昼飯がてらうっかりつけたの「」(主演。 1991年)が面白すぎてつい最後まで見てしまった。 「作家活動40年記念ル」で脚本は。 私などは教養がないので主演2009年映画版としか比較できないのだが。 主役のイメージは真野のほうがだんぜんいいと思ったが、それはやはり09年映画版はのものとみるべきということだろうか(ラストシーンの広末はがんばってたと記憶する)。 何が面白かったといって、91年当時の金沢・・高浜・鶴来あたりで(たぶん)ほぼ全編ロケをしていて、その風景がである。 金沢は私が東京にでてから激変した、そのことがよくわかる。 東の茶屋街も主計町もあんな観光向けにアレンジされた明るい茶色になる前の、ところどころ朽ちた、暗く陰気なこげ茶である。 ビルは低くやはり暗い色感のねずみ色で、本作のロケは初夏のようだが、夏蒸し暑く、冬は色を失い憂鬱さに閉ざされる、記憶のなかのあの土地の「質感」が残っていた。 の漁村をさして「切ないような、痛々しい風景」(61年映画版で助監督を務めた より)とは言いえて妙である。 あれですら「原作小説特有の重苦しい空気感やの寒々しい陰鬱な冬の風景などは全く見られず、いささか趣を異にする」などとには記されているが、こちらとしてはあの画面の向こう側にそれをみてしまうので、なんというか、苦笑である。 90年代のある時期から今にいたるまでの20年にあの街の景観が蒙った変化に比べれば、私が育った70年から90年までの20年など時間が止まっていたようなものだ。 50年代末頃という時代設定のロケが91年にふつうにできてしまうのだから。 あの土地の方言は語尾をそれにしてしまえばそれなりには聞こえるがイントネーションがむつかしく、そこに演者の力量(というか取り組みぐあい)があらわれる。 ちょい役で一瞬でてきたがひどくてびっくりした。 も「(はくい)」の発音が3回出てきてそのうち2回はまちがっている。 でてきた役者のなかでは、これまた一瞬だけの高浜の戸籍係がいちばんよかった。 石井洋祐という俳優らしい。 たんに「それらしく聞こえる」というのでなく、あの土地に役人として留まった人間という階級のニュアンスも醸し出していて印象に残った。 (とはいえ、途中から観はじめたので、その限りでということだ。 ) をネットで目にしてヘタな金沢弁で「作文」してみようと試みたときに痛感したが、方言というのは閉鎖的で自己完結的なそれぞれの土地の階級構造をものすごくリアルに再現してしまう。 「土地柄」というのはそういうことだ。 そしてできあがった文章は、如実に土着の階級(というより身分)性を想起させる。 しかしながら/だからこそあの共同の試みには意味があったと私は思うが、それはじつは「これまでにどこにもなかったことば」を新たに創出しようする営みだったからなのだと思う。 わたしのは失敗作だった。 たんに「気持ち悪い」だけの代物になった。 少しあの土地の固有性(と勝手に私が思い込んでいるもの)にこだわりすぎているのかもしれないが、とりあえず今日観たドラマに映し出された風景は面白かった。 それだけの話である。 あらためていろんな面で「」は2時間サスペンスものの「原型」になっているのだと感じ、その点も興味深かった。 morinaoto.
次のストーリーに関していえば単純といえば単純。 見合い結婚して一週間後、金沢に出かけた夫が戻ってこない。 新妻は金沢に夫を探しに行くが、夫は別人として自殺していた。 遺書もあるし、自殺に疑いはないと思われた。 で、こういう単純な話をいろいろやりくりしながら 時代を超えて何回もやっとるわけだが、 この最初の映画化が偉大なのはなんちゅうても映画手法の新しい分野を切り開いたこと。 当時は映画脚本にナレーションや回想を使うなんてのは逃げであり、 技術のないもんがやるということでタブーだった。 ところがこの作品ではバンバン使用。 なんせ久我美子のナレーションで進行しまくり、事件の謎は最後に回想で説明される。 思えば脚本を書いた橋本忍大先生は羅生門でも上手に回想使ってるもんね。 崖の上で真実が語られるなんてのは後の2時間サスペンスで ぎょうさん模倣を生んだわけだがこれが最初。 映画・テレビドラマ含めゼロの焦点は作品の数あるけど 個人的に一番好きなのは1983年のTBSドラマ版。 主演の星野知子はどうでもええけど、絶品なのは竹下景子さん。 お嫁さんにしたい女優NO. 1が放った戦慄の一言に身体が震えた。 あれは凄かったなあ。 興味ある人はぜひご鑑賞を。 あとは1991年の火曜サスペンス劇場バージョンが未見なので観たい。 出演は真野あずさ、増田恵子など。 ケイちゃん派の人間としては観とかんとねえ。 833• 721• 303• 691• 216• 473• 20 月別ブログ•
次のまの・あずさ。 本名・林あづさ。 旧姓名・真野あづさ。 大学在学中からモデルで活躍。 卒業後はTBSラジオ局長の秘書をつとめていた。 テレビ番組「世界のこれがNo. 1」のホステス役を経て、ドラマ「風の鳴る国境」で女優デビュー。 出演映画としては、「食卓のない家」 1985 などがあり、これが映画初出演作品。 リンクはご自由になさって下さい。 掲載内容については各自の責任において利用してください。 当方では責任を負いません。 Copyright Furusaki Yasunari 1997.
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