アンネ の 日記 あらすじ。 『アンネの日記』あらすじと内容・感想 【生きたいと願った少女が残した言葉】|しゅりブログ

アンネの日記(1959)

アンネ の 日記 あらすじ

『アンネの日記』のあらすじ・内容 文章を書くことが大好きだったアンネは、13歳の誕生日に両親から日記帳をプレゼントされます。 他のどんなプレゼントよりもこの日記帳が気に入ったアンネは、日記帳に「キティ」と名付け、日々の出来事や誰にも話せない心の内を綴りはじめました。 1942. 12 あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。 どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。 引用:アンネの日記 増補新訂版 文春文庫 日記をつけ始めたのは、まさに第二次世界大戦の最中。 ユダヤ人だったアンネの一家はドイツ軍の迫害を受けることに。 家族とともにオランダの隠れ家で身をひそめることになってからも、アンネは日記を書き続けます。 「自由に生きられない苦悩」「戦争終結への願い」そして、「普通の女の子としての葛藤」といった心の中にある思いを。 日記を書き始めてから2年が過ぎた頃に、何者かによる密告で一家は逮捕され、強制収容所に送られてしまいます。 その収容所で、彼女はチフスに罹患し命を落としてしまうのです。 アンネ・フランク、15歳の時のことでした。 一家で唯一生き残った父オットー・フランクは、アンネが残した日記を出版することを決めました。 生きたいと願いながらもそれが叶わなかった一人の少女の日記には、どのような言葉が綴られていたのでしょうか。 アンネはオランダ語で日記を綴っていまいした。 この記事では、日本語訳版の中からアンネが実際に残した言葉を 一部のみを抜粋しています。 隠れ家生活のはじまり 1942. 8 いろんなことが起こって、まるで世界中がひっくりかえったみたい。 でもキティー、わたしはちゃんと生きてますし、いまはそれがいちばんだいじなことだとパパも言っています。 学校が大好きで友達がたくさんいた13歳のアンネは、いつまで続くかわからない隠れ家生活のはじまりに戸惑いを隠しきれません。 それでも心の支えである日記帳の「キティ」に、隠れ家の間取りから中での人間関係や出来事まで克明に記しています。 母親への複雑な感情 1942. でも、われながらうんざりしたことに、わたしは例によってろくに話しもしないうちから、すぐさまわっと泣きだす始末。 この泣き虫癖ばかりは、自分でもどうにもなりません。 パパはいつだって私にやさしくしてくれますし、ほかのだれよりも、ずっとよく理解を示してもくれます。 それにしても、こういうときのママには、我慢なりません。 ママとの関係で見れば、わたしは異邦人のようなものです。 だって、ごく普通の問題について、わたしがどう考えているかもママにはわかっていないんですから。 アンネは日記の中で、家族 父・母・姉 に対する思いについて細かく綴っています。 中でも、母親への怒りや憎しみをおさえられない描写には、思春期の娘の複雑な気持ちがあらわれています。 理不尽すぎる現実 1942. 28 ぜったいに外にでられないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言い表せません。 でも反面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい。 こういう見通しがあまりうれしいものじゃないのはもちろんのことです。 日々の隠れ家生活のことを独特の視点で、ときに軽快に書き記しながらも、常に息苦しさや恐怖と隣り合わせだったことがこの日の記述から伝わります。 ユダヤ人として生まれたというだけなのに。 13歳の少女が抱えるには重すぎる現実だったと思います。 学ぶことへの喜び 1942. 14 ぜんぜんあなたに手紙を書いてるひまがありません。 めちゃめちゃに忙しいんです。 きのうはまず、フランス語の『ニヴェルネの美女』のうちの一章を訳して、新しい単語をノートに書きだしました。 それから、胸くその悪い計算の問題集を一つ解き、フランス語の文法を三ページ。 もうひとつ、速記の練習でも忙しいんですけど、この点では、いっしょに始めた三人のうち、このわたしがいちばん進歩してるなんて、われながらすごいと思います。 アンネはとても賢く聡明な女の子でした。 <アンネの趣味> ・書くこと ・系図調べ(ヨーロッパ等の国の王室の系図) ・歴史 ・ギリシア・ローマの神話 極度に制限された状況の中で、アンネは持てる限りの新聞や本を総動員して調べものをしていた様子を日記帳のキティに伝えています。 心の成長が早い子どもの葛藤 1943. そうすれば、私にたいする非難の嵐もやみ、軽い夏の霧雨程度になるはずなんですけど、正直なところ、そういう模範的な行いをしようにも、相手が我慢のならない人たちだと、それがとてもむずかしい。 その行為が自分の本心からでたものでない場合には、とりわけそれが困難です。 隠れ家では、フランク一家だけでなく別の家族も一緒に生活をしていました。 避けたいのに付き合わざるをえない相手とのかかわり方というのは、大人にとっても難しい問題です。 アンネが自分に対する批判の声に苛立ちながらも、それを客観的に受け止めているのが印象的です。 幻の、もう一つの物語 1943. 7 何週間か前からですけど、物語を書きはじめました。 完全な空想の所産ですけど、書いていてとても楽しく、わたしのペンから産みだされたものが、いまや日ごとにうずたかく積み重なってゆきます。 これは後にアンネが語る、「夢」の話につながる日記です。 少女の問いかけ 1944. 22 人間って、どうしていつもほんとうの気持ちを隠そうとするのか、あなたにはそれがわかりますか?どうしてわたしは人前に出ると、本心とはまるで裏腹な行動をとってしまうんでしょうね?どうして人間って、これほどまでにおたがいを信頼できないんでしょうね?それにはきっと理由があるんでしょうけど、それでも、他人にほとんど本心を打ち明けられない、もっとも身近な肉親にさえ打ち明けられないというのは、とっても寂しいことだと私は思います。 心の中にある言葉を文字として形にする能力に長けているアンネ。 身近な人にも打ち明けられない思いを吐き出す『日記』という場所が、彼女の心のよりどころになっていたに違いありません。 アンネの心に浮かんだ疑問を日記帳が受け止めて、今度はこういった疑問が本を通して読む人に投げかけられているような気がします。 恋心 1944. いまでは人生に多少の目標と楽しみができましたので、すべてが以前よりも明るく感じられるようになりました。 アンネが抱く淡い恋心や性への目覚めも、この日記が語り継がれる上での重要なテーマです。 成長を確信するとき 1944. 25 人間って、変わるときには、あとになってから、はじめて変わったことに気がつくんですね。 わたしも変わりました、それも徹底的に、根本的に、全面的に。 わたしの見解、理念、批判的な見方-外面的にも、内面的にも、すべてががらりと変わりましたし、それも、いいほうへ変わったと、これは事実ですから、はっきり申し上げられます。 人はそう簡単に変われない生きものですが、アンネは日記の中で自分自身の成長について言及しています。 先の見えない辛い環境の中で、「いいほうへ」変わったと確信する記述には、彼女の未来への希望がこめられていたことが想像できます。 「死んでもなお生きつづけたい」アンネの夢とは 1944. 5 ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。 周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。 わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。 わたしの望みは死んでからもなお生きつづけること!その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。 このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を! この後アンネは、書くことへの喜びと、「いつの日かジャーナリストか作家に」という夢を綴っています。 『アンネの日記』がこうして本という形で私たちのもとに届いているということは、「死んでからもなお生きつづけたい」という彼女の望みが繋がったことを意味するでしょう。 アンネの日記、最後の日 1944. 1 そしてなお模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。 きっとそうなれるはずなんです、もしも…この世に生きているのがわたしひとりであったならば。 アンネの日記はここで終わっています。 1944年8月4日、一家は逮捕され強制収容所に送られてしまいます。 アンネが心から願った「生きたい」という希望が叶うことはありませんでした。 『アンネの日記』が残したもの 世界中のたくさんの人たちが、この本によってアンネ・フランクという一人の少女の存在を知り、その背景で起きていた恐ろしく悲しい出来事が語り継がれるに至りました。 もう二度とこのような日記を書く人がいない世の中であってほしい。 アンネが残した日記は、彼女が生きることができた時間からは考えられないぐらいの影響力をもって人々の心の中に生き続けています。

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アンネの日記

アンネ の 日記 あらすじ

『アンネの日記』のあらすじ・内容 文章を書くことが大好きだったアンネは、13歳の誕生日に両親から日記帳をプレゼントされます。 他のどんなプレゼントよりもこの日記帳が気に入ったアンネは、日記帳に「キティ」と名付け、日々の出来事や誰にも話せない心の内を綴りはじめました。 1942. 12 あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。 どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。 引用:アンネの日記 増補新訂版 文春文庫 日記をつけ始めたのは、まさに第二次世界大戦の最中。 ユダヤ人だったアンネの一家はドイツ軍の迫害を受けることに。 家族とともにオランダの隠れ家で身をひそめることになってからも、アンネは日記を書き続けます。 「自由に生きられない苦悩」「戦争終結への願い」そして、「普通の女の子としての葛藤」といった心の中にある思いを。 日記を書き始めてから2年が過ぎた頃に、何者かによる密告で一家は逮捕され、強制収容所に送られてしまいます。 その収容所で、彼女はチフスに罹患し命を落としてしまうのです。 アンネ・フランク、15歳の時のことでした。 一家で唯一生き残った父オットー・フランクは、アンネが残した日記を出版することを決めました。 生きたいと願いながらもそれが叶わなかった一人の少女の日記には、どのような言葉が綴られていたのでしょうか。 アンネはオランダ語で日記を綴っていまいした。 この記事では、日本語訳版の中からアンネが実際に残した言葉を 一部のみを抜粋しています。 隠れ家生活のはじまり 1942. 8 いろんなことが起こって、まるで世界中がひっくりかえったみたい。 でもキティー、わたしはちゃんと生きてますし、いまはそれがいちばんだいじなことだとパパも言っています。 学校が大好きで友達がたくさんいた13歳のアンネは、いつまで続くかわからない隠れ家生活のはじまりに戸惑いを隠しきれません。 それでも心の支えである日記帳の「キティ」に、隠れ家の間取りから中での人間関係や出来事まで克明に記しています。 母親への複雑な感情 1942. でも、われながらうんざりしたことに、わたしは例によってろくに話しもしないうちから、すぐさまわっと泣きだす始末。 この泣き虫癖ばかりは、自分でもどうにもなりません。 パパはいつだって私にやさしくしてくれますし、ほかのだれよりも、ずっとよく理解を示してもくれます。 それにしても、こういうときのママには、我慢なりません。 ママとの関係で見れば、わたしは異邦人のようなものです。 だって、ごく普通の問題について、わたしがどう考えているかもママにはわかっていないんですから。 アンネは日記の中で、家族 父・母・姉 に対する思いについて細かく綴っています。 中でも、母親への怒りや憎しみをおさえられない描写には、思春期の娘の複雑な気持ちがあらわれています。 理不尽すぎる現実 1942. 28 ぜったいに外にでられないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言い表せません。 でも反面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい。 こういう見通しがあまりうれしいものじゃないのはもちろんのことです。 日々の隠れ家生活のことを独特の視点で、ときに軽快に書き記しながらも、常に息苦しさや恐怖と隣り合わせだったことがこの日の記述から伝わります。 ユダヤ人として生まれたというだけなのに。 13歳の少女が抱えるには重すぎる現実だったと思います。 学ぶことへの喜び 1942. 14 ぜんぜんあなたに手紙を書いてるひまがありません。 めちゃめちゃに忙しいんです。 きのうはまず、フランス語の『ニヴェルネの美女』のうちの一章を訳して、新しい単語をノートに書きだしました。 それから、胸くその悪い計算の問題集を一つ解き、フランス語の文法を三ページ。 もうひとつ、速記の練習でも忙しいんですけど、この点では、いっしょに始めた三人のうち、このわたしがいちばん進歩してるなんて、われながらすごいと思います。 アンネはとても賢く聡明な女の子でした。 <アンネの趣味> ・書くこと ・系図調べ(ヨーロッパ等の国の王室の系図) ・歴史 ・ギリシア・ローマの神話 極度に制限された状況の中で、アンネは持てる限りの新聞や本を総動員して調べものをしていた様子を日記帳のキティに伝えています。 心の成長が早い子どもの葛藤 1943. そうすれば、私にたいする非難の嵐もやみ、軽い夏の霧雨程度になるはずなんですけど、正直なところ、そういう模範的な行いをしようにも、相手が我慢のならない人たちだと、それがとてもむずかしい。 その行為が自分の本心からでたものでない場合には、とりわけそれが困難です。 隠れ家では、フランク一家だけでなく別の家族も一緒に生活をしていました。 避けたいのに付き合わざるをえない相手とのかかわり方というのは、大人にとっても難しい問題です。 アンネが自分に対する批判の声に苛立ちながらも、それを客観的に受け止めているのが印象的です。 幻の、もう一つの物語 1943. 7 何週間か前からですけど、物語を書きはじめました。 完全な空想の所産ですけど、書いていてとても楽しく、わたしのペンから産みだされたものが、いまや日ごとにうずたかく積み重なってゆきます。 これは後にアンネが語る、「夢」の話につながる日記です。 少女の問いかけ 1944. 22 人間って、どうしていつもほんとうの気持ちを隠そうとするのか、あなたにはそれがわかりますか?どうしてわたしは人前に出ると、本心とはまるで裏腹な行動をとってしまうんでしょうね?どうして人間って、これほどまでにおたがいを信頼できないんでしょうね?それにはきっと理由があるんでしょうけど、それでも、他人にほとんど本心を打ち明けられない、もっとも身近な肉親にさえ打ち明けられないというのは、とっても寂しいことだと私は思います。 心の中にある言葉を文字として形にする能力に長けているアンネ。 身近な人にも打ち明けられない思いを吐き出す『日記』という場所が、彼女の心のよりどころになっていたに違いありません。 アンネの心に浮かんだ疑問を日記帳が受け止めて、今度はこういった疑問が本を通して読む人に投げかけられているような気がします。 恋心 1944. いまでは人生に多少の目標と楽しみができましたので、すべてが以前よりも明るく感じられるようになりました。 アンネが抱く淡い恋心や性への目覚めも、この日記が語り継がれる上での重要なテーマです。 成長を確信するとき 1944. 25 人間って、変わるときには、あとになってから、はじめて変わったことに気がつくんですね。 わたしも変わりました、それも徹底的に、根本的に、全面的に。 わたしの見解、理念、批判的な見方-外面的にも、内面的にも、すべてががらりと変わりましたし、それも、いいほうへ変わったと、これは事実ですから、はっきり申し上げられます。 人はそう簡単に変われない生きものですが、アンネは日記の中で自分自身の成長について言及しています。 先の見えない辛い環境の中で、「いいほうへ」変わったと確信する記述には、彼女の未来への希望がこめられていたことが想像できます。 「死んでもなお生きつづけたい」アンネの夢とは 1944. 5 ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。 周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。 わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。 わたしの望みは死んでからもなお生きつづけること!その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。 このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を! この後アンネは、書くことへの喜びと、「いつの日かジャーナリストか作家に」という夢を綴っています。 『アンネの日記』がこうして本という形で私たちのもとに届いているということは、「死んでからもなお生きつづけたい」という彼女の望みが繋がったことを意味するでしょう。 アンネの日記、最後の日 1944. 1 そしてなお模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。 きっとそうなれるはずなんです、もしも…この世に生きているのがわたしひとりであったならば。 アンネの日記はここで終わっています。 1944年8月4日、一家は逮捕され強制収容所に送られてしまいます。 アンネが心から願った「生きたい」という希望が叶うことはありませんでした。 『アンネの日記』が残したもの 世界中のたくさんの人たちが、この本によってアンネ・フランクという一人の少女の存在を知り、その背景で起きていた恐ろしく悲しい出来事が語り継がれるに至りました。 もう二度とこのような日記を書く人がいない世の中であってほしい。 アンネが残した日記は、彼女が生きることができた時間からは考えられないぐらいの影響力をもって人々の心の中に生き続けています。

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『隠れ家 アンネ・フランクと過ごした少年』~アンネ・フランクと一緒にくらした少年

アンネ の 日記 あらすじ

ユダヤ系人の少女によって書かれた手記をまとめた日記形式の文学作品。 舞台は第2次世界大戦中、ドイツ占領下にあったのの。 ドイツの狩りから逃れるため身をひそめて暮らす、主人公の家族や同居人たちの生活を描く。 多感な少女が歴史の荒波の中で、希望を失うことなく人の本性を信じて生きた姿が感動を呼んだ。 世界各国語に訳されて、映画化などもされている。 アンネは1929年6月12日ドイツに生まれ、銀行家の父オットーと母エーディトの間の2人姉妹の妹として4歳までフルトで育つが、その頃には政権を取りユダヤ人へのが激化。 危機を感じたはドイツを脱出し、アムステルダムに移住した。 39年9月第2次世界大戦が始まり、中立を宣言していたオランダにも40年5月にドイツ軍が侵攻。 オランダは降伏しドイツ軍に占領され、やがてユダヤ人迫害が激化していく。 そんな中、42年6月、アンネは父から13歳の誕生日プレゼントとしてサイン帳を贈られる。 作家を目指していたアンネは、このサイン帳に日記を執筆。 心の支えとなる架空の人物、キティーにあてた手紙という設定とした。 同年7月に一家はユダヤ人狩りから逃れるべく、知人らと共に隠れ家生活を開始。 44年8月に連行されるまでの2年間の記録が綴られている。 物音一つたてることが許されない環境にあっても明るく、未来に希望を持ち続け、平和を希求するアンネの生き方が文面に表れ、少女の葛藤や成長が生き生きと描かれた。 この後、アンネは15歳でにて病死。 戦後、父オットーの尽力により47年に『アンネの日記』がされた。 後に70カ国のに翻訳され、3100万部を売り上げるに。 を否認するネオナチなどの一部からは、同書は偽造だとしアンネ本人の実在すら否定する見も出た。 しかし、その後の研究や裁判の結果から本物であることは確実とされる。 2009年7月には、世界中で読まれた書籍トップ10の1冊として、ユネスコの「」に『アンネの日記』が登録された。 14年2月、東京都内の図書館などで『アンネの日記』とその関連図書300冊以上が破損されるという事件が発生。 イスラエル大使館や日本ユダヤ教団、アンネ・フランク・ハウス財団などから、事件で被害に遭った図書館に対し、同書や関連する書籍などが寄贈された。 3月にオランダを訪れた安倍晋三首相は、アンネの家を訪れ今回の事件を残念とし再発防止に努めるとのコメントを出した。 金谷俊秀 ライター / 2014年 出典 株 朝日新聞出版発行「知恵蔵」 知恵蔵について の解説 ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・の日記。 下,ドイツに占領されたオランダのを舞台としている。 ドイツによるユダヤ人迫害を避けて隠れ家で暮らすユダヤ人たちの日常と一少女の内面をみずみずしい感性で描いた自伝的色彩の濃い日記である。 1942年6月から1944年8月1日まで描かれている。 8月4日午前に隠れ家に暮らすフランク一家ら8人のユダヤ人はかの密告で保安警察に逮捕され強制収容所に移送された。 アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所でで死亡,一家で唯一戦後まで生存した父親のオットー・フランクの尽力で1947年にオランダで出版(訳)され,1950年にドイツ語訳とフランス語訳,1952年に英訳が出版された。 その後日本語訳など各国語で翻訳出版され世界的なベストセラーとなった。 しかし1970年代にドイツで日記を偽物と主張するが逮捕されたことなどから日記の真贋 しんがん 論争が白熱化したが,1986年に原本を保管するオランダ戦時資料研究所が詳細な科学調査の結果を公表し決着がついた。 2009年ユネスコ世界遺産に登録された。 2014年2月に,東京にある複数の公立図書館で《アンネの日記》とその関連図書が何者かによってページを破られ破損される被害にあっていることが判明,欧米をはじめ世界に衝撃を与える事件となった。 日本社会に最悪の人種差別主義が存在していると懸念されたからである。 容疑者は逮捕されたが,徹底的な真相解明が求められている。 アンネはフランクフルト・アム・マインのユダヤ系ドイツ人実業家の家庭に2人姉妹の次女として生まれた。 ヒトラーが政権をとってユダヤ人迫害政策を開始するとともに、一家はオランダのアムステルダムに逃れたが、オランダもナチス・ドイツに占領されると、父オットーの事務所裏の部屋に家族と他の4人のユダヤ人とともに隠れ住んだ。 隠れ家に移る直前の1942年6月12日、13歳の誕生日に両親から日記帳を贈られたのをきっかけに、のちにはノートや紙片を使って、密告によって逮捕されるまでの2年間、隠れ家の生活や家族のこと、そして異常な環境にあって急速に発達した少女期の心の軌跡を、あふれるような感受性と深い洞察力をもってつづったのがこの日記である。 逮捕後家族とともにポーランドのオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)の強制収容所に移送され、のち姉マルゴットとともに送られたドイツのベルゲン・ベルゼン女子収容所でチフスのため1945年3月初め、姉のあとを追って15年の生を閉じた。 日記は隠れ家住人の援助者の一人ミープによって居住跡からみいだされ、戦後ただ1人生還した父の手に戻った。 1947年、初版が原語のオランダ語でアムステルダムのコンタクト社より出版された。 5年後英語版が刊行されると世界的反響を呼び起こし、反ユダヤ主義と人種差別、ファシズムと戦争を告発する書として、また優れた思春期の記録として各国語に翻訳され、舞台化、映画化されて、人々に大きな感動と勇気を与えた。 日本での初版発行は1952年(昭和27)。 ほかにアンネの書いた童話や創作がある。 1991年、『アンネの日記』完全版(以下完全版)が刊行された。 1947年発行の『アンネの日記』(以下短縮版)は、アンネの父オットー編集によるものだが、「当時は性に関するテーマをありのままに記述することはまだ一般的でなく、とくに若い読者向けの書物ではとりあつかうことができなかった。 また、文章が削られたり、表現が変更されたりした理由としては、オットー・フランクが亡き妻の立場を考慮した……」(「完全版・この本について」より)といった理由から、アンネの自筆原稿から削除されたり、表現が変更されたところがあった。 完全版では、オットーの保存していた他の記録や、自筆原稿からの文章の補充もされて、短縮版よりも4分の1ほど内容がふえている。 なお、オットーは1980年に死去したが、遺言によってアンネの自筆原稿は、アムステルダムのオランダ国立戦時資料研究所に遺贈された。 同研究所は、1986年いっさいの加筆・変更を加えない学術資料版を公刊している。 日本では、1994年(平成6)に完全版が、学術資料版は『アンネの日記 研究版』として同じく1994年に刊行されている。

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