七人家族の真ん中で 発達障害。 しょうがいぢをやヲチスレ避難所38

育児【発達障害と健常児との中間あたりの子】

七人家族の真ん中で 発達障害

小さな頃の様子 ちゃぼちゃんは確かに小さなときから育てやすいかどうかと言われれば、 ちょっと困ったところがある子でした。 その困ったこととは、 児童館や小さい子向けの絵本の読み聞かせやリズム遊びの場で、 ママのお膝に座っていられないタイプの子だった事。 ショッピングモールの遊び場では、広場から脱走して どこかに行ってしまいそうになる事もありました。 二歳の時、おもちゃ売り場で遊んでいて、ちょっと目を離したら ゲームセンターにいた、という事もありました。 (同じフロアの真ん中から端っこへ移動しただけでしたが、 まさかゲーセンにいるとは思っていなかったので涙目で探しました) 習い事の体験レッスンでも、集中できる時と、 周りの機材や珍しい道具に気を取られてしまうこともありました。 でも、男の子だし、落ち着きが無い方だとしか思っていませんでした。 言葉はとても早く習得できていたし、 歩くのも早かったし。 夜も卒乳してからはぐっすり眠ってくれていたし、 偏食も自閉症の子たちに見られるそれとは違う、ごく普通の子と同じでした。 二月生まれのちゃぼちゃんは三歳になってすぐに園に行くため、 周りよりワンテンポ遅くても仕方がないなと思っていました。 入園してからの年少の一年間はそれこそつまづきはありましたが、 どれも早生まれだし、初の子だし、他の子もまだまだなんと言っても三歳さんだし。 担任からも、園からも、 「他の子と比べて…」などと言う話は一切ありませんでした。 ただ、三学期になってもお支度がまだ上手くできず、 支度をしたくなくて頑固に固まって午前中を過ごす日もありました。 このままだと、年中になった時に担任から手をかけてもらえる事が減った時に、 ちゃぼちゃんが自信を無くすのでは、と心配されていました。 しかし、年中になってから園側が一変します。 それまで在籍されていた園長が定年退職され、園長先生が変わったのです。 園長が変わってから一学期は特に変化はありませんでした。 担任の先生からも、 「とてもはりきっていて、みんなを引っ張って行ってくれるムードメーカーです。 」 「心配していたお支度も、声をかければ取り組めています」 そう言われていたのですが…。 二学期の終わりから、先生の言葉が歯切れが悪くなりました。 そして、三学期頭 園からの呼び出しを受けました。 通されたのは園長室。 本当なら園長先生も同席してお話しされるはずでしたが、 園長先生は都合が悪くなってしまって教頭が同席されました。 私と、担任と、教頭の三人。 教室ではなくて園長室に通されたときに、事の重大さに気づきました。 言いにくそうに話し出す担任と、 相槌をうつ教頭先生を眺めながら、 あぁ、園側はしかるべき場所で診断を貰ってきて欲しがっているのだ。 園はちゃぼちゃんを、グレーの子として扱っていたんだ。 血の気が引いていくのがわかりました。 もう8年も前の話になりますが、 私は保育の現場で働いていました。 それなのでこういうグレーの子の話を親にするというのはどういうことなのか、 分かっていました。 園は大分前から、ちゃぼちゃんをグレーだとして見てきたこと。 親にそれとなく話してみたが、 病院に行くとか、発達相談へ行くなどを親が動き出しそうにないと判断し、 今日こうして、ズバリ言うために親を呼ぶことになった…。 でも、どうして? 私が働いていた現場では、ちゃぼちゃんぐらいのレベルの子はグレーと判断していなかった。 どうして? どうして…? 「どうして」とは言えず、 家では困っていないので、発達相談に行くという発想はなかった。 しかし、集団の中で子供が困っているのならどうにかしてあげたい。 そう答えるので精いっぱいでした。 園側は 「園で色々と試してみたけれど、専門の先生にちゃぼちゃんに一番合う声のかけ方や方法が聞けたらいいなと思います」 そう言っていました。 これを言われてから市の発達相談までは1か月かかりました。 予約でいっぱいで、もしかしたら年度をまたぐかも?と言われたほどでした。 1か月待っているうちに色々と分かってきました。 今の園長になって、できない子たちが次々にマークされているという事。 うちの学年が特に酷いと言われていること。 同じクラスの子も何人か園長室に呼ばれたこと…。 これは、同じクラスのママから聞いた話です。 そのママは、園長にこう言われたそうです。 「どんな結果であれ、あなたのお子さんは一年生に上がる時に心配な子リストに名前を書かせてもらいます」 小さな公園で、そのママと、2歳になったばかりの弟君と、どさもんを遊ばせながら、 この話を聞きました。 二人で砂場に座り込んで泣きました。 「そんなこと、まだ年長になってから1年あるのに、ひどい」 その子が書かれるのなら、ちゃぼちゃんだって書かれるって事です。 年中の終わりに、次々に発達相談に送り込む園のやり方に疑問を持ち始めていました。 園長先生が変わって、園の方針も変わって、 どうやらちょっと怪しい子みんなに声をかけているみたいだという事。 あの日、発達相談に行って、「問題はない」とされながらも、 定期的に市の保健師さんが様子を見に来るリストに名前があるちゃぼちゃん。 専門の医療機関に行きましょう、というレベルなら、今頃は発達障害児です。 全ては発達相談の門をくぐるかどうか。 医療機関で診断されるかどうか。 これが、私が望んで門をくぐっていたのなら別です。 ちゃぼちゃんは園に言われたから、発達相談に行ったのです。 園長が違っていたら。 違う園に通っていたら。 少人数で、1学年一クラスしかない園で。 自由にのびのびと遊ぶ方針で。 裸足で野山を駆け巡り、月の製作物や沢山の行事で追われることが無い ゆったりとしたカリキュラムで…。 そういう園だったとしたら…。 実際に、私のお友達で 「この子に一番合う園を」 と幼稚園探しをした人がいます。 確かにその子の子供の方が、よっぽど発達障害の特性を持っているように思います。 しかし私の地域には市立の幼稚園が少なくて、 学区内の公立の幼稚園に通わせる事しか私は頭にありませんでした。 ちゃぼちゃんの通う園はマンモス園です。 そして小学校もマンモス校です。 大勢の子供たちを先生方が指導するとき、 一声かけて、右向け右の子達がそりゃ楽でしょうね。 何度も声をかけないといけないような子たちは、 「問題のある子」 でしょうね…。 ちゃぼちゃんが困っていないのだから、どうしていけばいいんだろう。 そうやって今の担任の先生に話してみたら、 「でも、小学校に行って、例えば体育の授業開始にグラウンドにちゃぼちゃんがいなかったら、 先生はとても困りますよね。 ちゃぼちゃんが困っていなくても、学校が困る、先生が困る。 そうなると、問題になってきてしまうんですよ…」 そう言われました。 グレーゾーンでは、支援も受けられない、療育もない、先生や友達からも理解されにくいのかもしれない。 住んでいる場所が、発達障害グレーゾーンを作り出すという事、少なくないんじゃないかなぁと考えています。 追記 夏休みを元気に過ごし、運動会の練習も、本番も楽しく取り組めたちゃぼちゃん。 園生活では、なんと全く問題なく過ごせています。 家での様子ですが、少しどもりが気になる程度で 私としては、「取り越し苦労だったなぁ」ともう笑い話にしてもいいのかな、と思っています。 でも、一年生になるまでは。 小学校でもちゃぼちゃんは今のまま、ちゃんと学校生活に順応できるのかどうか。 それまではまだ、「過去の話」にはできないのかな、と思っています。 担任との相性も良く、 最近では苦手だったドッジボールでもボールをキャッチできるようになったり 制作するのが大嫌いだった年中の頃はいったい何だったの? そう言いたいくらい、制作大好きで沢山アイディアを出して取り組むようになりました。 相変わらず自由に振舞ってしまうこともあるけれど。 ちゃぼちゃんは、発達凸凹グレーゾーンというよりは 発達凸凹と、健常児との間の子と思うようになりました。 グラデーションで、どちらともいえない。 それが、うちのちゃぼちゃんだなぁと。 これはちゃぼちゃんの強みでもあるし 私の悩みのタネでもある。 しかし安心していくのではなく、もし、やっぱりどうにも健常社会の中でちゃぼちゃんが苦しそうだぞ。 そう思う事があったり、本人からそう打ち明けられるような事があったら 迷わず専門機関へ行こうと思っています。 今は、ちゃぼちゃんの成長をどこにでもいるママとして見守ろうと思います。 今流行りの様になっている『発達障害』ですが、 やはり家で問題がなかった子達はグレー止まりでその後心配事は無くなるというパターンは多そうです。 逆に、三歳児検診までになんらかの事で引っかかっている子たちは、 あまり軽く考えずに療育が受けられるのなら受けて行くのが良いと思います。 みんなが通っていない場所に親子で向かうのは足取りも重いと思いますが、 言葉の遅れや、運動面の問題、情緒の問題、 専門の施設で訓練方法を学び、家庭でも取り組んで行くことでとっても良い方向へ向かう事があるのです。 私も、保育士として勤めていた時に何人も劇的に変わった子たちを目の当たりにしてきました。 全ての子が劇的に変わるわけではないけれど。 やれるだけの事はチャレンジする価値はあるはずです。

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障害者は昔どんな生き方をしていたのでしょうか?

七人家族の真ん中で 発達障害

定型発達の七歳、二歳の子供達と軽度知的障害で広汎性発達障害の四歳の娘の合わせて三人の子供がいます。 療育には毎日通い、身辺自立ができ味覚、感覚過敏も治まってはきました。 ただ、彼女の特性である「人の気持ちに寄り添えず、全て彼女のペース」「視覚優位で好きなキャラクターのものや可愛いものがあると座り込み大声でわめく」「自由な時間が苦手で休みの日は朝から喚き散らす」などにより、だんだん愛せなくなっています。 他の二人は無条件に愛せるのに、姉のクローゼットを漁って何着も出してきたり、水道の水を触り続けたり、日々の小さな問題行動ばかり目につき、怒鳴ったり叩いたりしてしまいます。 役所や育児相談の窓口でも軽度の子供に対する支援自体がほとんどなく、障がい児のデイサービスも軽度の子供は受け入れてくれませんでした。 一人っ子だったらすべて彼女に合わせられても、まだ二歳の息子にも手がかかるのに本当に大変です。 診断を受けたのは一番下がまだ生後間もない頃で、長女は毎日お弁当で幼稚園児でした。 受け入れるも何も、毎日子供達を虐待しないで過ごすので精一杯でした。 療育を受けても、彼女に寄り添おうとしても、叫んだり喚いたり、いつになったら穏やかに毎日が送れるのでしょうか。 ちなみに iq65で、会話は成立し受動型で一応集団生活には入れるため、しつけの問題や親の考えすぎなど、私自身が日々傷つき次女がパニックを起こせば謝ってばかりでした。 主人はとても可愛いがっているのが唯一の救いです。 そして姉妹仲もとてもよく、姉の方が妹の扱い方をよく理解しています。 だから余計に次女を愛せないのが申し訳なく思います。 ユーザーID: 4043188765 トピ主さんの文にとても共感するところがありました。 私は二児の母で一年生の女の子が広汎性発達障害です。 今のところ知的な遅れはありませんが、生活面での遅れはあります。 だいぶ娘は落ち着いていましたが、一時期は本当に愛せない時がありましたし、今も愛せないと思う時も たまにあり、そのたびに自己嫌悪になります。 愛せないと思っている時は、もう無理だ!という気持ちばかりですが、時間がたつと娘も好きでこの障害をもって うまれてきたんじゃないとハッとし反省します。 ですが繰り返してばかりです。 下の子は男の子で2才です。 3人の子育てはほんとうに大変なものだとお察しします。 トピ主さんは本当によく頑張っていると思います。 反省している気持ちや罪悪感があるのは娘さんのこと気にかけている証拠だと思うんです。 民間でやっているデイサービスなどもないかもう一度探してみてください。 うちも学童も考えましたが夏休み期間はデイサービスを数日利用しています。 2才のお子さんは保育園等を考えてみてはどうでしょうか。 事情があるので受け入れてくれるところもあると思います。 ユーザーID: 3955727538• 重度 私も軽度の知的障害があり、次女さんみたいな感じでした。 大人になれば落ち着きますが(治るわけではない)、子供自身も「自分は他人とは違う、普通じゃない」と気付いてきます。 本人も生活面や精神的にもキツイです。 このままだとその内「お母さんは自分だけ愛していない」と気付きます。 育児相談もしているとのですが「次女だけ愛せない、怒鳴ったり叩いたりしてしまう」と正直に話していますか? 母親も人間なので、全員無条件で愛せとは言わないけど次女さんに悟られない努力はして欲しい。 たまにはお子さん三人を誰かに預けて一人の時間を持ってゆっくりしてリフレッシュしたりして欲しい。 ユーザーID: 3340805532• 無理もない。 三人も子供がいれば、 何もなくとも手がかかる時期なのに、 軽度とはいえ、 知的な障がいがあれば、 育てる側はどれほど大変だろうと思います。 ご主人は、 とても可愛がっているとのこと。 関わらず逃げ出す父親もいるのに、 キャパが広いご主人で良かったですよ。 外で仕事をしている分、 心に余裕があるのかもですね。 長女さんも、 そんなご主人の性格を引き継いでくれていたら、 有難いです。 トピ主さんがお仕事しているのか否かわかりませんが、 次女さんからちょっと精神的に離れる時間ができるといいですね。 4歳だから難しいかもですが・・。 またご主人に、 言い方は悪いですが、 正直に「どうしてこんな状態の次女を愛せるのか、自分には無理なようだ」と打ち明けて相談してみるのも一案かもしれません。 ご主人がちょっと考えに風を通し、 導いてくれるかもしれませんね。 ユーザーID: 2879762365• 妊娠・出産・育児ランキング• 自分を責めちゃ駄目です。 定型発達の子供しかいない親はよく言う。 親は子供のためなら何でも出来る。 親の愛は無償の愛。 そんなのは嘘です。 子供との正常な喜怒哀楽を伴った意思疎通。 子供が親を慕う様子。 そういう見返りが子供からあるから、親も子供への愛情が湧くんです。 無償の愛ではありません。 親から子供への一方通行の想いだけで、親子間の愛情が発展していくのではないのです。 だから、トピ主さんは他の2人の娘さんを無条件に愛せると書いていますが、決して「無条件」に愛しているのではない。 ちゃんと見返りがあるから愛せているのです。 姉妹の方が扱いを良く分かっているのも、姉妹の方が心理的距離が親より遠い分、可能な場合もあるでしょう。 父親も母親とは違った視点で子供を接するのですから、母親より余裕を持った気持ちで接する事もできる場合もあるでしょう。 トピ主さんの次女の娘さんに抱いている気持ちは自然なものです。 今やっている努力が最大限です。 倒れないように。 ご主人に協力してもらって、息抜きの時間を取りましょう。 ユーザーID: 7950166349• そうだよね 頑張っていることが、文章からもとっても伝わってきます。 次女さんが、ままならないように、 あなたの心も、ままならないものですよ。 こうあるべき なんて、通りに心は動いてくれないのだから。 多分、ご自身の心に一番、手を焼いているのかもしれませんね。 頑張ってますね。 お疲れ様。 私は、老人介護で同じ思いをしました。 正直、未来のないお年寄りとなんでこんな思いをして格闘するのかと、つらかった。 でも、時には、おとなしくなってくれるその人と、並んで窓の外を見て、 「ああ、生きてるなあ」 と思うのが救いでした。 一生、続く闇は絶対、ありません。 あなたはお子さんのこと、全員愛してます。 自分を責めないでね。 ユーザーID: 9201563085• がんばってますね 3人のお子さんの育児だけでも大変なのに、少し力を抜かれてもいいのでは? うちは、小2の息子が発達障害です。 3才から療育に通いました。 年齢とともに必ずできることも増えてきます、我慢することも覚えます。 自分で折り合いをつけるようにもなります。 うちの息子も4才〜5才くらいは大変でした。 ほんとに毎日が苦痛で子どもに対して気持ちの余裕がない時もありました。 でも、子どもも頑張っていますよ。 気付くと成長が見えます。 頑張ってる主さんに頑張ってとは言えませんが、完璧じゃなくていいんですよ。 ゆっくりな成長でもいいじゃないですか。 私もまだまだですが、子どもの成長を楽しみに日々過ごしてます。 ユーザーID: 7963259991• 大変ですね。 良く頑張っておられると思います。 我が家の大学生の息子も、幼少時は自閉の特性をいくつか持ち、私は同じようなお子さんを育てている親御さんのブログを多数、読み漁りました。 娘さんと良く似たタイプのお子さんも、きっとおられると思います。 娘さんがクールダウンしやすい環境に、心当たりはありませんか? その子その子によって異なるので、一概にこれがおすすめ!とは言えないのですが…。 慰めのつもりの声がけが余計にパニックを長引かせるのに気が付き、静かで視覚刺激の少ない場所に、一人にさせてクールダウンをさせたり、 拘束に安心するお子さんを、気に入りのタオルケットで抱いたり、 等、上手くいった事例が、発達障害児子育てブログに書かれています。 娘さんを愛せないと苦しまれていますが、苦しんでいる=愛している、だと第三者の私の目には映ります。 実年齢が4才でも、IQ65なら単純計算で精神年齢2歳半。 魔の2才児を二人プラスもう一人児童を子育てしているトピ主さん。 とてもとても頑張っておられると思います。 応援しています。 ユーザーID: 4689043400• レスします トピ主さんのお気持ち、分かりますよ 頭では分かってても、どうしようもない感情なんですよね 母だって人間だから ここでひとつ、違う方向から見てみましょう 次女ちゃん、何故パニックになると思いますか? 人目を気にして困っている母よりも、誰よりも、次女ちゃんが困っているんですよ 困って困って、苦しくて、どうしようもないから叫んだり喚いたりするしかないんです それをやめさせようとしたり叩いたり怒ったりは逆効果 分かりますよね? 私の娘は重度知的障害を持った自閉症児です 身辺自立は出来ておらず、有意語皆無の3年生 怒るとますます荒れるので、怒りたくなっても我慢我慢 ほっときゃ、そのうち収まるから・・・・・と 加配をつけてくれる保育園や幼稚園はないですか? 短時間でも預けられると母も楽になれますよね うちみたいに重度でも、小さい頃と比べたら落ち着いてきてますよ ずーっと今の状態が続くわけじゃないから 頑張らなくて良いからね ユーザーID: 4232178081• 大変ですね。 私にも息子が3人います。 健康な7歳、病気と重度知的障害のある5歳と2歳です。 上の子は普通にいい子で話もできるし単純にかわいい。 下の子は病気も障害も二人目で私に余裕があるし、 とにかく小さいというだけでかわいい。 (たまらない!) それにまだ身体も小さく動きも遅いので次男に比べて害がない。 で、問題は次男です。 身体は大きいのに頭が1歳だから本当に大変です。 テーブルの上に昇る、落ちる、泣いたのにまたすぐ昇る。 大事なものは上に置いても手が届く、引き出しもあける。 ベランダの鍵もロックに手が届きはずして外に出てしまい ベランダの向こう側にオモチャを落とす。 5階なので危険。 水道も手が届くので水を出しっぱなしにする。 トイレの手を洗うところにタオルをのせて何度も流して 洪水になったこともありました。 部屋の中を歩けばついてきて何でも邪魔をする。 数えたらきりがありませんが、とにかくイタズラばっかり。 身体も頭も1歳ならできるイタズラが限られるのですが、 身体は5歳なので背が高い、力が強い、手先は器用、重い。 とにかく毎日本当に大変でした。 ユーザーID: 7669163792• わかります!でも克服しました。 2 奇声を発するのも大嫌いでした。 こうやって書いたり人に伝えるとひとつひとつはたいしたことが ないし、本人には本人の理由があってやっているのだろうと言われます。 でも毎日24時間一緒にいると気が狂いそうになります。 一時期、「次男がかわいくない」と泣きながら公言していました。 勇気がなくて「愛せない」とは言えませんでしたが、本心はそうです。 で・・・ 知的障害児通園施設に母子登園を始めました。 うそだ〜と思って通い始めましたが、私も今は次男がかわいいんです。 トピ主さんも言っているように、私の場合もそうだったのですが 次男のペースに合わせられないから余計イラつくんです。 次男と二人きりでゆったり向き合えると、困っていた行動も 実は愛らしいものだと思えるようになりました。 こちらが変わったら次男も変わってイタズラが減りました。 トピ主さんもなんとか二人きりになれる時間をつくってみて ゆったり向き合えるといいかもしれません。 ユーザーID: 7669163792• 子育て、とても頑張っていると思う 本当に、よく頑張っていると感じました。 子育てでいっぱい、いっぱいのお母さんは、多いです。 子供を皆、同じように愛せるなんて、神様でないんだから、無理ですよ。 個性が強くて、手がかかる子にきつくなってしまいますよ。 だけど、そのお子さんのことを一番、想っているお母さんはトピ主さん以外にいません。 だから、悩んだり、苦しんだり、反省したりできるんです。 子供よりも自分が大切なママは、子供だけを責めたり、放任して見ないふりをするかもしれません。 現実の子育ては、毎日休みがなく、心の休まる日なんてありません。 うまくいったと思った子育てや、理想どおりにいった子育ても、そうではなかったと自信喪失したり、 駄目ママだと思っていたのに子供が愛情を受け取っていてくれたとか、いろんな現実があって、誰一人、同じでないのが子育てです。 御嬢さんが妹思いで、いい子だと思うトピ主さんは、きっと立派な育て方をしているはずです。 私も人に立派なことは言えません、いい母だったという自信は、未だに持てていません。 ユーザーID: 9112658029• そのうち子どもがみんなかわいくなくなるでしょうね そのうち子ども全員可愛くなくなるでしょ。 だって、トピ主さんが欲しいのは「自分の思い通りになる子ども」だもん。 上の子は女の子ですし、高学年・思春期になればなるほど、扱いが難しくなりますよ。 下の子は男の子ですから、年齢があがればあがるほど常軌を逸したワケわかんないことやりますよ。 ま、家族ですからね。 冷静に対応することが一番であるとわかっていても、イラッとしてしまうもんです。 以前、心理の先生と子どものことを話したときに、先生が「冷静にね〜」なんて話をしていたら、私がう〜んという顔をしていたらしく、先生「あ、けど自分が難しいこと言ってるの知ってるから。 できるだけでいいんだよ」私「ですよね〜」とお互いに笑いあったことがありましたね。 ですから、その気持ちはよーくわかります。 けどね、一番困ってるのはトピ主さんじゃなくて子どもだから。 私は上の子が発達障害と判明してから、強くならなくてはいけないと思いました。 でないと、将来の自立に大きく関わってくるからです。 ま、宇宙人か何かと異文化交流をしているとでも思ったほうがいいですよ。 ユーザーID: 2452898287• 知り合いに同じような家庭があります。 子供みんな成人してますが、一人だけトピ主さんのお子さんと同じような感じでした。 今はとにかく余裕がなくて、自己嫌悪になってると思います。 でもほかの人もおっしゃるように親も人間ですから、完璧なんて無理ですよ。 その知り合いもかなりまいっていて、以前はその障害のある子供に愛情を感じなかったようです。 でも今はあの子がいたから私はいろいろ学べた。 私に学ばせる役目を持って生まれてきてくれたと。 もちろんこれはいろいろ乗り越えた末にたどり着けた答えであり、トピ主さんが今この状態になるのは無理ですし、なれないのが悪い事ではありません。 旦那さんと話し合ってまずはトピ主さんが子供と離れてリフレッシュすることも大切だと思います。 これは子供ときちんと向き合うために休憩するのであり、無責任とか怠けてるというのとは違いますから。 ユーザーID: 5867365362• お母さん大丈夫ですか? とってもお疲れだと思います。 私にも3人のこどもがおり真ん中が軽度の自閉症です。 診断書には自閉症しか書いていませんが軽度だと思います。 数値もその年頃の時には67でした。 受動型というのも同じですごく似ています。 ちなみに凸凹はあるものの数値は最近90まで上がりました。 4歳ぐらいって一番しんどかったです。 周りにも(家族しか知りませんが)私の考えすぎだと言われ一緒に悩んでくれる人がいませんでした。 またかって、毎日うんざりしますよね。 でもだんだんと楽になってきますよ。 今、5年生で普通級に通っています。 人の気持ちに寄り添うのは苦手ですが、こういう時は他の人はこういう気持ちになるんだよとそのつど言い聞かせ、少しずつ覚えてきたようです。 夏休みに入り、相変わらず毎日うるさくうんざりしていますが幼稚園時代に比べると本当に楽になりました。 3人のママさんがつぶれちゃいそうで心配です。 3人子供がいてるとゆっくりする時間がなかなかとれないと思いますが、3人のママさんがリラックスする時間を1番に考えてほしいです。 ユーザーID: 1430636840• 皆様ありがとうございます。 主です。 忙しくて一括のお礼ですみません。 全て何度も読み返しました。 主人には時々限界がくると話してきました。 「いつかこの子を殺してしまうんじゃないか。 」と沢山泣いたこともあります。 その度に黙って聞いてくれ、「この子は兄弟の中で一番賢くて意志の強い子だ。 」と本心から言ってくれます。 だから私も頑張れてきたんだと思います。 時折長女の幼稚園の時のママ友と道端で会ったときに「次女ちゃんは今幼稚園どこ なの」とか聞かれると療育園に通っていることを話す度に少し傷つく自分もいます。 「今年幼稚園なのになんでいないの。 」と同い年の兄弟がいるママ友に聞かれたり、その幼稚園の制服を着ている子供達を見かけると「本当ならお姉ちゃんのお下がりの制服を着ているんだなあ」と涙をこらえて自転車をこいだこともあります。 長女にも「妹は電車や初めての場所は無理だから旅行は無理だよ」と夏休みが来る度に話してきました。 どれも小さなことかもしれません。 だけどその度に感じる申し訳なさや、痛みが消えずに残っています。 もっとありのままの次女を受け入れたいです。 ユーザーID: 4043188765• 息抜きのつもりで… トピ主さんの気持ち、少なからずわかります。 障害児の種類は違えど、私も2人目が障害児です。 妊娠中から、染色体異常だったら産むつもりがなかったので 超音波で、異常が見つかれば羊水検査をし、陽性なら妊娠を 中断する覚悟をしてました。 何故なら、自分の中に明確に「例え自分の子どもでも愛せない」 とわかっていたから。 だけど妊娠経過は順調で、Dr. から何とも ないと言われたので羊水検査をせず、産んで顔をみた瞬間、私が 気がつきました。 それからは、全く受け入れられずパニックを 起こし、退院時には子どもを置いて帰ってきました。 あれから、1年。 愛しているかと聞かれたら、答えはNoです。 やっぱり 上の子とは明らかに違います。 ユーザーID: 6762289295• 私もそうです。 2 3人の年齢差も真ん中の子が発達障害なのもいっしょですね。 今が一番大変なときではないでしょうか。 真ん中と末っ子、双子を育てているような大変さでした。 「上の子を見て、下の子と同時に育てる」でしたね。 3人いてよかった、と思いますよ、今では。 成長にしたがって落ち着いてきます。 中学生になった今でも、まだまだ大変な部分はありますが、小さい頃に比べるときちんと話せばわかってくれます(すぐに忘れるけど・・・) 「愛せなくなる」というのはトピ主さんの感覚だけです。 普通の子どもでも、思い通りにいかなかったら叱ったり育児がいやになってくるものです。 愛しているからこそ、愛せなくなるという感覚が出てくるんじゃないでしょうか。 子どもは子ども同士、今でも姉妹仲はとてもいいですよ。 おねえちゃんもいもうとちゃんも、自然に受け入れています。 きっと。 今、一番大変なときです。 大きくなるにつれて、落ち着いてきます! がんばってください! がんばった母が、ここにもいます!! そして、まだまだがんばっています! ユーザーID: 0423683063• 緊急避難保育は? 皆様沢山のアドバイスや励ましの言葉に涙が溢れます。 中には厳しいお言葉もありますが、子供達から見れば誰もが私に一番に愛されたいこともわかります。 私自身三人兄弟の真ん中で、親に比較されたり教育虐待を受けて育ちました。 兄弟とは15年以上口を聞いておらず、親とも10年会っていません。 里帰りや実家に頼るとかもなく、そもそも子どもでいられる期間がなかったのでどうしていけばいいのか一人手探りで育ててきました。 私も親と同じことをしているのかと自信もありません。 ただ、次女がもたらせてくれた療育の先生方との出会い、同じ軽度の発達障害をもつ親御さんとの出会い、 次女で手いっぱいの間長女のことを精一杯フォローしてくださった幼稚園や小学校の担任の先生方、そんな方達の優しさや努力は次女に教えてもらいました。 辛いばかりの人生ですが、小さな優しさが身に染みてありがたいです。 ユーザーID: 4043188765•

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3歳半の息子は発達障害でしょうか

七人家族の真ん中で 発達障害

父ASD、母LD、妹ASD、私はADHDとASDとLD 大阪の下町で4人、貧乏でも裕福でもない一見普通の家族。 都会育ち父は高IQだがロボットのように人の感情がわからず、知能が低くて失敗が多い母にキツく当たる。 自分と考えが違う者や自分の邪魔をするものは排除。 差別主義者だった。 田舎育ちアダルトチルドレンの母は感情だけで生きているヒステリックメンヘラ。 親から逃げるように大学を出てすぐ結婚し、田舎から都会に移住したものの環境に適応できなかったのだろう、スイッチが入ると家の中をぐちゃぐちゃに暴れまわり手が付けられない。 そうかと思えば寝室で引きこもって泣いてばかり。 パニック障害も酷く、お弁当も作ってもらえなかった。 姉妹はお互いに興味がなく、妹は本や舞台の世界に入り込み現実逃避、私は外の世界への憧れだけで生きていた。 親の逆鱗に触れないように、私はなるべく外で時間を潰して帰宅、妹は自室でただただ静かに過ごすのが日常だった。 しかし静かな妹と比べて典型的なADHDだった私は、悪気もなく周囲を振り回す。 時間割や整理整頓など、普通に普通のことができない。 外面は良く、学校では褒められる子だったが、家では何もかもがちゃんとしていなかった。 激昂した母は私を追いかけてまわり、叩く殴る蹴るを繰り返す。 怒られて反省しても結局上手くできない(発達障害なので当然)ので、暴力は日々加速していく。 ひどい時にはテーブルの上に並んだ熱々のご飯をテーブルクロスごとひっくり返され、熱湯でできた紅茶を身体にかぶった火傷にドロドロのシャツで習い事に向かった。 身体に手のひらの型が綺麗につく程強く叩かれ私をお風呂に入れた祖母が虐待を疑う事もあった。 (無論、嫁姑の仲は最悪) 怒られればすぐベランダや廊下に放り出され、鍵をかけられる。 お隣さんがびっくりしてうちのインターホンを鳴らす。 昼夜問わず怒鳴りつける声が響いていたのでご近所かでもきっと悪い噂が立っていただろう。 当時は今ほど虐待や体罰に敏感な社会ではなかったので、そういったことで親が通報されるなんて事もなかった。 親戚も離婚家庭ばかりで疎遠が多かった。 祖母は「お父さんはお嫁さん選びを間違えた」と5歳の私にずっと愚痴を言っていた。 当時は家に帰りたくないので祖母の肩を持っていたが、父親が心を壊してロボットのように育ったのはこの人のせいだと今ならわかる。 私の親もまた、親に苦しめられて育っていたのだ。 それがわかってからは両親を恨む事もなくなった。 悲しみの連鎖は、私がここで止めなければならないという正義感に変わったから。 人懐っこくて根っこが明るかった私は勉強だけは頑張り、周囲に助けられ、着替えさせてもらったり、ご飯をもらったり、祭りのクジで欲しかった物を当てたりしてそれでもうまく生きていた。 対する妹はおとなしいので直接的に暴力を振るわれることはないものの、殴られ蹴られる私をずっとドアの隙間から見ていた。 「私がお姉ちゃんを庇ったら母がもっと暴れてしまう」「私は感情を殺そう」という気持ちが根深くなった妹は、のちに鬱と摂食障害になり青春のほとんどを病床で過ごすことになる。 結果的には先に妹の、そして次に私の発達障害の診断が下りて、私は大学生で家を出た事によって家族の関係は少しずつ良く変化していくのだが、私は未だに様々な場面で辛かった日々がフラッシュバックし、足が前に進まなくなる。 高校でボランティア活動に関わり、福祉に興味を持てたことは幸いだった。 自分の味わった苦しみ、辛い経験が、人の役にたてば良いと思った。 人の気持ちに本当に寄り添える、共感できる人間でありたいと思った。 大学で福祉を専攻するとやはり児童虐待や母子保護について学ぶことは避けられなかった。 授業で見た虐待に関するドキュメンタリーでは身が硬直し、周りは皆泣いていたのに泣けなかった。 一人暮らしはホッとした。 家族とも良い距離感を保つことができた。 ただ置いてきた妹のことはずっと気がかりだった。 母は私が二十歳を過ぎた頃、昔のことについて謝罪してきた。 私は障害があったせいだからと母を許した。 その後表面的には家族関係は修復し、イベントごとはきちんと祝い、二十歳には親に感謝の手紙を書いている。 旅行に行けば親のお土産も買うし、まだ機嫌を取るような言葉も使う。 突き放したところで過去は消えないし、障害者として生まれてきた自分も悪かったと本当に思っている。 それでもパートナーと出会い、いざ自分の家族について考えると子供なんて産む気にならない。 そして素敵な家族を見るとどうしようもなく悲しい。 このように家族に対して私のような、いや私以上に辛い想いをしている子供たちは日本中にいる。 私は今は鬱で身動きが取れないが、結婚しても自分の子は持たず、不幸な子供たちのために活動する事を将来の目標にしている。 そしてそれがいつか自分の心をも救うことを望んでいる。 子供食堂や放課後支援、居場所作り…なんでも良い。 いつかあの時一人ぼっちでガレージで時間を潰していた頃の私の心の声を、何かに活かせた日がきたら、きっと心が救われるだろう。 もし悩んでいる学生が居たら相談して欲しい。 ボール遊びの相手でも、愚痴聞きでも何でも良い。 辛い時間を乗り越えて、生きて幸せになれますように。

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