうぞよろしくお願いします。 A ベストアンサー 正確ではないかもしれませんが、ラテン系言語を主に使用している国かな、と個人的に思いました。 ヨーロッパは基本的にゲルマン系、スラブ系、ラテン系の3つの言語で大雑把に分けることができます。 (いずれにせよ、もともとはラテン語からの派生だと思いますけど。 ) で、その内ラテン系に入るのが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニアetc・・・になります。 これらの国、特にスペイン、ポルトガルは新大陸(アメリカ)への植民も盛んだったので、言語も含めた文化が、今でも中南米でしっかりと根付いてることから、これらの地域も「ラテン系」と言われているのでしょうね。 (ブラジルはポルトガル語が公用語、またその他の中南米のほとんどの国ではスペイン語が公用語です。 ) Q 23歳の社会人です。 今付合って3ヵ月の同い年の彼女がいます。 この前のデートの帰りに、 『僕の事は好きだけど、本当は手を繋ぐのは嫌、プレゼントとかもいらないし、実はメールも少し面倒くさい。 僕とデートの約束をしてても当日突然行くのが億劫な時がある。 自分ドライだから』と言っていました。 今まで何度かデートしましたが、デート初日からむしろ彼女のほうから手を繋いできたり、ある程度積極的だっただけにびっくりしています。 私自身大学はガチガチの理系で、高校3年から恋愛をしてないので、恋愛の経験不足は否めないです。 ドライな女性の気持ちがわかりません・・・・こんな感じな女性は多いのでしょうか? 皆様の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いします。 A ベストアンサー 私もドライ体質ですが、なんとなくわかります。 この方はかなりドライタイプにみえますね。 逆に束縛されることもないでしょうし、気楽に付き合えるのでよいのでは? 初めは彼女的にもいきなり引かれないように頑張ったのではないでしょうか。 で、慣れてきてちょっと実はドライなの。 っという告白をしたと。 手をつなぐのが嫌というのは初めて見ましたが。 潔癖症かな??? プレゼントはやはりもらうとうれしいですね。 彼女の場合は逆にお返しがめんどくさいと思うからもらいたくないタイプなのかもしれませんが。 メールがめんどくさいというのは同意です(笑) なんで返事しないの?なんて言われようものならさらにやる気半減します。 (まぁ返事はしますが、デコメみたいに女の子的なかわいらしいメールなんて作ろうという気はさらさらありません。 簡潔に返します。 多少の絵文字ぐらいは使いますが。 ) 超インドアタイプとしてはいつの日でも出かけるのが億劫なのでその気持ちもわからなくもないです。 私の場合、週1のデートは多すぎました。 月1か3週に1回ぐらいでいいかななんて(笑) 毎度毎度週末が近づくにつれちょっと億劫でした。 たまには一人で家でゆったりまったりグテーっとする一人の時間もほしいので。 私の感覚ですとこんな感じです。 ・相手のことは好き。 だけど自分には自分のペースがある。 頻繁なデートはめんどくさい。 ・めんどくさがりなのでメールがそっけないかもしれないけどこれが普通。 嫌いなわけじゃないよ? ・クリスマスだったり何だったりのイベント日にわざわざ合わなくてもいい。 クリスマスイルミネーションなどわざわざ混んでる場所に行きたくない。 私も結構ドライなので、「俺のこと好きなの?」と確認されたことがあります(笑) それ女のセリフじゃーんと思いつつ、なおさらめんどくさいなーと思ってしまいましたが、本当に嫌いになったわけでもなんでもないんですよ。 自分にとっては普通なだけで。 元々テンション低めで安定しているタイプかつドライなので十分喜んでるのが外に見えにくいみたいですが。 なので彼女の手をつなぐのが嫌いという項目以外は、共感する部分があります。 私もドライ体質ですが、なんとなくわかります。 この方はかなりドライタイプにみえますね。 逆に束縛されることもないでしょうし、気楽に付き合えるのでよいのでは? 初めは彼女的にもいきなり引かれないように頑張ったのではないでしょうか。 で、慣れてきてちょっと実はドライなの。 っという告白をしたと。 手をつなぐのが嫌というのは初めて見ましたが。 潔癖症かな??? プレゼントはやはりもらうとうれしいですね。 彼女の場合は逆にお返しがめんどくさいと思うからもらいたくないタイプなのかもしれま... A ベストアンサー まずですね、一神教ってのが興るんです。 「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。 この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。 この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。 そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。 ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。 しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。 かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。 ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。 そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。 さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。 その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。 その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。 その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。 その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。 ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。 ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。 日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。 イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。 ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。 ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。 そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。 イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。 「ベイベー、愛だぜ」と。 彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。 後になんだかんだでイエスは神の子となりました。 マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ? それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。 愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。 その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。 なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。 当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。 そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。 それ以上にブチ切れたのはローマ人です。 「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。 ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。 これがディアスポラです。 以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。 時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。 イスラム教の誕生です。 ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。 そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。 おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。 ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。 ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。 イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。 しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。 そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。 エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。 かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。 まずですね、一神教ってのが興るんです。 「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。 この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。 この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。 そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。 ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...

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日本美術ファン、茶の湯ファンには待望中の待望の展覧会、特別展「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋 はそうあい 」展の内覧会に、滋賀県甲賀市信楽町のMIHO MUSEUMに行ってきました。 この展覧会、想像を絶するほど貴重な出陳品のオンパレード! 雑誌や書籍の写真でもなかなかお目にかかれないものばかりです。 龍光院は、京都紫野にある臨済宗の名刹、大徳寺の塔頭 たっちゅう のひとつ。 もともと初代福岡藩主黒田長政が、父、黒田如水の菩提を弔うために、1606年に建立したものだそうです。 この古刹の実質的な開祖、龍光院二世・江月宗玩 こうげつそうがん は、大変偉いお坊さんで、その高い教養と優れた禅風から多くの有力者が帰依したと言われます。 また、日本史の教科書にも出てくる有名な紫衣 しえ 事件の当事者だったこともあり、江戸時代初期、江月和尚のもとには小堀遠州をはじめとするたくさんの文化人が集ったのだそうです。 江月宗玩和尚は、千利休、今井宗久とともに天下三宗匠の一人、天王寺屋、津田宗及 つだそうぎゅう の次男でもありました。 そのため天王寺屋が所蔵した貴重な茶道具の一部が、龍光院に寄進されたのです。 このような理由から、大徳寺龍光院には、国宝、重要文化財を含む、膨大な量の貴重な禅に関わる文化財、茶道具が所蔵されており、今回はそれを拝見できる、またとない機会となりました。 つまり、一般の人は龍光院にある国宝の書院や重要文化財の昭堂などの貴重な建造物に立ち入ることも、拝見することもできません。 また、所蔵されている貴重な文化財も公開されることはこれまでまれでした。 それが! 今回は一挙に! そして大量に! さらには長期間! 展示されるのですから、この展覧会が必見である理由がわかるでしょう。 おそらく、今回見逃したら、二度と実際の眼では拝見できないものばかりが登場、と考えていいはずです。 さて、大変前置きが長くなりましたが、展覧会の見どころをご紹介します。 前後期通すと総計200件以上の出陳物はどれもこれも見逃せないものばかりですが、あえて、個人的に感動した、そして絶対見逃して欲しくない5作品をご紹介します。 龍光院の曜変天目がすごい、これだけの理由 まずは、なんと言っても国宝の「曜変天目」。 内側が、宇宙空間を眺めるような、摩訶不思議な瑠璃色。 その複雑で美しい、キラキラと煌めく色合いは、製作過程で偶然に生まれるもの。 そして奇跡的に生まれたこの素晴らしい曜変天目は、作られた中国にはひとつも残っておらず、日本にある三碗 他のふたつは、静嘉堂文庫美術館所蔵と藤田美術館所蔵 だけが唯一世界で現存しているものなのです。 国宝 曜変天目 見込み 南宋時代 12~13世紀 大徳寺龍光院蔵 その三碗の中でも、今回出陳されている龍光院の曜変天目は、他の二碗と違い、所蔵者が変わることなく、天王寺屋から龍光院に寄進されてから「400年間、ほとんどお蔵から出ることがなかった」 熊倉功夫MIHO MUSEUM館長の記者説明会での説明 もの。 まさに門外不出の、貴重すぎる名茶碗! 私も、他の二碗は幾度となく拝見してきましたが、この龍光院の曜変天目を拝見するのは今回が初めてでした。 そんな貴重な曜変天目が、なんと約2ヶ月にわたって公開されるのです。 恐らくこの機会を逃すと、二度とお目にかかることができない、と考えても全然大げさではないと思います。 奇跡の曜変天目を堪能し尽くす5段階鑑賞法 さて、この曜変天目の拝見の仕方ですが、これだけの名碗なので、じっくりゆっくり拝見したいものです。 MIHO MUSEUMの特別展会場に足を踏み入れると、まず江月宗玩和尚の木像が私たち入館者を迎えてくれます。 そしてそのありがたい御木造を右手にして先に進むと、その先に、曜変天目の展示ケースが見えてきます。 まずは、その展示ケースが近づいてくる期待感に胸をワクワクさせて歩を進めましょう。 展示ケースの周りはおそらく黒山の人だかりのはず。 そんな中・・・ STEP1, 展示ケースの前まで来たらまずは正面からこの奇跡の名茶碗の全体像を把握しましょう。 その後展示ケースの周囲を時計回りに左へ。 STEP2, 左横まできたら一度しゃがんで、真横からの美しいフォルム、天目茶碗特有の鼈口 すっぽんぐち と呼ばれる少しすぼまった形状や、龍光院の曜変天目に特徴的にみられる小さめで上品な高台の形などをじっくり確認。 STEP3, 再び時計回りに移動して真後ろまできたら、茶碗の縁を継いだようなところがよく見えるので、ディテールまでじっくり拝見。 曜変天目の展示ケースの前では、是非しゃがんで真横の姿も確かめたい。 漏斗(ろうと)形のフォルム、鼈口 すっぽんぐち と言われる反り返り、釉薬のかからない上品な高台・・・。 天目茶碗の特徴が凝縮されている。 STEP4, 単眼鏡持参の人は、ここで単眼鏡の出番! ここからの眺めが一番、曜変天目特有の魅惑的な瑠璃色がよくわかるでしょう。 STEP5, そして再び時計回りに左に移動して、最後にもう一度しゃがんで真横からの漏斗型の全体的シェイプを確認。 これで堪能! 曜変天目の美しさは碗の内側の煌めきと鮮やかな瑠璃色。 その青い輝きをいかにして伝えるか? 今回の展覧会を担当されたMIHO MUSEUMの畑中章良学芸部長はそこに力を注いだことを、内覧会の記者説明で話されました。 図録の撮影時には、お寺の特別なご許可をいただいて太陽光線の下で撮影。 見事に青い輝きを図録に収めることに成功しました。 また、展示室の照明もいろいろな検討の結果、現在の照明方法になったのだとか。 ぜひ、展示室で、苦心の末に到達した照明の下での、奇跡の瑠璃色の輝きを確認してみてください。 太陽光を当てると、瑠璃色の光彩はいっそう青く美しく輝く 北欧デザインのようでもある、もうひとつのスーパースター天目 曜変天目に話題が集中しがちな今回の展覧会ですが、私が今回一番感動して嬉しくなったのは、むしろ重要文化財の「油滴天目」の方。 これまでにも何度も写真ではみてきましたが、実物を拝見するのは初めて。 思った以上に小さな小さなお茶碗。 外側も内側も黒釉に無数の銀の斑点がびっしり入っていてまるで銀河系宇宙のよう。 本展図録では「赤紫色を帯びている」と説明されていますが、展覧会の照明の下ではむしろチョコレート色にも見えて、西洋陶器のようなモダンささえ感じます。 曜変天目と同じく、津田宗及が所持した天王寺屋の名宝で、その後龍光院に寄進されたとされています。 向かって左、油滴天目 、右、螺鈿唐草天目台、重要文化財 天目茶碗は天目台にのせて使われるものですが、この油滴天目には美しい螺鈿の施された天目台「螺鈿唐草文天目台」が付属であり、一緒に展示されています。 そしてこの天目台がまた、ことのほか美しいのです! 琉球螺鈿で施された文様のなんと可憐で魅惑的なこと! 油滴天目は11~12世紀中国金王朝時代のもの、天目台は16~17世紀琉球王朝時代のものだそうです。 ともかく、一度でいいから自らの掌に持ってみたいと感じる、小さくて可愛らしい茶碗です。 他にも、唐物丸壷茶入 宗及丸壷 の愛らしさ、野々村仁清による肩衝長茶入の可愛らしさ、名物大井戸茶碗 龍光院井戸 のおおらかな姿など、茶道具の名品には目を奪われるばかり。 茶の湯ファンの方はいくら時間があっても足りないでしょう。 今回の展覧会、津田宗及、天王寺屋由来の素晴らしい茶道具の数々に圧倒されるのですが、同時に忘れてはいけないのは、禅の教えを伝えるたくさんの墨蹟や頂相 禅宗の高僧の肖像 です。 禅宗の奥深さを実感できる墨蹟の数々 中でも、国宝の「密庵咸傑墨蹟」 名物 が見逃せないのは言うまでもありません。 中国南宋時代のもので、日本に伝存する中国禅僧墨蹟の中でも最も名高いものなのだとか。 禅宗の修行全般について書かれた内容なので、臨済宗における価値は絶大、と図録では説明されています。 禅文化を知る上で、欠かせない文化財です。 真ん中に玉室が書いた禅宗の開祖達磨の号、向かって右に沢庵が書いた大徳寺開山 開いた僧 大燈国師の号、そして左には江月和尚が自分の師である春屋宗園の号を記した三幅対の書ですが、力強い、筆さばきに心ひかれ、吸い込まれそうになります。 右から、沢庵宗彭墨跡「大燈師祖」、玉室宗珀墨跡「達磨元来観自在」、江月宗玩墨跡「円鑑老師」 大徳寺龍光院蔵 まだまだ見所満載! 古筆の最高峰と戦国武将の肖像 今回の展覧会では、大徳寺龍光院所蔵のもの以外にも、龍光院にゆかりある貴重な美術品がたくさん出陳されています。 とりわけ注目を集めていたのがMIHO MUSEUM所蔵の「寸松庵色紙 すんしょうあんしきし 『かねみの大君』」。 寸松庵とは、茶人で武将でもあった佐久間将監が龍光院内につくった隠居所。 将監は、この隠居所で、紀貫之が書いたと伝わる36枚の歌のうち12枚を所有したことから「寸松庵色紙」と呼ばれるのだとか。 寸松庵色紙は小さな一幅の作品ですが、龍光院に伝わったいわれを思いつつ拝見すると、またひとしおの感動があります。 最後に歴史好き、戦国武将好きには堪えられないものを。 この塔頭建立のきっかけとなった黒田如水と黒田長政を描いた軸装の絵、「黒田孝高像 黒田利則請」と「黒田長政像」 ともに、福岡・崇福寺蔵、福岡県指定文化財。 戦国時代の名武将、名参謀だった黒田官兵衛如水 黒田孝高 と、関ヶ原の合戦でも武功のあった黒田長政親子の肖像を並べて同時に拝見するのは、なんとも興味深いものです。 折しも記者内覧会のあった3月20日は如水の命日。 黒田如水ほか黒田家代々の墓所があり、この絵の所蔵先である福岡・崇福寺にとっては重要な法要の日ですが、特別展のために貴重な2幅の絵の貸し出しをご許可いただいたというエピソードも、記者説明会で披露されました。 右、黒田孝高像 黒田利則請 春屋宗園賛。 前述の畑中章良学芸部長が「モダン」と内覧会で評された「柿図」は、私もモーレツに拝見したい水墨作品です。 全体に暗めの展示室内ですが、それが禅の名刹に実際に身を置いたような気分にさせてくれるのです。 そしてその暗闇の中から墨蹟や頂相が美しく浮かび上がる様は、例えようもないほどの感動を呼び起こします。 桜咲き誇る桃源郷へ奇跡の展覧会を観に行こう! 最後に会場となるMIHO MUSEUMについても一言。 この美術館はまさに滋賀県南部信楽山中にある桃源郷。 ルーヴル美術館のピラミッドを設計したことでも知られるアメリカの有名建築家、I. ペイの設計。 長い銀色のトンネルを抜けた先に美術館はありますが、トンネルの中から美術館と反対側を振り向くと、そこには枝垂れ桜の並木道が。 内覧会の日はまだ時期が早かったのですが、4月の中頃には満開の時を迎えるはず。 未来的なトンネルを通して眺める満開の枝垂れ桜はどんなにか美しく、私たちを非現実の世界へと導いてくれることでしょう。 未来的なデザインのトンネルを抜けると吊り橋を渡って美術館へと至るドラマティックな設計。 アメリカの著名建築家I. ペイの設計。 トンネルの反対側は枝垂れ桜の並木。 例年4月中頃が見頃。 特別展「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」展は、5月19日まで。 圧倒的な展示点数で、さらに展示替えもありますから、出陳作品には注意を。 平成から新元号の時代へ、大型10連休に、是非とも足を運びたい展覧会です。 さらに言うと「値段などつけられない、誰も買うことのできないほど、素晴らしいもの」だと、内覧会の記者説明会で、MIHO MUSEUMの熊倉功夫館長が説明くださいました。 きっと展覧会を見終えた後、この言葉の意味がジンワリ・・・わかるはずです。

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